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恥ずかしいことこそやってやれ

※この記事では、やってはいけないことをやってやれという意味で書いていくわけではありません。(笑)

大人になると、「これやったら、周りから何か言われそうだな」とか「こんなこと言ったら恥ずかしい」と思うことが増えるように思います。

子どもの頃には、そう思わなかったものもなまじ知識を付けたり、世間体を気にしたりするようになってきたことが大きな要因に思います。

教員をやっていて、一つ驚くことがありました。

それは、意見を求められた時に、挙手などをして発言する人が驚くほど少ないということです。

授業の研究会等で、「質問のある方は、挙手して発言してください」と言われてもほとんどの人は、スルーしています。

子どもに「話合いでは、自分の思ったことを発言をするといいよ」と話している方々がほとんどであろうに…

これは、私が教員になって衝撃的なことでした。

だからこそ、自分自身、的外れであろうと恥をかこうと、恥ずかしい思いをしたとしても、なるべく自分の考え等をいうよう努めてきました。

そこで思ったのです。

恥ずかしいと思うことこそ、自分が突破するべき壁であることが多いということを。

だからこそ、声を大にしていいたいのが、教師として、子どもに「自分の意見や考えを話せる大人」という背中を見せるためにも、恥ずかしいことこそ、やってやれということです。

年度初め、しばしば、子どもたちが「恥ずかしいから自分の考えを話せない」といっているのを聞きます。

自我が強くなったことによる羞恥心の芽生えもあると思いますが、一番は、身近な大人の姿や考え方ではないかと私は思っています。

大人が、恥ずかしいことに立ち向かっている経験があるからこそ、現実味のある適切なアドバイスができるのではないかと思うのです。

教師は、子どもにとって、一番身近な大人の一人です。

ですので、教師もどんどん自分の意見や考えを普段から話すように心がけるようにすると、子どもに良い影響を与えることができると思います。

これからの子どもたちにとって、媒体はどうあれ、自分の意見や考えを述べることは、とても大切になってくると私は思っています。

苦手な子にも苦手な子なりに、自分の意見や考えを伝えられるようにしていくためにも、私たちは、様々な経験が必要です。

機会を見付けて、自分の恥ずかしいと思うことにチャレンジしていけるようにしたいものです。

私自身、NOTEで執筆していると、「あぁ、恥ずかしいこと書いちゃっているな」とか「自分なんかがこんなこと書いていいのかな」と思うことがないわけではありません。

でも、いつも、教師になりたての頃、ドキドキして、授業の研究会で発言した気持ちと恥ずかしさを思い出して、

「恥ずかしいと思う事こそ、やってやれだ」

と思って、チャレンジしています。

ちょっと恥ずかしいなと思うことに、逆に突っ込んでいく精神で、毎日やっています。(笑)

ちなみに、この夏は、自分の思ったこと等をまとめて、本にしてみたいと思い、挑戦を始めました。

恥ずかしいなと思ったので、あえて書いてみました。

やはり恥ずかしい…笑

恥ずかしい

この記事を読んでくださった方が、あぁあいつもやっているし、自分もちょっとやってみるかな?と思ってくだされば幸いです。

今回もお読みいただきありがとうございました。


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