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恋し続けて二十余年-インドネシア・バティックとは

バティックとは、ろうけつ染めのこと。着物にもデザインが取り入れられたので、日本では「ジャワ更紗」という名前でも知られている。その名の通り、インドネシアではジャワ島を中心に受け継がれてきた伝統工芸で、もともとはインドから伝わった技術といわれている。

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チャンティンによる手描きの作業(ダナル・ハディ本店/ソロ)

 本来のバティックは、布に下絵を描き、その上をろうで線描きし、布を染液に浸して染める、手間のかかる工芸品だ。ろうで線を描いたところ、面を塗ったところは染料に染まらないので、白いまま残る。そして、染まったところにろうをかぶせ、また別の色で染めていく。ろうを使って染め分けていくので、細かい柄を出すには熟練の技が要る。

 バティックは、王族が宮廷で身につける衣装として用いられ、かつてはすべて手作りだった。ジャワ島には、現在も宗教的な権威者としてスルタン(王)がいる。妃や王子・王女と、それに連なる貴族もいて、昔はかなり厳しい階級社会だった。王族が参加する催しや、宮廷内の儀式に備えて、王宮の女性たちが一点一点ろう描きし、布を染めていたというから驚く。

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細かい模様の型押しを可能にした銅板のチャップ
(テキスタイル博物館/ジャカルタ)

 その後、銅板でできた精巧なスタンプ(チャップ)が開発されて量産が可能になり、バティックは一般の人にも手の届くものになった。大きな台の上に布を広げ、一回一回ろうにチャップをつけて、しっかりと布に押し付けると、線を手描きするよりも早く作業を進められる。とはいえ、染めの部分は手作業なので、布を染液につけたり、日に当てて乾かしたり、熱湯でろうを落とす工程は変わらない。

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力の要る型押し作業は男性が担当
(ウィノトサストロ本店/ジョグジャカルタ)

 冒頭で「本来のバティック」と断ったのは、現在、日常着にされているバティックのほとんどは、伝統バティックの柄を模したプリントだからだ。染め物は、手作業だから値段もそれなりにするし、最初のうちは色も出るので、洗濯のときに注意も要る。その点、プリントは大量生産できるので値段も安価で、ほかの衣類と一緒に洗濯もできて扱いやすい。

 バティックは、ユネスコの世界遺産登録で一層有名になったが、インドネシアの象徴として、学校の制服や職場のユニフォームとして積極的に用いられるようになった。しかし皮肉なことに、同じ柄を大量に作らなければならなくなったので、プリント・バティックがもてはやされるようになってしまった。本来的に、手仕事は画一なものの大量生産には向かない。

 かつては王族だけが着ることができる禁制模様もあったが、現在のバティックは、社会的な身分を示すものではなく、自分の好きな色や柄を自由に楽しむものだ。それでも、ひとつひとつの柄にはいわれがある。結婚式を例にとると、新婚のカップルは縁起のいい柄のバティックを着るし、新郎新婦の両親には、ふさわしいとされる柄がある。

 インドネシアの友人に、日本の着物には格があり、着ていく場所や自分の立場によってふさわしいものがあると説明をしたとき、彼女は言ったものだ。「ああ、バティックと同じね」。

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正装のバティック・シャツで結婚式に参列した男性(ジャカルタ)

 男性の長袖バティックは今でもスーツにネクタイと同等の扱いを受ける正装だし、行事や儀式などにはバティックで参加する人も多い。しかし、柄の意味はそれなりに知られているから、デザインとだけ割り切れるものでないのが伝統の重みだろう。

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ろうけつ染めを施した、本物のバティック(ジャカルタ)

 バティックが好きになって、もう20年が過ぎた。この間、時間を見つけてはインドネシアの産地に出かけて工房を訪ね、職人たちに話を聞いてきた。博物館を見学して、前世紀の古布もずいぶん見てきたけれど、それでも尽きない魅力がバティックにはある。

 恋し続けられるというのは、幸せなことだ。


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