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「車でお遍路」第44番札所 大寶寺(折り返しの「中札所」)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、44番目のお寺は、

菅生山すごうざん 大覚院だいかくいん 大寶寺たいほうじ


43番札所の明石寺から約80.0㎞、車で約90分の場所、

ここ44番札所大寶寺は、1番札所から距離にして約850㎞、ようやく折り返しの「中札所」。

平均標高約800mの「四国の軽井沢」とも呼ばれる久万高原町の役場近くに佇んでいる。

この久万高原町は、愛媛県内最大の町で、西日本最高峰の石鎚山、日本三大カルストの四国カルスト、水質日本一に輝く仁淀川の源流域に広がる面河渓おもごけいなど、自然の宝庫。

長い道のりを車で走りようやく駐車場に着いたところで、約600mを徒歩で10分程度歩くと幽玄な寺院が現れる。

では、自然に溶け込む「大寶寺」へ参りましょう。

道中は美しい風景を見ることが出来る
道中2
山門には金剛力士像と大草履 明治7年(1874年)の大火で山門は焼けても金剛力士像は無事だった 巨大草履は約3mほどの大きさ


ご詠歌

いまの世は 大悲のめぐみ 菅生山 ついにはみだの ちかいをぞ待つ


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 大和朝廷時代百済くだら(朝鮮)から渡来した僧侶が、十一面観世音菩薩を山中に安置したのが起源

  • 大寶元年(701年)、兄弟の狩人である|明神右京《みょうじんうきょう》・隼人はやとが十一面観世音菩薩を発見、庵を建てて祀る

  • 文武天皇(在位:683-707年)の勅命により、明神右京・隼人が寺院を建立して十一面観世音菩薩を安置して開基

  • 弘仁13年(822年)、この地を巡錫中の弘法大師は、密教を修法して「四国霊場の中札所」と定め、天台宗から真言宗に改宗

  • 仁平2年(1152年)、全山を焼失

  • 保元年間(1156-1159年)後白河天皇が病気平癒を祈願して成就、再興して勅願寺とする 七堂伽藍を備える大寺院となり繁栄

  • 天正年間(1573年~1592年)天正の兵火で焼失

  • その後、松山藩主松平家の帰依により再興松平家の祈願所となる

  • 明治7年(1874年)3度目の焼失

  • その後、地元の信徒により再興、現在に至る


大師伝説

大師が巡錫中、「くま」という老婆が大師を自宅に泊めて接待をしてくれた。

大師はそのことを恩に感じて老婆に願い事を尋ねると、
「この地は寂しいので、お参りをする山の麓に賑わいのある村落が欲しい」と言い、
大師は「願いが叶ったらその村落にあなたの名を付けると良い」と応えたという。

その後、山の麓に賑わいのある村落が出来て、現在の地が久万町くまちょうとなったという。


寺号について

  • 寺号について
    ・・・文武天皇(在位:683-707年)が、十一面観世音菩薩を発見した大寶元年の年号に因んで名付けた

  • 山号について
    ・・・
    後白河天皇が勅願寺とした際、「菅生山」の勅額下賜かしして命名

  • 院号について


ご利益

  • 御本尊の十一面観世音菩薩
    ・・・10種の現世利益(十種勝利)4種の後世利益(四種果報)。(様々な災難、病気治癒、財福授与、勝利等の現世利益と延命、極楽浄土等への後世利益)

  • 掘出観音の観音像
    ・・・身体から病気や悪霊を掘り起こしてくれる有難い仏さま


御本尊・ご真言

御本尊:十一面観世音菩薩
ご真言:おん まか きゃろにきゃ そわか


見どころ

  • 山門(仁王門)
    ・・・約3mほどの巨大草鞋が奉納されている

  • 本堂
    ・・・御本尊に十一面観世音菩薩を祀る 銅板葺き屋根で荘厳な雰囲気

  • 陵権現
    ・・・後白河天皇の妹宮おとみや(妹の皇女)を祀る

  • 堀出観音
    ・・・昭和9年に掘り出された金銅製の観音像を祀る

  • 興教大師堂
    ・・・真言宗中興の祖である興教大師(覚鑁)を祀る

  • 種田山頭火の句の石碑
    ・・・山頭火が大寶寺で詠んだという

山頭火の石碑(朝まいりはわたくし一人の 銀杏ちりしく)


写真


次は、第45番札所岩屋寺いわやじへ参ります。
岩屋寺は、車お遍路でも駐車場から長く厳しい山道を歩く山岳道場なので、体力と時間と心に余裕をもって参拝したい。

2022年5月1日投稿
2022年9月29日改訂

合掌


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