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#14 厚岸~霧多布岬

 5日目。ザーザーと降る雨の朝。サイトの森では、目の前をリスが走り回る。お湯を沸かし、コーヒーではなくワンタンスープ。昨夜の遅くに来たハーレーの兄さんは、寒くてやってられないから、今夜は帯広あたりのライダーハウスに逃げます、と。
 「おはようございます。いやー、こう寒くっちゃ動けないよね。今夜もここに泊まろうかな」。昨日、ぼくよりも先にテントを張っていたヤマハ乗りのおじさんが声をかけてくる。8月上旬だが、明日の最低気温は10℃を下回る見込みらしい。おじさんは、コロナで仕事がなくなり、愛知から北海道へ、日程のアテもなく旅をしているそうだ。おじさんのテントの横には、モノを掛けられるロープが張られていたり、ビニール傘をうまく固定してテントの前室を広げたりと、すっかり住まう工夫がなされている。
「さっき出ていった若い二人は、これから知床へ向かうらしいよ。この雨の中いっても楽しめないだろうに。」
「そうなんですか。この天気じゃ、きついですね。」
 そう。せっかくの知床半島も、この天気ではきっと楽しめない。それどころか、きっと寒くて苦しくて辛いだろう。ぼくも、もっと若ければ行っていたであろうがしかし、今のぼくであれば、今日の天気なら行かない。
 若いときにあったもの、無かったもの。歳をとって無くしたもの、得たもの。熱いワンタンスープをすすりながら、いろんな考えが交錯する。昨日、あれほど先を急ごうとしていた自分は若く、ここに留まろうとする今日の自分は大人なのか。

 今日は、テントはここに張ったまま、雨ではあるが道東を巡ろうと決めていた。寒さに備えるため、中標津のユニクロの開店を待ってからの出発である。
 開店と同時にユニクロへ入る。売り場はどう見ても夏物ばかりで、ウルトラライトダウンがパッと見つからない。店員に尋ねると、合羽姿のぼくを見て、でしょうね、寒いですもんね、というように察して、売り場まで案内してくれた。頼まずとも、値札は買ったその場で切り取ってくれた。

 釧路~標津までを結ぶR272はミルクロードと呼ばれ、一大牧場地帯を駆け抜ける。しかし灰色の空は重く低く、牧場の緑が映えない。雨で視界は狭い。道は、一直線のはるか先に車が1台いるくらいで、ほかには誰もいない。
 どう考えても交通量は少なく、信号があっても渋滞なんて起こりようがなく思うのだが、途中、R234と交差するところは、わざわざ立体交差点になっている。どうしてこんなところに立体交差なのか。そのために片方の国道にわざわざ盛り土をしたのか、逆に土地を掘ったのか。どちらにしても、平面交差よりもコストは高いだろうに。税金の使われ方が果たしてこれでよいのか、などと考えたりする。景色を楽しめるわけでもなく、ただの一度もブレーキを使うことなく30分以上も真っ直ぐに走り続けている。地方の税金の使途を考えるほど、暇なのだ。
 牧草地帯はやがて丘陵の森に変わり、緩やかなアップダウンやカーブがあるようになる。追い越し禁止車線が続くなかを、ゆっくりと走る酪農関係のトラックに追いついてしまう。もし晴天なら、道を譲ってくれないかと願うところだが、寒さのせいで、ペースダウンもそれはそれでいい。成行きに任せてしばらくチンタラと走る。
 やがて、トイレに行きたくなる。追い越し禁止区間が終わるや否や、手のひらを返したようにトラックを追い越し、先を急ぐ。幸い、5分くらい走ったところにコンビニがあった。水分を摂るとまたトイレが近くなるのは分かってはいるが、寒くて、ホットのお茶を買ってしまう。

 このコンビニのある交差点で道道14号に曲がり、厚岸(あっけし)へ向かう。コンビニでチェックしたときの天気予報では、厚岸は曇りとなっていて、確かに上から降る雨粒はない。しかし路面はビショビショで、ヘルメットのシールドはすぐに水滴でいっぱいになる。厚岸は、雨粒のように大粒の霧で包まれていた。厚岸湾の景色はせいぜい漁港くらいまでしか観えず、せめて厚岸に来たことを感じようと、道の駅 厚岸グルメパークに寄った。

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 厚岸といえば牡蠣で、その蒸し牡蠣は磯の香りがほどよく、旨味の濃いミルキーな味だった。美味しければ土産に買おうと思った牡蠣塩、それを使った牡蠣塩チキンは、牡蠣の風味や旨味はどうも感じ取れず、塩は買わなかった。
 グルメパークというだけあって人気のようで、二階のレストランは順番待ちで、館内では次の客を呼び出す放送がひっきりなしに流れる。一階の飲食スペースに流れるTVでは、中等症以下のコロナ患者は自宅療養という政府の方針を巡って、ジャーナリストや芸能人たちが言い合っていた。せっかくの旅先では、いかにも俗世間的なニュースからは離れたいが、また合羽を着て寒い外に出るのも、ひと絞りの気合が必要だった。

 厚岸湖と厚岸湾の間の橋を渡り、道道123号を東へ向かう。しばらく走って森を抜けるころには路面が乾いてくる。森を抜けると、海を観ながら草原の間を快走する。しかし、根室へ向かって絶景を観ながら走れるはずの、この北太平洋シーサイドラインは、様子が厳しい。

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 雨は、止んでいるところもあれば降っているところもあり、結局、どこの路面もしっかり濡れている。曇天のもと、右側には草原越しに高い断崖が続く。そこに打ち付ける波は荒く、まさに来るものを寄せ付けない厳しさがある。イギリスやアイルランドのロックバンドが、歌っているところを空撮したPVに出てきそうな風景を思わせる。アメリカでなくて、イギリスやアイルランド。そう思わせるのはきっと、曇り空と断崖と、草原の緑色がどこか柔らかく見えるからだろう。温暖でなく、西岸海洋性気候のように思えてくる。

 いくつかの漁港、集落を過ぎ、また雨が降りだす。浜中(はまなか)町の街を越えて向かったのは、霧多布岬。悪天でなければ、昨日はここに来て泊まるはずだったところだ。

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 岬を望む展望台の駐車場は、草原のなかにあって平らで広い。誰ひとりといない雨の土地に、自分と自分のバイクだけがポツンとある。雨で濡れるからと、ヘルメットを被ったまま展望台まで歩く。向こうに見える岬の断崖は高く、打ち付ける波は変わらず強い。福井の東尋坊が自殺の名所だなんていうが、こっちの方が確実に死ねそうな高さだ。そんなことを思ってしまうほどに、景色は寒く寂しく、険しく映った。

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 この天気で独り、ここに泊まってはいけない。結果的に、昨日は来なくてよかった。
※晴れていれば絶景、とても素敵な場所のはずです。

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