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「車でお遍路」第69番札所 観音寺(色鮮やかな朱塗りの本堂と大師堂)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、69番目のお寺は、

七宝山しっぽうざん 観音寺かんのんじ


観音寺は、四国霊場では唯一、第68番札所七宝山神恵院と第69番札所七宝山観音寺が同じ境内に同居しているという珍しい札所。

また、観音寺市かんおんじしにある真言宗大覚寺派の寺院で、観音寺市の読み方は「かんおんじし」、寺号の読み方は「かんのんじ」

因みに、第16番札所光耀山こうようざん千手院せんじゅいん観音寺かんおんじの観音寺の読み方は「かんおんじ」

略縁起によると、第68番札所神恵院と同じとなるが、弘法大師が第7世住職として入山、後に三代の天皇の勅願所となり室町時代には隆盛を極めたという観音寺。

では、神恵院と同居する2番目の札所「観音寺」へ参りましょう。

69番観音寺本堂は右へ
観音寺市で有名な銭形砂絵「寛永通宝」を見るには琴弾八幡宮へ、航空写真でも見ることが出来た


ご詠歌

観音の 大悲の力 強ければ おもき罪をも ひきあげてたべ


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 大宝3年(703年)法相宗の高僧である日証上人にっしょうしょうにんが琴弾山頂で修行中、沖合の舟で琴を弾く翁を発見、その翁は宇佐から来た八幡大明神、風光明媚な地ゆえ去りがたいと告げた
    日証上人は感動しその舟と琴を琴弾山山頂へ引き上げ「琴弾八幡宮」を建立して祀った
    この時、日証上人琴弾八幡宮の神宮寺(別当寺)として開基したお寺が観音寺(創建時は「宝光院」)の起源という

  • 大同2年(807年)、この地を巡錫中の弘法大師は、琴弾八幡宮の本地仏の阿弥陀如来像を描いて御本尊(絹本著色琴弾引八幡本持仏像)として安置、その際に第7世住職となり入山
    その後大師は、奈良の興福寺に倣い観音寺に東金堂・西金堂・中金堂や七堂伽藍を建立聖観世音菩薩像しょうかんぜおんぼさつを彫り御本尊として中金堂ちゅうこんどうに安置、寺号を「観音寺」に改称して霊場に定める

  • 桓武天皇・平城天皇・亀山天皇と三代の天皇の勅願所となる

  • 室町時代(1338-1573年)足利尊氏の子・道尊大政大僧正が住職を務めるなど繁栄を極める

  • 明治時代初期には、神仏分離令により琴弾八幡宮は琴弾神社と神恵院に分離、八幡宮に安置していた本持仏の御本尊の阿弥陀如来像は山の麓(現在の地)の観音寺かんのんじ西金堂さいこんどうに移す
    その際、御本尊が観音寺境内に移ることとなったことから、中金堂は観音寺本堂だが西金堂は神恵院本堂として2つの御本尊が一つの境内に収まることとなり現在に至る


大師伝説


寺号について

  • 山号について
    ・・・弘法大師は、観音寺に七堂伽藍を建立した周辺の地に、瑠璃るり珊瑚さんご瑪瑙めのう、など七宝を埋めて地鎮したことから、「七宝山」とした


ご利益

  • 御本尊の聖観世音菩薩
    ・・・迷いや苦しみや災難から救いを求める全ての人に手を差し伸べる現世利益げんせいりえきの仏さま


御本尊・ご真言

御本尊:聖観世音菩薩
ご真言:おん あろりきゃ そわか


見どころ

  • 山門
    ・・・「四国第六十八・六十九番霊場」「七宝山 観音寺・神恵院」と四国霊場唯一の2つの札所名。

  • 本堂・大師堂
    ・・・本堂には御本尊に聖観世音菩薩(秘仏)を祀る。本堂・大師堂とも鮮やかな朱塗りの建物が美しい。同じ境内にある神恵院とは趣きが異なる。

  • 鐘楼
    天井の雲のレリーフが素晴らしい。

  • 琴弾八幡宮
    ・・・時間が許せば神恵院の発祥の地である琴弾八幡宮は参拝する価値あり。観音寺市有明浜の白砂に描かれた巨大で有名な「銭形砂絵」(古銭の寛永通宝)を見ることが出来る。
    この砂絵を見ると、健康で長生きしてお金に不自由しないと伝えられている。

参拝後に山門から見た景色 海とは反対の山側、観音寺市内を望む


写真


次は、第70番札所本山寺もとやまじへ参ります。

2022年7月22日投稿
2022年10月10日改訂

合掌

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