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#3 積丹半島 キャンプ飯の炊き方

 山から海に向かうようにして入ってきた岩内町は、積丹半島の西の付け根あたり。今日はどこまでいけるか、どこに泊まろうか。北海道ならキャンプ場はいくらでもあると高をくくっていたが、しかしコロナ禍にあって北海道もまん延防止措置の最中で、閉鎖のキャンプ場も多いと聞いていた。数日前に、目当てのキャンプ場のいくつかに問い合わせたが、いずれも閉鎖されていた。ここから先、地図上ではすでにキャンプ場の選択肢は少ないし、そこが開いているかどうかも確認できていない。

 そろそろ陽は斜めに傾き始め、積丹半島を日本海に沿ってR229を北へ向かう。盃温泉郷という大きな看板を目印に曲がり、2軒の旅館を過ぎ、坂を上ると、盃野営場という看板と、石ころの駐車場が広がっている。そこに先客と思われる1張のテントがある。

 「ここがキャンプ場?」。見渡したところ水道もトイレもなく、禿げた芝生だか草と石ころが平らに広がっているだけの、駐車場のようだった。地図では、園地、野営地、野営場などと表記される場所がある。本州で、キャンプ場だと思って行ってみた園地、野営地と呼ばれるところは、文明の利器はなく、本当にただの平らな土地があるだけのところばかりだった。ここも、そういうところだったか。バーベキューをするだけならともかく、一晩を過ごすにはあまりに心許ない。やめよう。(※後で調べたところ、実際にはこの先に道が通じ、奥にサイトと炊事場があります)

 そうしてさらに北へ進み、神恵内(かもえない)の町に入った。地図では老舗の寿司と紹介されている店は、閉まっている。他に店は見当たらず、ここまで来るしばらくの間にもコンビニやスーパーはなかった。これより先はもっとなさそうである。この辺りで寝床を決めたい。どうか開いていてくれという期待と願いを込めながら、海沿いの国道から山へ向かって坂を上った。

 チラホラとテントがあり、人の声がする。やっているようだ。神恵内青年少年旅行村のキャンプ場は、海を眺める高台にあり、なだらかな丘に芝生が茂る。バンガローからは子供のにぎやかな声が聞こえるが、平日ということもあってか客は少なく、サイトには2組の家族のテントと、ぼくのようなソロ用のテントが2張。穏やかで静かだ。受付時刻は過ぎていたようだが、まだ管理人が残っており、ついでに薪も買わせてもらう。1張600円。

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 寝床を確保できたならら、ようやく次の問題である。今夜の食料の調達とお風呂、どちらが先か。キャンプ場の近くに温泉とスーパーがあるのがベストだが、残念ながら今日は叶わない。陽は完全に傾き、日没は間もない。

 ここからずいぶんと戻ったところにあるコンビニまではおよそ20分、往復40分くらいか。他に飲食店もない。温泉も営業終了はそれなりに早いだろう。神恵内の街にコンビニはないが、たしか、小さな商店ならあった。ひとまずそこへ行って営業時間を教えてもらう。20時までやっているというから、またあとで来ますねと告げ、先に温泉へ行くことにする。

 半島を北へ向かってしばらく走ったところにある珊内(さんない)ぬくもり温泉。地元の小さな温泉施設で、駐車場の前では、地元のお婆ちゃん同士がおしゃべりをしている。浴場には一人の先客と自分。湯船に入ると、その先客が「どこから来たんですか?」と話しかけてくる。駐車場でバイクを見てこう尋ねられるのはツーリングでよくあることだが、まさか湯船で声を掛けられるとは思ってもみなかった。どうしてぼくが旅の途中だと分かったのだろう。湯船の中にあってぼくは素っ裸で、旅らしい格好をしているわけでもないし、無精ひげを生やしているとか、そういった旅の要素はないはずだが。不思議でならないが、彼のカンが鋭いのだろう。

 やがて彼は湯を出、しばらくしてまた別の客が入ってくる。また、「どこから来たんですか?」と尋ねられる。今度は逆に、なぜぼくが他所から来たとわかったのか尋ねる。どうやらその彼とは、泊まるキャンプ場が同じで、ぼくがテントを張り、またバイクに乗って出ていくのを見て、知ってくれていたらしかった。彼は、休暇を取って青森から北海道へドライブ旅行の途中だという。コロナで仕事がどうなったとか、どこそこのキャンプ場は熊が出て閉鎖だとか、いくつか教えてもらい、ぼくが先に湯を出る。まろやかだった温泉の湯は鉄分か塩分が多いらしく、脱衣所の扇風機に当たっても、いつまでも体がポッポする。陽は海岸線の向こうに完全に沈み、薄暗くなりつつあるR299を、神恵内の街角まで急いで戻る。

 旅先では、せっかくだから地のものを食べたいとは思うものだが、時間が遅かったせいか、小さな街の小さな商店の品揃えは、乏しかった。生のものは、氷下魚(こまい)だかなにかの魚が10尾ほどパックされたものだけで、一人でそんなに食べる気はしないが、他にはない。魚を諦め、惣菜の玉ねぎ天と丸美屋の麻婆の素、それにビールとワンカップ、お茶に翌朝用の野菜ジュースを買った。ビールが冷たいうちにと、急いでテントへ戻る。

 お米といくつかの調味料だけは予め持ってきており、何年ぶりかの飯盒炊飯である。飯盒用のアルミ缶で米を洗ったら、人差し指をお米の面に付け、指の第一関節のところまで水を注ぐ。たしか、これがぼくの目安だっだと思う。

 焚火の火が安定したら米の入ったアルミ缶を強火の火にかけ、缶ビールをプシュッと開ける。こういうときのビールは格別にうまい。米を炊く間はビールを片手に焚火の世話で、ゆっくりと火を楽しむ。やがて蓋の隙間から湯気が噴きこぼれ始める。そうしたら薪をバラしてやや弱火にする。やがて湯気は弱まり、湧き上がる白いものは湯気か焚火の煙か分からなくなる。そろそろかな、と思うところでアルミ缶を火から外し、蓋をしたままアルミ缶を逆さまにして、しばらく置く。

 炊けた米は少し柔らかめで、鍋底には多少のおこげが付いた。自慢だが、うまい。「マニュアルにはしきれない、経験と勘」。得意になって、独りそんなことをつぶやくが、麻婆の素は買ったが豆腐は買い忘れていた。あてにならない経験と勘の麻婆丼。豆腐がないとちょっとしょっぱく、ワンカップの酒がすすむ。

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 賑やかだったバンガローの家族たちも寝付いたのか、サイトは静まり返っている。だが、何か所か蚊に刺されたのと、夜になってもさほど気温が下がらず、痒くて暑くてちっとも寝付けない。カサカサと外でかすかに物音がする。キツネが食べ物を探しにやってきていた。

1日目 千歳~支笏湖~ニセコ~神恵内

1日目


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