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#18 道の駅 摩周温泉~阿寒湖畔

 寒さ、尿意に耐えた末、ようやく道の駅 摩周温泉に着く。ヘルメットを脱いで一瞬でも頭をさらすのがイヤなくらい、雨は激しい。小走りでトイレへ駆け込んだ。ひとまずの安堵であったがしかし、寒さでかじかんだ手指は思うように動かず痛く、また湿って硬くなったジーパンのボタンフライが、留められない。合羽のパンツは半脱ぎ状態で、次の人の邪魔にならないよう、ペンギンのようにひょこひょことトイレの奥の隅っこへ移動し、ボタンと格闘する。

 道の駅 摩周温泉は、雨宿りで駆け込むライダーがひっきりなしに出入りする。入ってくるだけでなく出ていくバイクも多いのは、ここに居場所がないからだった。混雑した屋内施設には座れるところがなく、他に屋根のあるところは、外の足湯か喫煙所の東屋しかなかった。足湯では、車で来た数組の人たちが足を入れてのんびりと温まっている。喫煙所は狭く、詰めれば5,6人は入れるだろうが、コロナ禍で人との距離を気にしている今、詰めて入るわけにもいかない。結局、寒さを凌いで座って休める場所がない。トイレから出てきた後、ウロウロとしてはみるが、居場所が見つからず、多くのライダーは止む無く、また出ていく。
 ぼくは、たまたま喫煙所の東屋が空いたときにに入れて、そこからそういう風景を見ていた。そこで、品川から来たというハーレーのやや若い男性と一緒になり、寒さに震えながら少し話しをした。

 彼はこれから釧路方面へ南下する予定だが、この雨で出るに出られず、ネットで雨雲レーダーを視ながらタイミングを図っていた。1時間後に雨のピークは通り過ぎる見込みだが、それまでここで1時間を過ごすのも辛い。足湯に浸かって束の間の暖をとったところで、その後にまた、ずぶ濡れの靴下とブーツを履くのを想像すると、足湯から出られなくなりそうで、それも辛い。行くも地獄行かぬも地獄だ、と。それにはぼくも同調した。そうこうしているうちにまたトイレに行きたくなった。
 トイレから戻ってくると、足湯が空いていた。こうしておしゃべりをしている間に雨のピークが過ぎればそれでよいかと、ぼくも彼も思うようになり、二人で足湯に浸かった。

 仕事はいわゆるオフィスワーカーだという彼と、コロナ禍における飲食店に対する協力金のあり方などについて話した。まさに協力金を貰い、こうして店を休業して旅に出ているぼくを、別段、哀れんだり羨んだりするわけでなく、都内の飲食店の様子や政府の施策に対する意見交換のような会話だった。他に、ここから釧路までの道のりや、釧路湿原のビュースポット、北海道へのフェリーは大洗発がよいか仙台発がよいか、などについて話した(主に関東から北海道へバイクで行くには、フェリーで大洗か仙台~苫小牧などがある)。
 30分か40分くらいのその間、足湯まで来て湯に手を入れたライダーはいたが、足を入れた人は一人もいなかった。

 そろそろ雨のピークが過ぎるころだが、足湯のお湯はぬるく、せいぜい足先がちょっともとに戻ったくらいで、体はちっとも温まらない。また、濡れて冷たい靴下を履くのはこの上なく億劫で、いくらかの覚悟が要ることだった。互いに道中の無事を祈り、ぼくはもう一度、3度目のトイレへ行って、それぞれ道の駅を発った。

 明日、少しでも天気の回復が見込める帯広を目指し、阿寒横断道路とも呼ばれるR241を西へ向かう。雨は再び強くなり、阿寒湖に向かって標高が上がる山道は、急なカーブが続くようになる。晴れていれば気持ちよくワインディングを楽しめるはずだが、濡れた路面に視界も悪く、前をいく車はノロノロとしている。また、尿意との闘いとなる。かろうじて阿寒湖畔温泉の町のコンビニに間に合い、併設のバスセンターのトイレに駆け込んだ。

 バスセンターといっても、駐車場にバスは一台もないし、バスを待つ客もいない。建屋内は待合所としての機能もあるのか、誰でも入ってよいような場所で、壁には観光案内らしきポスターなどが貼ってある。だが、古い建屋の一室に事務員らしき人が一人いるだけで、他に誰もおらず、その一室以外には電気も点いていない。まるで廃業の雰囲気である。おまけにトイレには、「トイレを破損した場合は警察に通報し、賠償してもらいます」という趣旨と、破損に対する怒りの感情が強くこもった文言の張り紙が、数か所にある。イソップ寓話の北風と太陽の、北風だな、と呟きながら、またジーパンのボタンと格闘する。

 寒さがあまりにつらく、怪我でもして助けを求めるように、なにか温かいものを求めて隣のコンビニへ入る。熱い肉まんでもあれば嬉しいが、8月中旬の今にそれは叶わず、他にこれといってピンとくるものがなかった。飲めばまたトイレが近くなることは分かっているが、致し方なくホットの缶コーヒーを買う。一刻も早く温もりが欲しいのだが、店員はのんきなもので、レジの動作が遅いことにいら立ちを憶える。
 しかし、コーヒーの温もりは刹那的である。体を温めたければ、コーヒーが温かいうちに飲まなければならず、手を温めたければ飲まずに握りしめている必要がある。両方を温めることはどうしても叶わない。飲んで中身の減った缶を握りしめても、もう、温まることはない。びしょ濡れのグローブの水気を絞り、手にはめて、まだ熱のあるエンジンに手を当てて、いくらかの暖をとる。
 飲みほしたコーヒーの空き缶は、また袋に入れてバイクの後部に括り付け、もう一度トイレを済ませて、阿寒湖畔を発った。

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