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心に残るnote作品集

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エッセイや日記、写真、漫画など、出会えてよかった、素敵なnoteを集めてみました。さまざまなジャンルのクリエイターの皆さんに感謝をこめて。マガジンをつくる前に読んだ素敵な作品もた…
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2019年11月の記事一覧

心を晒した先にあるもの。

なぜ、晒さないといけないのかと思うときがある。心の奥にしまいこんたデリケートな事柄をどうして不特定多数の人の目に触れる場所に晒さないといけないのか分からない。 そんなものを晒したら心がやられるに決まっている。 それなのにうっかり晒したくなるのはSNSのおそろしい側面だと思う。 だってあの人もこの人も自身の過去のトラウマを葛藤しながらも晒しているじゃない。葛藤しながらも晒せるって胸を打たれる。すごく勇気があると感じる。 勇気って何? うっかり勇気だと思ってしまうよ。勇

「君みたいな人間は、東京に行って潰されてきたらいい」と言われた日。19歳の挫折と誓い

中学2年の時から、コピーライターになりたいと思っていた。 コピー1行100万円。 そんなマスコミの触れ込みにすっかり魅せられた僕は、将来の道を14歳で定め、すこし背伸びをしながらいくつかの広告雑誌に目を通してもいた。 大学に入学したのも、コピーライターになるのに有利だと聞いたからで、正直なところ、入れる大学があればどこでもよかった。 そして大学1年の5月から、宣伝会議が主宰するコピーライター養成講座に通い始めたのだった。 周りの受講生はみな大学3、4年生か、社会人。

昭和60年代から平成ヒトケタの恋愛事情 ~きわめてパーソナルな事例~

イマドキの若いひとたち---この呼びかたはあまり好きではないが---から見たら、40代後半の世代が若かりしころの恋愛事情は、古めかしくうつるのかしら。それとも新鮮にうつるのかしら。 ♢ 昭和60年代から平成ヒトケタのころ、ワタシは絶賛恋愛中だった。 もちろん、今みたいにスマホやLINEなどのない時代。直接会えないときには、固定電話か公衆電話を使って連絡をとっていた。 平成ヒトケタの時代に携帯電話(あのころは“しゃもじ”くらいの大きさだった)を持っている人は珍しく、会社