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「車でお遍路」第21番札所 太龍寺(西の高野)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、21番目のお寺は、


舎心山しゃしんざん 常住院じょうじゅういん 太龍寺たいりゅうじ

20番札所の鶴林寺から約11.5㎞、車で約30分の場所、

次に訪れた札所は、阿波霊場三大難所「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」の「お鶴、鶴林寺」に続く「太龍寺」。

だけど、20番札所の鶴林寺へ行く狭い山道とは打って変わり、車で那賀川沿いを含めた比較的平坦な道をどんどん走っていく。

太龍寺は、これまで太竜寺山標高約600mの中腹505mに位置するほど標高が高くこれまで三大難所の一つでしたが、今では「ロープウェイ」が開通、「車でお遍路」ではロープウェイを使用、約10分間の空中散歩を楽しみ参拝することができます。

境内は、大師の修行時代を偲ばせる樹齢数百年の巨木に囲まれた風格のある壮大なスケール、そして高野山奥之院と堂宇が同じ配列とのことから「西の高野」とも呼ばれている古刹なので、ゆっくり参拝したい。

では、「西の高野」と呼ばれる札所「太龍寺」へ参りましょう。

ロープウェイ太龍寺駅を降りると直ぐ目前に長い石段が控えてます


ご詠歌

太龍の 常に住むぞや げに岩屋 舎心聞持しゃしんもんじは 守護のためなり


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 延暦12年(793年)桓武天皇の勅願により阿波の国司である藤原文山ふじわらのふみやまが堂塔を建立、弘法大師が虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつを彫り堂宇に安置して開基

  • 天長2年(825年)、淳和天皇が寺領を寄進

  • 嘉保2年(1095年)、白河上皇の命により再興、皇室や武家からの信仰は篤く大いに栄える

  • 天正年間(1573年~1592年)天正の兵火で焼失し衰退

  • その後復興と荒廃を繰り返すが、江戸時代(1603-1868年)には徳島藩主蜂須賀公の支援により再建

  • 平成3年(1991年)、大修理を行う

  • 平成4年(1992年)、ロープウェイが開通して多くの参拝客で賑わう現在の姿となった


弘法大師伝説

  • 弘法大師は、19歳のころに南舎心ヶ嶽で100日間の虚空蔵求聞持法こくうぞうぐもんじほう(真言を1日1万遍づつ100日かけて100万遍唱えるという厳しい難行)を修行。
    この時に記憶力と判断力を身に付ける秘法を体得
    第24番札所最御崎寺周辺の室戸岬と並び、大師青年期の思想形成に大きな影響を与えた場所でもある。


寺号について

  • 寺号・山号について
    ・・・弘法大師が、南舎心ヶ嶽虚空蔵求聞持法こくうぞうぐもんじほうの修行を行っている時、大龍が大師を守護した(龍神守護)ことから、大師は、山号を修行地である「舎心山」寺号「太龍寺」と命名


ご利益

  • 御本尊の虚空蔵菩薩
    ・・・記憶力を司る仏さまで丑・寅の守り本尊
    福(幸福)、徳(人徳、財力)、知恵(学力向上)を無限に授ける「福徳智慧」で学業成就の力、災難を除いて幸せになるとのご利益


御本尊・ご真言

御本尊:虚空蔵菩薩
ご真言:のうぼう  あきゃしゃ  きゃらばや  おん  あり  きゃまり  ぼり  そわか


見どころ

  • 山門(仁王門)
    ・・・仁王像は、徳島県では最大にして最古(鎌倉時代)

  • 本堂
    ・・・御本尊の虚空蔵菩薩は天井に達するほどの大きな仏像

  • 大師堂
    ・・・本堂の横から、御廟の橋、大師堂拝殿、裏に御廟、と高野山奥之院と同じ配列となっている 彫刻がすばらしい

  • 持仏堂
    ・・・大廊下の天井に描かれている龍画は高知県出身の画家竹村松嶺氏作 弘法大師伝説の大師を守護した龍とのこと

持仏堂の天井に描かれている龍画


おまけ情報

  • 太龍寺ロープウェイは、全長2,775mと西日本最長。山越えと川越えを行う日本でも珍しいロープウェイ。

  • ロープウェイの料金は往復2,600円(20分後との運行)。


写真


次は、第22番札所平等寺へ参ります。


2022年3月6日投稿
2022年9月15日改訂

合掌

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