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心について

1月に全摘手術しました。以降、基本、元気です。
入院中だって可能な限り筋トレしましたし、リハビリもガッツリ。「入院生活って、めっちゃ楽しい。。。!」これは退院して約8ヶ月経った今でも、思い出すくらい楽しかった。

もちろん、他の患者さんたちで治療が大変な人たちもいますから、大きな声で「楽しい!」と言うのもどうかとは思います。でも、この「病気」は私のものです。だから、私は楽しいそれで良いんです。私の問題なんです。

休むには不健康である必要性?

先日、こんなことを言われました。

「さくらさん、病気しないと休めないの?」

「わ、、、、、!!!」確かに。わかってるようでわかってなかった。気づいてなかった、とも言えるのかもしれない。そして、その人はこう付け加えました。

「どうせ休むなら、健康で楽しいのが良くない?」

ごもっとも。おっしゃる通りです。
実は先日、熱で4、5日やられてました(コロナではなかった)。その期間、夜中目が覚めるたびにアイスノンを交換するんですが、なぜだか、私はこの「交換タイミング」が楽しみで楽しみで。冷たくて気持ちい!も、もちろんあるんですが、「交換」がちょっとしたエンターテイメントになってました。

で。朝4:30くらいにパチっと目が覚めるんです。早寝してるのもあって。
で。その時間に、あいすまんじゅうを食べるのが日課になってました。熱発中。ソレがまた楽しい。毎日、4:30が待ち遠しいんです。で、食べる。熱で大汗かいて、ある種サッパリしてる状態で、あいすまんじゅうを食べる。「なんて至福なんだ。。。!」そう思ってました。

その知人は、そこにも突っ込みました。「そんなに楽しいなら、熱出てる時だけじゃなくて普段からやったらいーじゃん?なんでやらないの?」私、そう言われて、ちょっと言葉に詰まりました。「さくらさん、これまで休んでなかったんだね」そうも言われました。

振り返ってみると。。。私、これまで病気した時とか怪我した時だけ、堂々と「休んで」ました。堂々と休むって、そもそも、休みたいなら休めば良いわけで。その開放感から、妙に幸福感を感じていたわけです。頭からガラスに突っ込んだ時も笑っていたし、帯状疱疹の時もとにかく前向きに乗り切ろうと笑っていた。それを、その知人は「歪んでる」と指摘しました。病気なのに幸福感。。。!入院中なのにリゾート気分。。。!言われて、ちょっと驚きました。

「ガンになってよかった」わけないじゃん?


そりゃそうだ。ガンになってよかったはずはないのです。よかったことは、ガンになったことで気づけたことがあったから。でも、ガンになること自体がいいわけじゃない。健康が一番なのは間違いないことです。もちろん、なってしまったことに対しては向き合わなきゃいけないし、付き合っていかなきゃならない。その前向きさと、入院中の開放感を「楽しい」と勘違いしてはいけなかったのです。。

乳がんで全摘手術受けました。ソレでも、退院したら日常を生きていかなきゃいけない。見た目は、健康的でもリスクもたくさんあります。負けていられません。
勝ち負けじゃないんだけれど、ソレでも負けていられない。止まっていられないんです。だから「ああ、また入院したいな」とさえ思っていました。堂々と休めるから。止まることが許されるから。

「元気で健康に、堂々と休めばいいじゃない?」
それを許すのは誰でもない、自分自身。

目から鱗


自分で自分の状況を否定していたのかもしれません。
私は大丈夫!そう思いたかったから。でも実際は、大丈夫なんかじゃないんです。

引き攣って痛いし、リンパ浮腫のこと考えると痛くてもグイグイマッサージできない。肩だって凝るし、肩甲骨だって頑張って回したとしても、思うようにならないこともたくさん。浮腫の発症が嫌すぎて、すぐビビる。あれもしたい、これもしたい。「やれないことはやれないけれど、やれることをちゃんとやれば、ソレなりに楽しい!」なんて言ってる場合じゃない。あれもできなくて、これもできなくて、本当は寂しい。切ない。泣きたい。ソレこそ本音です。

ああ、これ書きながらなんか涙出てきた。笑

抗がん剤治療って、本当にキツそうで。そんな人たちのことを思ったら私なんて楽勝。そう、楽勝。楽勝なんです。我慢してるつもりもまったくなかったんです、これまで。でもその知人の指摘で、いろんなことを思いました。モヤモヤしました。

でも今この感覚って、とっても大切な通過点だと感じています。
モヤモヤは続いているけれど、なんか、楽しくなるのはここからな気がして、
嬉しくなってきています。

素直じゃないんだな、わたし。

知らなかった笑


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