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「車でお遍路」第74番札所 甲山寺(大師の故郷での偉業を知る)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、74番目のお寺は、

医王山いおうざん 多宝院たほういん 甲山寺こうやまじ


73番札所の出釈迦寺から約2.8㎞、車で約10分の場所、

甲山寺は、第73番札所出釈迦寺から善通寺詫間線(県道48号線)に出て東へまっすぐ進み、標識を左へ甲山北側麓に位置する。

雨が少ない瀬戸内地方で農業を支えるために必要だったため、現在も日本で3番目(全国の約10%)にため池の多い香川県。

弘法大師は、そのため池を修築するために自身の故郷で偉業を成し遂げ、その功績で朝廷から報奨金を得て甲山寺を建立したという伝説がある。

では、弘法大師の偉業により建立した札所「甲山寺」へ参りましょう。

足もとが華やかな弘法大師像

ご詠歌

十二神 みかたにもてる いくさには 己と心 かぶと山かな


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 平安時代(794-1185年)初期弘法大師は、幼少の頃の遊び場近くに霊地を探していたところ、甲山の麓の洞窟から老翁が現れ「ここは霊地、この地に堂宇を建立すれば私がいつまでも守護する」と告げられた
    そこで、大師はすぐに岩を割り毘沙門天像を彫って岩窟に安置

  • 弘仁12年(821年)弘法大師は、嵯峨天皇(在位:809-823年)より、決壊した満濃池まんのういけの修築工事の別当(長官)を命ぜられたことから、甲山の岩窟で薬師如来を彫り成功を祈願
    その薬師如来を御本尊として安置して「甲山寺」と命名(詳細は後述)

  • 天正年間(1573-1592年)天正の兵火で、御本尊とわずかな堂宇を残して焼失

  • 享保20年(1730年)、本堂修復

  • 寛保2年(1742年)、大師堂修復により現在に至る


大師伝説

幼少の頃から神童と呼ばれ丈夫で健康だった弘法大師は、甲山の麓の仙遊ヶ原(甲山寺の東)という場所は大師の遊び場で泥で仏像を作って祀るなどしてよく遊んでいたという。

大師はその遊び場近くで霊地を探していたところ、ある時、洞窟から老翁が現れ「私は人々に幸福とご利益を与え仏道を広めてきたここは霊地この地に堂宇を建立すれば私がいつまでも守護する」と告げられたことから、大師は喜びすぐに岩を割り毘沙門天像を彫って岩窟に安置したという。

その後、弘仁12年(821年)、弘法大師は、嵯峨天皇(在位:809-823年)より、弘仁9年(818年)に決壊した満濃池の修築工事の別当(長官)を命ぜられ郷土入り
大師は、これまで朝廷が築池使を派遣して3年経っても技術も人手も足りず完成しない難工事の監督を任された

そこで、大師は、甲山の岩窟で薬師如来像を彫り修築工事完成を祈願。

大師が生まれた故郷の讃岐に郷土入りすると、大師を心から慕って人々約3万人が集結
技術面では当時は画期的だった日本初のアーチ型の堤体を採用、大師の唐で学んだ土木学がここで活かされ、技術と人手不足解消により、この難工事はわずか3ヶ月で復旧させたという偉業を成し遂げた。

大師は、この功績により朝廷から報奨金を得たが、それは薬師如来の加護であると堂塔建立資金に充て、その薬師如来を御本尊として安置して「甲山寺」と名付けたという。


寺号について

  • 山号について
    ・・・薬師如来の異称である医王如来に因んで名付けた

  • 寺号について
    ・・・標高87.2mの甲山の麓にあることから弘法大師が名付けた。ただし、読み方は、「甲山かぶとやま」に対して「甲山寺こうやまじ


ご利益

  • 御本尊の薬師如来
    ・・・
    大医王仏だいいおうぶつ医王如来いおうにょらいとも呼ばれ、十二誓願じゅうにせいがん現世利益げんせいりえきの仏さま(病気平癒、他)

  • 甲山寺のうさぎ
    境内では2羽の親子うさぎと14羽のうさぎ瓦がみんなをお守りしてくれているという
    御利益は、飛躍、運気上昇、円満な人間関係、子宝、安産、病気平癒、商売繁盛、心願成就、など

  • 子安地蔵
    ・・・子宝にご利益
    子宝を願いお地蔵さんの前掛けを持ち帰り、叶うと新しい前掛けを奉納する


御本尊・ご真言

御本尊:薬師如来
ご真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか


見どころ

甲山寺では、現在にも通づる大師の偉業に思いを馳せ、毘沙門天堂を見て、16羽のうさぎを見つける、など時間をかけてゆっくり見ると良いと思います。

  • 本堂
    ・・・御本尊に大師が彫った檜の一本造りという薬師如来像を祀る

  • 毘沙門天堂
    ・・・上述の弘法大師が彫った毘沙門天像を祀っている岩窟

  • うさぎ
    ・・・御本尊薬師如来の脇侍である月光菩薩の左手に持った月から飛び出したといううさぎ、境内には2羽の親子うさぎと14羽のうさぎ瓦がある

  • 子安地蔵

生花を飾り付けた手水舎


写真


次は、第75番札所善通寺ぜんつうじへ参ります。

2022年7月31日投稿
2022年10月11日改訂

合掌

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