「タビビトノキとバオバブの国を訪れて」
いまから10数年前、バオバブとタビビトノキを見たくてインド洋の西側、アフリカ大陸の右側におまけのように浮かぶ島マダガスカルに飛んだ。6月下旬のことだった。
オランダGPが終わってすぐにKLMでアムステルダムから南アフリカのヨハネスブルグへ。そして、国花タビビトノキの絵が尾翼に配されたマダガスカル航空に乗り換えて首都アンタナリボへ。3時間のフライトで到着してみれば、これが一国の玄関口かと思うほど小さな空港だった。
通貨は「ARIARY」(アリアリ)」。100ユーロ(約1万円)を両替するとゼロの数が3つも4つも多い数字の金額を言われ、紙幣がどっさり渡された。1ユーロが・・・ということは100円が・・・と、もうこの時点で「アリアリ、どうなってんの?」と計算不能。もうなにがなんだかわからないまま、一日一便しか飛んでないムロンダバ行きのフライトチケットを購入した。
マダガスカルの面積は、日本の約1.6倍、世界で4番目に大きな島なんだそうだ。首都アンタナリボはインド洋側にあり、熱帯雨林があり、バナナに似たタビビトノキが生い茂る。この植物は最高20メートルから30メートルの高さに成長する。旅人にとって方角を知る磁石になり、茎を切ると水が出るので旅人にとって貴重な水の補給源になったことからタビビトノキ(英語名ではTraveler's Palm)と名付けられたのだという。
当時、僕は中日新聞社の発行する東京中日スポーツで「タビビトノキ」というタイトルでコラムを連載していたので、どうしてもタビビトノキ原産の国を訪れたかった。そして、もうひとつの目的は、不思議な形をしたバオバブの木をこの目で見ることだった。
バオバブは、マダガスカルの東側のムロンダバの郊外に群生している。そこで、アンタナリボに到着した翌日、プロペラ機でムロンダバに向かった。フライトは約1時間。ムロンダバの空港に向けて高度を落としていくと、綿帽子になったタンポポのようなものが点在していた。よ〜く見るとそれがバオバブの木だった。
ムロンダバに到着した翌日、バオバブの撮影に行き、夢中になってシャッターを切った。これで目的のひとつを達成して大満足だったのだが、さらに、素晴らしい光景に出会う。泊まっていたのは海に面したコテージで、すぐそばまで海が迫っていた。翌日の朝、見ている前で海がぐいぐいと引いていったのだ。
マダガスカルとアフリカ大陸との間のモザンビーク海峡は、潮の満ち干が大きいことで知られ、本当に、あっという間に数キロ先まで潮が引いていった。その潮が引く前に網を打っていた漁師たちが、引いていく波にさからうように網を引く地引き網漁を行っていた。その横を頭の上に籠を載せて女性たちが海の底を歩いて行く。素晴らしい風景と光景に出合い、感動の数日を過ごすことになったのだ。
大満足の数日を過ごし、首都アンタナリボに移動した。ここで2日過ごすことになったが貧困を目の当たりにした。路上生活者が多く、雨が降った水たまりで洗濯をして地べたに干す。道路脇には、そういった洗濯物が一面に広がっている。マダガスカルは世界の最貧国といわれていたが、その現状にカルチャーショックを受けた。
思えば、到着した日に泊まったのは、空港インフォーメーションのスタッフが「安くてとてもいい」と勧めてくれた空港近くのホテルだった。掃除は行き届いているのだが、服を脱いでベッドに入るのもいやな感じだった。これまでいろんなホテルに泊まってきたが、経験したことがない恐怖だった。勿論、食事をするなんてとても無理だったし、水を買ってきて、それを飲みながら早く朝が来ないかと眠れない夜を過ごすことになった。
そんなことがあったので、ムロンダバ、そして帰国までの数日を過ごしたアンタナリボでは、「一番高いホテル」に宿泊した。ムロンダバで6、7千円。アンタナリボで一泊1万円くらいだったと思うが、「これならなんとか大丈夫」という気持ちになれた。
そして「一番高いホテル」には、どちらもベッドの上に蚊帳があり、なんかおしゃれだなあと思っていたら、マダガスカルはマラリアの最汚染国のひとつであり、そのためのものだった。
その後、外務省の衛生医療事情を見て驚くことになる。というのも、マダガスカルは、マラリアだけではなく、ウイルス性肝炎、ペスト、狂犬病、ポリオ、住血吸虫症などなど、気をつけなければならない病気がたくさんあり、マダガスカルへの赴任者は勿論のこと、旅行者もできれば、いくつもの予防接種をして行くところなんだとヨーロッパに戻ってから知ることになるのだ。
そんなことを知っていたら、こんな気軽な気持ちでは行くことはできなかった。もっと本格的に準備をして出かけていくことになったと思う。幸いなのは、6月は乾期でマラリアの発生が少ない時期だったこと。海外ではいつも、飲み物、食べるものに注意していることもあり何事もなく無事に観光を終えてオランダに戻ることが出来たのだ。
あれから10年以上が過ぎて、いま、マダガスカルは、さらに貧困が進んでいる。外務省の情報では、「マダガスカルの国民の約76%が、一日1.9ドル以下(2017年世界銀行統計)で生活する極度の貧困状態。市内の至るところが非衛生的になっている」と書かれていたし、一日も早く貧困と経済不安からの脱却を願うばかりである。
最後はマダガスカルの厳しい現状に触れてしまったが、ムロンダバで見た風景と景色は本当に綺麗だった。自分が撮った中でも大好きな写真ばかりであり、僕のフェイスブックのカバー写真にも使っている。
いつかまた、タビビトノキの国マダガスカルに行って、バオバブや綺麗な海の写真を撮りたいと思っている。
○・・・マダガスカル航空は国花タビビトノキが描かれている。
○・・・ムロンダバで宿泊したホテルは、バリ島と同じようなコテージとなっていた。すぐ目の前が海で、干潮のときは本当にすごいスピードで潮が引いていく。
○・・・この写真は僕のフェイスブックのカバー写真に使っている。一番のお気に入り。
○・・・引いていく潮の中で地引網漁をしていた。獲れるのは小魚ばかりだった。
○・・・コテージの前に来て、バオバブの土産物を売る青年。ロックオンされてしまい何時間も動かないので一個買った。いまも部屋に置いてある。
○・・・ムロンダバの街からタクシーで40,50分走ったところにバオバブが群生している道がある。この写真が撮りたかった。これを撮れたときは大満足だった。
○・・・マダガスカルを訪れたときに撮影した動画を短く編集しました。これもみてください。
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