見出し画像

【スポーツ遍歴】今までもこれからも続く水泳生活

こんにちはモモちゃずけです。
現在、南アフリカ里帰り記事を書いている最中ですが、noteで『私のスポーツ遍歴』というテーマがあったので、私の水泳遍歴を書くことにします。

私の水泳歴は二歳~現在まで。途中数年ブランクがありますが、私の人生はほぼ塩素水の中です(笑)といってもオリンピック選手になるような選手ではなく、草水泳でやってきたレベルです。基本だらけた人生を送っている私ですが『人生で一番頑張ったことはなんですか?』と聞かれたら間違いなく水泳と答えます。それくらい塩素水を飲みました(笑)私の水泳人生、嫌いな時期がないほど楽しませて、そして頑張らせてもらった水泳にただ感謝しています。

では水泳との出会いから話すとします。文章を書くのが下手なので無駄に長いです(;´д`)


水泳との出会い

意識もない2歳の頃。喘息&アトピーで大変だった私をみて、お医者さんから『水泳を始めてみたらどうですか』とアドバイスを受け、泣きながらコーチに抱き抱えられ水に入りました。喘息の子は外での運動に適してなく、運動不足になる事が多いく、体が健康でないと喘息も治りにくいのだとか。埃を吸わなくてもできる運動として水泳が勧められてました。

楽しく泳いでた日々


茨城県の『霞ヶ浦スイミングスクール』という現在も健在のボロボロのプールで私の水泳人生は始まりました。母はとりあえず健康になってくれればいいと、毎回送り迎えをしてくれました。すくすくと育ち小学生の時に1,2級を飛び級して、選手コースに飛び込みます。進級テストでは50mを泳がないといけないのに、話を聞いてなくて25mでプールを出てしまい、慌ててコーチにコースに戻され、それでも2位を取った、そこそこ速いオバかな選手だったようです(笑)

練習は週3回から週5回になり、送り迎えをする母が大変そうでした。本人は毎日水泳友達に会えて、楽しく泳いでいました。

水泳から離れ他のスポーツを始める

小学4年の頃、親の都合で茨城の田舎に引っ越すことになり、水泳を辞めることになります。オリンピック選手になりたい!などの夢は特になかったので、水泳なしの生活も普通に送っていました。中学に上がり水泳部を探しましたが、私の前の世代で部員がゼロになり廃部になったらしく、身長も高かったのでバレー部にはいりました。

水泳経験はあったけれど、当時はスポーツがあまり得意ではなく、好きではありませんでした。バレーボールを始めて体の動かし方を知り、水泳以外の運動が好きになったのはこの頃からです。

水泳部の顧問の先生との出会い

またまた親の都合で東京に移り住み、高校に入学しました。部活が盛んな高校ではなかったので水泳部なんてないだろう。と思いましたが、新入生の部活紹介で水泳部を発見!でも男子しかいないし、水泳というイメージとは真逆のオタク集団?がいました(笑)

どーしよーかなーと思いながら、とりあえず体験入学したら、そこには同学年の女子が5,6人程いました!嬉しくなりみんなで、与えられた練習メニューをこなしました。ん?思っているよりキツイゾ。次の日プールに向かうと女子は私一人しか残っていませんでした。オタクっぽい先輩たちと(先輩ごめんw)、はたまた根暗っぽい同学年の男子数人(みんなごめんw)、そして私で水泳部生活がスタートします。

第二の水泳生活が始まったのはここでした。
顧問の先生が水泳経験者で水泳に情熱を持っている人でした。私のスタイル1(得意種目)は50メートル自由形のみでしたが、中距離やメドレーなども試合に出れるように、練習メニューを組んでくれました。高校入学時、50メートル自由形が33秒だったのですが、先生に30秒切れたら都大会で上位に入れる。と言われ、それから私の目標は『30秒切る事』になりました。

