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#4 積丹半島~小樽、北へ 人気のない道、色気のある街

 ジージージージー!ミーンミーン! キャンプサイトのあらゆる木々から、蝉たちが一斉に鳴き出す。日の出にはまだまだの、朝の4時過ぎだった。一斉に15分くらい鳴き続け、そしてまた一斉に鳴き止む。サイトには何事もなかったかのように静けさが戻る。この蝉たちの15分間がいったい何だったのかは分からないが、それ以上深く考えることもしなかった。
 しかし、止めようがなかった蝉のサイレンは、耳でなく脳に響き、すっかり眠る気が失せてしまった。昨夜は暑さでなかなか寝付けず、ちゃんと眠れたのは2、3時間程度か。なんだか朝から疲れている。他のテントの皆はまた眠ったのか、物音はしない。起こさぬよう、静かにこっそりテントを撤収する。

 積丹半島はまだ誰も動き出していない静けさで、海沿いを北へ、神威岬からは東へ向かう。積丹ブルーとよばれる美しい色のはずの海だが、6時前の海はどうもそれらしい色には見えず、他の海域の色と変わらない。途中、海鮮丼の店が並ぶ通りがあり、ウニ丼がうまいとお薦めの店を教えて貰っていたが、営業しているはずもなく、横目に通り過ぎる。
 R229は小樽方面へ少し内陸に向かうところを、遠回りだが海側に折れ、道道913を行く。地図では海に近いところをいくと思っていたが、道は森と山の中を進む。今日はまだ誰も通っていないであろう森は、夜のうちに浄化された新鮮な空気が満ちているような神聖さがある。そこを排気ガスで汚してしまうのが躊躇われ、誰もいない道を、スピードは上げずにゆっくり走る。
 再びR229に合流し、余市からR5に入る。道の両脇に続いていた森はすっかりなくなり、道は片側2車線に広がる。その頃には眠っていた町は起き始め、通勤の車やトラックの流れに乗って、ただただ直進する。森で浄化された新鮮で清らかな気持ちは、とうに失くしていた。

 小樽に近づいた頃には完全に通勤時間帯で、朝の小樽市街をぶらっと流す。雑誌やWebサイトでよく目にする夜の小樽運河は、ノスタルジックで穏やかな場所だと思っていた。だが実際には、運河のすぐ横は片道3車線の大きな道が並行し、大型トラックや多くの車が行き交い、ノスタルジーなど微塵も感じさせない、現役の空気だった。徒歩でなく、車やバイク目線だからそう感じるのであろうか。
 会社や店はまだ営業していない。運河から少し内陸側へ入った堺町本通りは、歩道を行く人も車も少なく、脇見をしながらノロノロと流す。江戸とは違って明治の街並みは、100年も前のものであるが、現代にも馴染みのある堅牢さ、そして美しさを感じとれる。祖父のお母さんとか、母のお爺ちゃんとか、かすかに聞き覚えのある時代の名残だからか。
 海側から内陸方面を見上げたり、内陸側から海の方を見下ろしたり、もうしばらく街をウロウロする。函館、横浜、横須賀、神戸、尾道、佐世保、長崎。都内なら三田から高輪台あたり。そして小樽。なぁんかいいなぁと、観ていて飽きない街は、どこも坂がある。
 小樽を出たら東、そして北へ、道北方面を目指す。途中、どうしても通過しなければならない札幌、石狩は、地図で見ると単調そうな道で、退屈を覚悟していた。
 真っ平に広がり遠くまでまっすぐに見通せる広い道。その周囲には畑だか野原、更地、倉庫などの物流拠点が点在する。主だった商業施設はガソリンスタンドやコンビニくらいだが、それらの敷地はどれも広大で、本州では見ることのない大型のトラックが出入りする。交通量はいくらかあるが速く流れている。

 だだっ広いところを、大きなものが、次々と行き交う。そのスケール感や雰囲気は、アメリカの都市間を結ぶ国道を思い起こさせる。しかし、やっぱり退屈で、そして暑い。

 石狩から天塩までの日本海沿いを南北に結ぶ道を日本海オロロンラインといって、なにやら景観が楽しめそうな道に思うが、しばらくはそんなことはない。片道2車線だった道は、石狩川の手前あたりから片道1車線となり、内陸の景色が続く単調な道で、ずいぶん走ったつもりだが、いっこうに石狩市から抜け出せない。
 さほど面積が広い印象はないが、高速道路を走るとなかなか越えられない、ギャップの大きい都道府県の第一位は、広島県(山陽自動車道)、第二位は栃木県(東北自動車道)。こんなことを思い起こしながらひた走る。
 それでも、ようやく道が海沿いをいくようになると、いくらか景観を楽しんだりできるが、それも10分ともたない。今朝の5時半過ぎから走り出し、バイクの時計は10時半過ぎ。強い陽射しがじわじわと、体と気持ちを炙ってくる。座りっぱなしですでにお尻が痛い。お腹も空いた。

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