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#17 中標津~北19号線 雨と寒さと、トイレ

 6日目。本降りの雨。
昨夜、テントからの灯りも音沙汰もなく、いつまでも気配がなかったので、もしかしたら昼間の出先のどこかで事故にでも遭ったのではないか、と心配したヤマハ乗りのおじさんは、何事もなかったかのように居り、朝の挨拶を交わした。昨夜ぼくが帰って来た時は暗くて気付かなかったが、バイクをテント脇から屋根のある違う場所へ移動させ、おじさんは早々にテントに籠って寝ていたらしかった。おじさんは、今日もここに連泊するつもりらしい。

 雨風は昨日よりも強く、そして一段と寒い。旅の日程としては3日後の昼までに千歳に戻ればよく、この天候に歯を食いしばるような無理をして移動する必要はない。なんなら、今日もここに留まることもできる。
 もっと若い頃は、あっちも行こう、こっちも行かなければと、旅程にいろいろと詰め込んでいた。それが歳をとって、あるいは仕事に裁量がもてるようになると、1日くらい仕事を調整して旅を延長することだってできることもあるし、急な出費も多少は応じられるようになる。そしてなにより、そこに留まってゆっくり旅をする、という考えがいくらかできるようになってくる。

 一昨日は、根室、霧多布行きを諦めるも、その決断にかなり葛藤した。それが昨日の朝は、悪天候のなか知床へ向かうという若い二人組を、若さ故の行動だと思った。そして昼間、一昨日は諦めた霧多布に実際に行ってみて、やはり無理して行かずに正解だったと思えた。
 先に進むか、そこに留まるか。それは、若さか成熟さかでもある。歳を重ねて変わったもの。体力、気力、耐性。時間、お金、仕事の裁量。好奇心、リスク。知識や経験、モノゴトの見方や理解。歳を取って身に付けたもの、代わりに無くしていったもの。いろんな要素が絡み合う。
 しかし、ここに3日間も留まる気には、やはりなれない。今のぼくは、昨日の二人組よりは歳をとっていて、ヤマハのおじさんよりは若い、ということか。

 もはや土砂降りの中、中標津のキャンプ場を発った。走り出して数分も経たないうちに雨が侵入したようで、背中から腰にかけてツーっと冷たい感覚が伝わるのが分かる。合羽は、アウトドアメーカーを代表するハイスペックのものだが、これだけ雨の量が多いと、どうしてもヘルメットと襟の間から少しずつ雨が入ってきてしまうようだ。先が思いやられる。

 中標津空港の横を過ぎて向かったのは、市街から北へ向かって10分ほど行ったところにある開陽台と、そのすぐ手前にある町道、北19号線だ。
 開陽台は、まさに開けて陽を遮るものがない高台で、中標津の牧草地帯を越えて遥かに続く地平線を見渡せる。地球が丸いことがわかるほどにパノラマな景観を楽しめる、道東を代表する観光スポットの一つだ。
 北19号線は、牧草地の丘をアップダウンしながら一直線に伸びる町道である。一般的にどうなのかは知らないが、北海道を旅するバイク乗りにとっては有名な道で、開陽台に上る入口手前がビュースポットになっている。
 開陽台も北19号線も、過去に一度来たことがある。しかも、この雨では景色なんて楽しるはずもなく、行っても仕方がない。それは分かっているが、山や海、滝や湖などでなく、広大な畑や牧草地帯を道が一直線に貫く景色、それこそが北海道らしさだとぼくは思っている節がある。だから、開陽台の展望台には行かずとも、北19号線は改めて行きたいと思った。

 予想とおり、北19号線には車もバイクも人もいない。遠く向こうまで続く道は、一応は見えるが、雨の印象に引きずられ、北海道の雄大さを感じることはできない。ただただ土砂降りの中、道の真ん中にポツンと自分がいるだけで、「こんな天気にそんなところで、どうしたの?」と怪訝に思われそうな情景である。「やはり行きたい」と思って来てみたが、感動する要素はなに一つなかった。
 どうして行きたいなどと思ったのか。そこに山があるから登るんだという、登山家の習性に似たようなものか、執着か、挑戦心か。あるいは、仕事を休業しているんだ、これくらいはがんばらないと、という自浄のためか。全く自覚はないが、説明のつかない、そういうもののためだったのかもしれない。

 こんな日に訪れる人なんてさすがに誰もいないか。それが確認できたならば、もうこれ以上ここに居る理由はない。
 町道、そして道道150号線を西へ向かう。雨と風、牧草地帯、ところにより防風林。他には2台か3台のトラックを見かけたくらいの、寒く寂しく苦しい道のりの始まりである。
 ブーツの中はとうにビショビショだが、太腿あたりもじわりと濡れ、いよいよパンツまで染みてきたのが分かる。背中はともかく、下半身についてはどこから雨が染みてくるのか、全く原因が分からない。合羽の耐水性の問題だとしたら、もはやどうしようもない。これ以上敵の侵入を食い止めることはできず、果たしていつまで耐えられるか。陥落は時間の問題である。

 寒くてトイレに行きたくなるが、牧草地が続くばかりで、コンビニや店はおろか、牛舎以外の構造物など到底ありそうもない。男だからその辺で立ってすることもできるが、そんなことをすればさらなる雨の侵入を許す。濡れた分だけ、体温を奪われるペースが早まる。我慢する。我慢するが、果たしてどれほど耐えられるか。
 パンツの腰回りはかなり染みてきいている。もう、このまま走りながら漏らしてしまおうか。いや、さすがにそれはできない。パンツは替えがあるとしても、ジーパンはこの一本しかないんだ。いやいや、着替えの問題ではない。大人としての節度の問題だ。それに、これ以上体を濡らすわけにはいかないんだ。
 そうやって、ギリギリのところで一線を踏みとどまる。お漏らしするくらいなら、多少は雨に濡れてでも立ってその辺でした方がマシなはずだが、パンツの濡れに感覚が鈍り、雨かおしっこか、もうどちらでも一緒だろうと思えてくる。その思考を何度か繰り返してしまうくらいに辛い時間が続いた。そうして、ようやく国道243号に出た。道路標識には弟子屈(てしかが)という文字が現れるようになり、ひとまずの目標であった道の駅 摩周温泉が具体的になってくる。
 荒れた天気ではあるが国道らしく、ちらほらと他のバイクとすれ違うようになる。誰もが寒そうで、視界も悪く、すれ違うライダー同士の挨拶は、ハンドルを握っていた手の平をちょこっと上に挙げるだけの、会釈程度になる。前から来る雨を少しでも防ごうと、まるでレーサーのように身をかがめて、前だけを見つめて先を急いだ。

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