オタクっぽい部長の先輩はバタフライをスタイル1とし、きつい練習をこなしていました。スポーツ経験もなかったような先輩が、毎日のきつい練習と部長の仕事をこなしているのをみて、密かに尊敬し(笑)私もがんばろうと思っていました。情熱のある顧問の先生だったから、彼もきつい練習についていったのだと思います。

毎日隣で泳ぐトミー

高校の水泳生活で忘れられないキャラクターだった、トミーというアダ名の、根暗?シャイな男子でした。入学時、私達はスタイル1(試合にです得意種目)が50m自由形で、タイムもほぼ同じだったので、毎日放課後は同じメニューで隣通しで泳ぐことになりました。

高校生になって初めての夏休み、なんだか楽しい気持ちになって朝9時にプールに行くと10キロ強のメニューが、防水のパウチになって一週間分書かれているのです。月曜から金曜の朝9時から夕方16時まで、ただただ隣にいるトミーと同じサークルで泳ぎます。水は太陽でぬるく、疲れたなかで意識もなく泳いでいたので、寝ながら泳ぐという特技を得ることができました。練習後の屋上にあるプールから見える夕日とぬるい空気、当時プールサイドで流れてたCD(楽園ベイベー)は、一生忘れる事のない思い出です。

悲しいことに、同じメニューをこなしてきたのに、トミーはあっさり30秒切りをしてしまいます。男女の差を思い知った日でした。

水泳用品は絶対日本の物がおすすめ。
ゴーグルは20代からずっとviewのブレードを愛用している。


本気で水泳をやってきた人との出会い

高校卒業後、大学に進学する事なくスポーツクラブで水泳インストラクターとして働くことになりました。ここで、大学で水泳部をやっているジュニアオリンピック出のコーチと出会うことになります。今まで見たこともないような、きれいなバタフライのフォームで豪快に泳ぐ彼に、ド肝を抜かれました。こんなすごいレベルの人がいるんだ!それから彼に専属コーチになってもらい、仕事終わりに毎日夜まで泳ぐ、第二の地獄の練習をしていました(笑)。

ここではマスターズという、プロの一つ下のレベルに所属していて、毎月のように水泳大会に参加する為、辰巳国際水泳場を訪れていました。マスターズには水泳経験が豊富な人が多く、現役の競泳選手や、海で泳ぐオープンウォーターの選手、そしてトライアスロンなどにも参加する大人の人達が在籍していました。彼らは社会人として仕事をしながら全力で水泳を楽しんでいるのを見て、大人になっても水泳って楽しめるんだ!とこれからの可能性を広げてくれました。

念願の30秒切り

スポーツクラブでの地獄の練習をして、初めての大会に参加した時の事。泳ぎ終わってサブプールに向かっていたら、同じクラブの方に『30秒切ったね!おめでとう!』と言われ急いで電光掲示板を確認したのを覚えています。予想外の出来事で拍子抜けしましたが、高校からの目標を叶えたことで熱が冷めるどころか、どこまで自分がいけるのか試したくて、心の奥底で何かが燃え始めたのを覚えています。あの時は自分ばかりを見るので精一杯でしたが、水泳好きの人達に囲まれて一緒に泳げた事は、(一人で泳ぐことが多くなった現在と比べると)最高に幸せな出来事でした。

スポーツクラブで4年ほど練習を重ね、最後の試合では27秒を出し、あまりの嬉しさで膝が震えました。しかし翌日の練習では"自分はやり切ったんだ"と熱が冷めたのに気がつき、その後も泳いではいましたが、競泳生活を終えることにしました。


旅先で教え、泳ぐ

ビキニでもブランドはSPEEDOに帽子とゴーグル。
ロマンチックな欠片もない20代(笑)

水泳に縛られていた生活が終わり、自由になりここから数年は海外で一人旅をしていました。やっぱり水が恋しいのか海辺の街に滞在することが多かったです。ある時は水が怖くて泳げないイタリア人に海で泳ぎを教えたりもしました。色々工夫しながら教え続けていたら、そのうち一人で何とか泳げるようになり、彼は『人生で初めて泳げたよ!』と大変喜んでいたのを見て心のそこから嬉しかったのを覚えています。

