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「読んでいるよ」というやまびこが返ってくる note という街で

出版社を振り出しに、20代から書くことの周辺でずっと仕事をしてきたので、表現することの可能性や、文字表現特有の素晴らしさはいくつも目にしてきた。

それでも、気心の知れた友人だけの SNS に投稿するのに比べて、メディアへの寄稿は怖い部分がある。どんな人が読んでいるのか、ひとりひとりの受け手の顔が、はっきりとは見えないからだ。

数十万部出ている雑誌に記事を書いても、意見や感想がいつも返ってくるわけではないから、書いたものがきちんと読者に届いているのかどうか、自信がもてないこともある。自分の記事がきっかけで、十何年も連絡が途絶えていた人同士がつながったりしたこともあったけれど、そんなことはごくまれで、海に向かって小石を投げているような気分になることもある。

誰かに届いたとしても、自分のことばが、意図しない受け取り方をされることもあるし、悪くすると、ひとを傷つけてしまうことだってある。
ことばは、ひとを救うこともあるけれど、使い方によっては深く傷つける、厄介なものだ。

月2000万人が通る note という交差点

note には、少なくとも月に1回はアクセスしているユーザーが月間2000万人もいるという。

2019年1月末と比較して会員登録者数は1.5倍の150万人、利用企業は2倍の500社超に成長。検索からの流入数は1.7倍、毎日1万件前後の投稿があつまり、投稿数は累計500万件を超えました。

というから、ずいぶん大きなコミュニティだ。

そのわりに、note では乱暴なやりとりが少ない。もちろん、ひとの集まるところにつきものの誤解や、意見対立もあるだろうけれど、今のところ気持ちを傷つけられるようなことをあまり見ていない。
外界で起きていることと自分との線引が下手なわたしは、たとえそれが自分に向けられたものでなくても、怒鳴り声にはどきんとするし、乱暴なことばには胸をえぐられるような気分になって、しばらく書けなくなることもある。

発信力という意味では、Twitter のような媒体は確かに魅力がある。けれど、分刻みでどんどん動いていくタイムラインは、追いかけているだけで疲れてしまう。友だちに勧められてのぞいてはみたけれど、雑踏のなかで人酔いした状態になりそうな気がした。反応が早い分、脊髄反射みたいなこともままあるようで、早とちりが原因の無用な衝突も怖い。

「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」

そんな note の使命の宣言が、クリエイター同士の肯定的な意見交換や、ときに孤独な創作活動を励まし合う場づくりに一役買っていると思う。

職業としてかかわっているのならともかく、「変わったことしてるのね」「ひまだな」という、冷ややかな傍観者が多かったら、何か始めてみたい人には、とても勇気が要るだろうと思う。分野は違っても、何か表現にかかわっている人、関心がある人たちが集まっているからこその適温状態が note にはあるような気がしている。

キャプチャ 1000回スキ バッジ 2019-1221-trimmed

今月note から、いただいた「スキ」が1000件を超えたという知らせが届いた。書いたものを読んでくれた人が確かにここにいる、ということだ。継続的に投稿を始めて、まだ2か月あまり。アジアのねこの写真や、気ままなエッセイに好意的な反応をいただいて、ありがたく思っている。
何よりうれしいのは、コメントでのやりとりを通じて、ふだんの生活では接点がないクリエイターの皆さんと知り合えたことだ。
新しい出会いに、心からありがとう。


読んでくださっているあなたにとって、2019年はどんな一年でしたか?
2020年には、どんな抱負をもたれているでしょう?

新しい一年が、健康に恵まれた安寧なものでありますように。
そして創作の上では、挑戦の手応えを感じる飛躍の一年でありますように。
何より、表現する喜びがあなたと共にありますように。

2019年12月31日
森野 バク


*写真 シンガポール、エメラルド・ヒルのプラナカン屋敷


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