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#15 霧多布~落石~根室 東の国から

 寒さで手がかじかむ。5分も経たないうちに展望台を後にした。駐車場に戻りトイレに行くが、雨で濡れて硬くなったジーパンのボタンフライを留めるのに、寒さで指が痛く、苦闘する。

 予定していた時間よりは遅れているが、どうしても温まりたい。岬と町の間の、町はずれにある『霧多布温泉ゆうゆ』は、誰もいなかった岬の印象からは想像できないほどに客がいて、明るいショックだった。駐車場に停まっている車の殆どは地元ナンバーだが、1台だけ他県のバイクがあった。脱衣所には、おそらくは少しでも乾かしたいのであろう、1着のズボンとグローブが垂れ下がっていた。きっと、バイクで来た人のものであろう。
 体は芯まで冷えきっていて、体洗いを急いで済ませ、慌てて湯船に浸かる。やはり、日焼けした手首は痛く、湯から出さなければならない。湯船では、夏休みで帰省したのであろう孫を連れたおじいちゃんが、満面の笑みで子供と風呂に浸かっていた。湯船から見る外の景色は、激しい雨模様と海の灰色だった。

北海道新聞

 風呂を出て、熱さを冷まそうと館内のソファで寛ぐ。浜中町はルパン三世の原作者の出身地ということで、館内には関連グッズが売られている。ソファの横にあった新聞を手に取ると、一面には『異例の五輪 閉幕』、『道民 喝采と不満』とあり、昨日で東京オリンピックが終わったことを知る。

 すっかり頭がポーっとする。塩化物の湯で温まった体は、いつまでもポッポしている。このままいつまでもソファに居座ってしまいそうで、よし、とわざわざ覚悟をして、濡れた靴下に再び足をいれ、土砂降りの外へ出た。

 岬から再び道道123号へ戻ると、雨は降っておらず、路面も所々は乾いている。北太平洋シーサイドラインは道道123から142へ乗り換え、さらに東へ続く。道は、少し内陸へ入れば森、海側へ出れば草原という景色を繰り返す。
 再び海側へ出ると、断崖だった海岸線は砂浜に変わり、内陸側はなだらかな丘陵が広がる。ぶつかり、互いに譲らずせめぎ合うようだったこれまでの陸、海、空の境界線は、ここではみな丸くなり、優しく繋がっている。断崖が砂浜に変わったこと、断崖にぶつかっていた波の荒さが、砂浜によって穏やかになったからであろう。あるいは、本当はもともと穏やかな景色なのだが、さっきまでは寒さや辛さに強く影響されながらモノゴトを見ていただけかもしれない。だが、地図によればこの辺りは『映画やドラマのロケ地になる北海道の原風景』とあった。やはり、確かに美しい場所だ。

シーサイドライン

 道は内陸へ向かい、途中からJR根室本線と並行しながら東へ進む。道道142を最後まで東へ進むと、T字路に突き当たる。この角にあるガソリンスタンドで給油し、地図を確かめる。ここを左へ行けば根室市街方面だが、右へ曲がり、落石(おちいし)へ向かった。きっと人気などなく寂しいところと思っていたが、海抜の少し高いところをいく道からは、眼下にたくさんの人家や漁港が見えた。落石は、ドラマ『北の国から』で、蛍が不倫、駆け落ちし、暮らしたところである。
 そのときのぼくには、蛍は十字架を背負い、人目をはばかるように暮らしていたと思われ。そしてこの落石は、世間からは離れた果ての地で、人生に迷い、厳しさに耐え、犯した過ちを償う場所のように思われ。落石とは、そういうところだと想像していた。
 キャンプでは、ガスを使えば簡単なのをわざわざ焚火、ときには枝拾いから始めるのは、それが好きだからなのだが、小さい頃に観た『北の国から』の暮らしぶりや黒板五郎の姿が、強くある。この春に主演の田中邦衛が亡くなって、ぼくの中で大切に感じていた一つの時代が終わったというか、名残惜しさや悔みの気持ちがあった。富良野や羅臼のロケ地には行ったことがあるが、道東に来たのであれば、落石にも行こうと思っていたのだ。
 実際には、ドラマで撮影された場所がどこかは正確には分からず、この辺りのこんな感じだったかな、とあいまいな記憶と想像だけを頼りにウロウロし、灯台の手前まできて折り返した。