カンボジアのリゾート地に訪れた時、ホテルのプールを見つけたので泳いだことがありました。久しぶりに泳ぐプールは光輝く一面の水色で,
初めて来た場所なのに自分のホームのような懐かしい気持ちになりました。この時から旅先の楽しみの一つとして、海外のプールを見て回るようになります。マレーシアのマラッカにある綺麗な50メートルプールで旅の疲れを取ったり、南アフリカでは海のすぐ隣にあるプールで泳いで風邪を引いたりもしました。

カンボジア・シハヌークビルで見つけたカフェ。


どんな状況(場所)でも泳ぐと『自分らしい自分』にリセットされた気分になり、本当の自分を保っていられるような、そんな気持ちになります。

海外生活中の支えは水泳

南アフリカ・ケープタウンのプール。塀などのしきりもなく、隣にジムが広がっている。

南アフリカ人パートナーと結婚し、南アフリカのケープタウンに住み始めたのは2017年の事。それなりに楽しく過ごしていましたが、アジア人差別や治安が悪い事がもあり、家にいる事が多くなっていました。そんな時パートナーに『一緒にジムに通おう』と誘われ、向かったのは日本とは全く違うプール付のスポーツクラブでした。隣のコースで、ものすごい優雅にバタフライを泳ぐ人がいて、後で調べてみたらまさかの現役オリンピック選手なんて事もありました。

南アフリカは水泳大国であり、特にケープタウンには休暇中のオリンピック選手の出現率が高いのです。地元のスーパーではイチゴを手に持っていた南アフリカ代表のキャメロン・ファンデルバーグ選手を見つけ、思わず写真を撮らせて頂きました(*^^*)

 ファンデルバーグ選手。とても優しい方でした。

このように水泳を通して海外で色んな人に出会うことができ、また時たまかかるホームシックなども水泳でさっぱり忘れることができ、何度も水泳に助けてもらいました。そして治安の悪い南アフリカでは、何度か走って逃げることがあったので体を鍛えるのに水泳は役立ちました(笑)←結構ガチだったりする。


フランスでも水泳

現在はフランスのパリに住んでいますが、フランスもこれまた水泳大国です。パリには各エリアに必ずプールがあります。特によかったのはエッフェル塔の隣にあるプールです。なんと泳ぎながらエッフェル塔を眺める事ができるのです!

プールから見えるエッフェル塔と、テラスで日光浴を楽しむマダム&ムシュー。

最近は長水路(50m)プールで、体格の大きいフランス人に囲まれながらガシガシ泳いでいます。現在はフランス語を勉強しているので机に向かっている事が多いいのですが、水泳のおかげでリフレッシュができ、フランスのおいしいスイーツやベーカリーなど、カロリーをあまり気にせず食べまわる事が出来ています。水泳ってなんて素晴らしいスポーツなんでしょう!(*T^T)

水泳に感謝している事

辛い事があるたび、プールに行って泳いでいます。
体を使うと悩みが吹っ飛んで、水の中にいるとなんだか誰かにぎゅうーと、包み込まれているようで安心します。

小さい頃は喘息を治す為に水泳に助けられ、20代の頃は何かに打ち込む大切さ、夢に向かって努力する事を水泳を通して教えられ、30代では海外でホームシックや鬱にならないよう水泳に助けられています。(また、フランスで水が止まったときには、お風呂代わりとして大変助けてもらいました(*´∀`))

また水泳だけでなく、スポーツは人との繋がりを生み、体と心を鍛えてくれる最高のアクティビティです。

これからも一生泳いでいきたい

最近は海でボードなしのサーフィン、ボディーサーフィンにトライしている。

そしてこの先40代、50代、、80代になっても水泳に助けられ、何らかの形で水泳に関わって生きたいと心から思っています。

水泳さん。本当にありがとう。



 ★水泳記事★

★南アフリカの記事★

★フランス・パリの記事★


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?