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インドネシアのゆったり感覚「ゴムの時間」

外国で暮らしていると、いろいろな点で文化の違いを感じる。そのなかで、なかなか慣れないもののひとつに時間の感覚がある。

インドネシア語には、「ゴムの時間」(Jam Karet) というおもしろい言い方がある。インドネシア人の「柔軟な」時間感覚を指していうことばで、ゴムのように伸び縮みするイメージだ。

「予定は未定」のインドネシア時間

ジャカルタの知人の事務所でプリンタが故障して、修理に人を呼ばなければならなくなったことがあった。あいにくその時間に知人は用事があり、たまたま居合わせたわたしが留守番を頼まれた。

「1時には行けます」とエンジニアは電話で言ったのに、1時間以上は待ったと思う。遅れそうだという連絡もなく、「こんにちはー」と修理の人は事務所に現れた。

「あら、“1時に来る” と言いませんでしたっけ?」とちくりと皮肉を言うと、悪びれた様子もなく彼は言った。「ああ、お祈りに行かなければならなかったものですから」。

イスラム教徒の集合礼拝の時間は決まっている。だから、わたしと約束したあと、突然モスクに行くことになったわけではないはずだが、万事こんな調子なので「予定」は希望的な目安でしかなく、どんどん後にずれていく。約束が「1時」なら、「1時以降のいつか」に会える(かもしれない)。

それでも20年もつきあっていると、最近のジャカルタの人はずいぶん時間に正確になったと思う。空港やバスの車内の時計も(だいたい)合っている。

インドネシア人には驚異の「時間に正確な日本」

このあいだジャカルタのショッピングモールで待ち合わせをした友人は、約束の時間に10分遅れて姿を見せたが、「ごめんなさい! きっと待たせているだろうと思って。途中、渋滞で車が動かなくなってしまって…」とひどく済まなそうに言った。

なんでも、彼女が日本人教師に日本語を習っていたときに、2分(!)遅刻したら教室に入れてもらえなかったことがあるという。クラスの大半(東南アジアの生徒)が教室の外に立たされた日さえあったとか。日本人は時間に正確な人たちだ、とそのとき学んだのだそうだ。

その後旅行で日本に行って、日本では電車やバスが時間通りに来る「衝撃的な事実」を知ってからは、少しでも遅れて駅やバス停に着けば、自分が乗り遅れてしまうこともわかった。だから、わたしとの約束に遅れて、すっかり慌ててしまったというわけだ。

もちろん、約束の時間に相手が現れなければ、わたしも心配になったり、まだかと気をもんだりする。でも、わたしばかりか家族の様子まで尋ねてくれる、長いほど丁寧なあいさつを受けたり、何か助けが必要なときに、ほかの用事(仕事も!)を放り出して世話を焼いてくれる友人がいたりすると、これはこれで余裕があってうらやましいとも思う。

わたしの感覚が、だんだんインドネシア寄りになってきたのかもしれない。恐るべし、「ゴムの時間」。


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