見出し画像

生き方は、「地球人」

1 多様性の追求

今、世間では働き方を変えようとしている。
学生、新社会人の頃は、働き方なんて、既に決まっているものだと思っていた。だから考えるものだとは、一切思ったことが無かった。
日本人だから、世間で言われている「安定した生き方」が当たり前だと思っていた。
ところが、その考えは旅へ出た時に全て消えてなくなった。

働き方を変える事は、生き方を考えること。
人と同じ生き方なんて、無い。
世の中には、様々な生き方が、ある。
幸せなら、どんな生き方もOKでしょう。

2 鎖国中の日本


日本人は、いまだに生き方に「こうすべきだ」を手放せないでいる。
「年金をもらえる様に働かなければならない」
「大手企業に勤めた方がいい。理由はないけど。」
「出世しないと給料増えないよ」
「給料増えないと、幸せになれないよ」
「30歳なんだから結婚しないとね」
「年金と退職金はあるの?」
「正社員になったから生涯安心だね」
etc。。。


3 ボーダレスな人たち

世界には、日本の当たり前が通じない国がある。
その人たちは、幸せになれないのか?
日本人である僕らが考える生き方じゃないと、人は幸せになれないのか。

そこに「国」と言う概念は関係あるのだろうか。

国際化と言われて久しいが、グローバルってどう言う意味?
これは、言葉の話ではなく、異文化の人たちとコミュニケーションできるか、
と言う意味だと考えています。

だから、生き方や幸せに決まった形なんかないし、
自分たちの社会の定義で、人の幸せを決めてはいけない。
自分と違う幸せに、口を挟んではいけない。これは本当に余計なお世話。

その時点で、既に「日本人だから」と言う接頭語はナンセンスだと思っています。
外国へ出たら、本当に実感します。

例えば、日本国内でも「東京出身だから」「地方出身だから」と言って、何が違うのでしょう。
東京出身だから幸せなのでしょうか。

国際化、グローバル化とはボーダレスな社会。
日本人だからこう生きなければ、日本人は日本人の生き方があると異文化を受け入れられなかったり、「どうせ日本では無理だよ、現実を見なきゃ」
「それは外国人の話でしょ」と受け入れる前から線を引いてしまっては、鎖国が強まるばかり。

自己限定してしまっては、井の中の蛙と同じ。

自己限定を解き放ち、異なる存在や概念、習慣を受け入れる人、それが地球人。

「異」が当たり前になれば、違いに対して自己防衛せず、「素晴らしいね」と承認できるのではないでしょうか。

今、ヒトは変わる時なんだと思います。
ニューノーマル、令和時代、物事はどんどん変わります。
じゃあ、我々は変われますか。

あえて言うなら、ニュータイプ?!


※写真はアリゾナ州セドナの朝日です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?