 来た道を戻り、先ほどのガソリンスタンドを越え、さらにそのまま根室方面へ向かう。その途中に、昆布盛という地名があるのに気付いた。ぼくの職場の近所にある中華料理屋の店名と同じ(実際には昆布森)で、店名の由来が気になっていたからだ。集落まで下りていくと、人家はたくさんあるが人の気配を全く感じず、カラスだけが盛んに屋根や電線をはね回っている。みな身を潜めているか、全員が出払っているかのような、完全な静けさである。集落を外れてさらに行くと漁港があり、漁港の南側は岬の断崖絶壁となっている。漁港にとっては、天然の防風壁だ。

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 その絶壁は、真っ直ぐ垂直に切り立ち、黒に近い濃い灰色で、その高さ、長さ、近さは漁港全体を丸ごと覆ってしまう威圧感と、他の世界と隔絶するような絶対的な厳しさがある。間近で観ると、黒部ダムや明石海峡大橋といった巨大な構造物を見たときに憶えるのと同じような恐怖感が湧く。そして、その断崖の上なのか向こう側なのか、巨大な風車の塔がそびえたつ。もし風車の羽が付いていたならば、その様子は、アニメ進撃の巨人で、壁の上から覗き込み、街に迫る巨人を彷彿とさせた。集落の人々はみな、巨人に食べられてしまったのであろうか。
 町も漁港も人の気配がしなかったせいで、余計に不気味な方向に考えてしまう。この歳になっても、在りもしない妄想をして、道草を食った。

 道道142号を根室市街へ向かうと、徐々に家々が増え、街としての雰囲気を感じられるようになってくる。厚岸からは、街らしい街からずっと離れ、寂しく厳しい風景ばかり目にしてきたからか、人の営みが多くある風景に、安堵する気持ちが湧く。
 サンマの季節になると、今年の漁獲量はどうかとニュースに映るのが根室で、日本の東の端の街はどんな様子かとウロウロする。街としての規模は、北の端である稚内の方がちょっと大きいかなといったことろか。根室駅前は閑散とし、数台のタクシーが休んでいる。夏といえば花咲ガニで、駅前の土産物屋からはカニを蒸すのであろうセイロから湯気が立っているが、中には本当にカニなど入っているのだろうか。そう思わせるくらい閑散としていた。
 根室市街に来て、具体的にどうするという予定もなかったが、キャンプ飯が続き、そろそろ生の魚が食べたいと思っていたころだった。そうして国道沿いを流すとすぐに、回転すしの『根室花まる』があった。たしか、北海道のすしチェーンの勢いがよく、都内にも出店するという記事が新聞にあったのを思い出した。地場の回転すしは、地のモノを手軽に食べられ、いいと思っている。
 寄ってみれば、駐車場には他県ナンバーのハーレーが2台、他に車もけっこう入っている。楽しみで入ったのだが、すでに満席で30分待ちだという。当然のごとくすぐに食べられると思っていたものだから、30分待ちという案内に面食らって、反射的に、それじゃあいいですと店を出た。

 夕方の5時過ぎだが、どうしようか。だんだんと、フラれたような気分になってくる。寿司を練がましく思うようになってくる。時間に余裕があれば、根室湾沿いを北に走り、野付半島手前の温泉に入って帰ろうと思っていたのだが。それで寿司屋を探して外食するとなると、たしか19時と聞いていたキャンプ場の車両入口の門限を過ぎてしまう。温泉は、すでに霧多布で浸かったからまぁいいかと、あっさりと諦める。中標津へ向かいつつ、地図ではちょっとした街になっていそうな、別海町に行けばなにかあるだろうと、R44を西へ向かった。

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