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オランダの旅でミッフィーが気づかせてくれた、「ぬい撮り」の面白さ

何年前かの春、山梨へ桜を見に行ったときのことだ。

美しく咲き誇る桜にカメラを向けていると、少し離れたところで、可愛いクマのぬいぐるみを手にして、桜をバックに写真を撮っている若い女性がいた。

彼女はいわゆる、「ぬい撮り」をしていたのだ。

すると、その光景を不思議そうに見ていた中年の女性が、小馬鹿にしたような口調で言った。

「いい大人がぬいぐるみで写真撮ってるなんてねぇ……」

それを横で聞いていた僕は、その若い女性に聞こえてしまうような声で言う無神経さに腹を立てたが、内心では、似たようなことを思っていた気がする。

ぬいぐるみと一緒に写真を撮って、いったい何が楽しいんだろう、と。

ところが、である。

つい最近、僕も偶然の成り行きから、「ぬい撮り」デビューをすることになったのだ。

そして、ようやく、あのクマのぬいぐるみと写真を撮っていた女性の気持ちが、わかるようになった。

そう、不思議なくらい、「ぬい撮り」って楽しいのだ。


アムステルダム

最初の出会いは、オランダのアムステルダム、スキポール空港だった。

どんな国を訪れても、その国に着いたことを実感できる瞬間がある。

だけど、まさか空港の、それも入国ゲートを出たすぐそこで、オランダへ来たことを心から実感できるとは思わなかった。

そこにずらりと並んでいたのは、可愛いウサギのぬいぐるみだった。

オランダを代表するキャラクター、ミッフィーのぬいぐるみがたくさん売られていたのだ。

色とりどりのミッフィーは、あのシンプルなデザインながら、思わず足を止めて、一つひとつ(一匹一匹?)見入ってしまうほどの可愛らしさだった。

もちろん、日本でだって、ミッフィーの存在は知っていたし、何度もその姿を見たことはあったはずだ。

でも、アムステルダムの空港で、まるで旅人を出迎えてくれているかのように並ぶミッフィーは、思わずキュンッとした気持ちに包まれてしまうほど可愛かった。

あるいは、オランダにおけるミッフィーは、日本のハローキティのような愛すべき存在なのかもしれない。

長かったフライトの疲れと、異国に着いたばかりの緊張感を、すーっと柔らかく癒してくれたのは、思いがけず出会えたミッフィーだった。

アムステルダムの街を歩きながらも、ミッフィーのことは気になっていた。

セレクトショップのショーウインドーではミッフィーがモデル役を務めていたし、国立美術館にはフェルメールの『牛乳を注ぐ女』の服装をしたミッフィーまで売られていた。

オランダの旅のお土産に、ミッフィーのぬいぐるみを買うのもいいかもしれない……。

ただ、それこそいい大人の男が、ウサギのぬいぐるみをお土産に買うというのも、なんだか勇気がいる気がした。

そもそも、ぬいぐるみをお土産に買ったところで、部屋に飾るくらいしか使い途がない。

しかし、次に訪れたユトレヒトの街で、もう我慢ができなくなってしまったのだ。

ユトレヒト

ユトレヒトを訪れたのは、世界遺産のシュレーダー邸を見たかったからだが、その見学を終えた後、ふと、ここがミッフィーの生まれた都市であることを思い出した。

ミッフィーの生みの親であるディック・ブルーナの故郷こそ、このユトレヒトなのだ。

そこで、街の土産物屋に立ち寄ってみると、予想通り、店内の棚という棚をミッフィーのぬいぐるみが占拠していた。

いや、もはやミッフィーのグッズ以外を見つけるのが難しいくらい、マグカップから絵本まで、ありとあらゆるミッフィー土産が売られている。

でも、心惹かれるのは、やっぱりぬいぐるみだ。

大きさ、色、素材……それぞれ違うけれど、たくさんのミッフィーが所狭しと並ぶのは、圧巻の光景だった。

巨大なミッフィーはさすがに値段も高いし、手のひらサイズのミッフィーはちょっとお土産には物足りない……。

そのとき、本当にぬいぐるみを買おうとしている自分に、少しびっくりした。

だけど、ミッフィーのぬいぐるみを買うとしたら、もうここしかあり得ないのではないか……。

いろんなミッフィーを手に取っては棚に戻し、困ってしまうくらいに迷った末に、ひとつのミッフィーを手にした。

それは、片手で抱えるのにちょうどいい大きさの、薄いライトグリーンをしたミッフィーだった。

17.95ユーロ、約3000円。

なんだか照れくさい気持ちでレジのおじさんに渡すと、嬉しそうに笑いながら、紙袋に入れてくれた。

店を出て、紙袋を手に歩き出そうとしたとき、そうだ、と思いついた。

このミッフィーの故郷・ユトレヒトでぬいぐるみを手に入れた記念に、街並みをバックに写真を撮ろう、と。

通りのすぐ向こうに、この街のシンボルでもある、ゴシック様式のドム塔がそびえていた。

ちょっと恥ずかしい気分に包まれながら、紙袋からミッフィーのぬいぐるみを出し、美しい塔をバックに構えてみた。

あれっ、なんだかすごく楽しい……。

ぬいぐるみをお土産に手に入れたというよりも、ミッフィーという旅の可愛い相棒が加わってくれたような気がした。

たぶん、それが僕にとって、人生で初めての「ぬい撮り」だったのだ。

アーネム

翌日は、アーネムという都市から、ゴッホのコレクションで知られるクレラー・ミュラー美術館へ足を延ばした。

もちろん、かばんの中には、ミッフィーのぬいぐるみを入れて。

だいぶかばんは嵩張ってしまったけれど、なぜだかホテルの部屋に置いていく気にはなれなかった。

いつしか、ミッフィーという存在に、不思議な愛着を感じるようになっていたからかもしれない。

実際、ミッフィーと一緒に旅をすることで、いつもの一人旅とは、何かが変わる気もした。

一人だけど、一人ではないような、少し寂しさが薄らいでいくような感覚があったのだ。

きっとそれは、自分との対話だけでなく、ミッフィーという話しかけられる存在が生まれたからだった。

たとえば、美術館の近くの森をバックに、ミッフィーの写真を撮る。

そのとき、無意識に、綺麗な景色だねーとか、空気が美味しいねーとか、ミッフィーに話しかけている自分に気づく。

それは何もおかしいことではなく、とても自然な、ごく当たり前のことのように思えた。

こんなにも、「ぬい撮り」の旅って、面白いものだったんだ……!

短いオランダの旅を、より輝かせてくれたのは、ミッフィーという確かな存在だったのだ。

東京

帰りは羽田空港の到着だったので、飛行機の窓の向こうには、新宿や渋谷のビル群がよく見えた。

ここでも、足下のかばんからミッフィーを出して、「ぬい撮り」をする。

はたしてミッフィーの目に、初めて見る日本の風景は、どんなふうに映っているのだろう……。

そんなことを考えていると、近くの席から、若い女性の笑い声が聞こえた。

振り向くと、中央の席に座った欧米人のカップルが笑顔を浮かべながら僕を見ている。

すると、女性の方が、「それ、素敵ね!」とでも言うように、小さくウィンクをした。

僕も笑顔を返し、手に抱いたミッフィーを見つめながら、ふと思った。

いい大人が……と言う人もいるかもしれないけれど、こんな旅のスタイルだってあっていいのかもしれないな、と。

いつかまた、オランダへ

いま、この記事を書いているパソコンの前に、ミッフィーのぬいぐるみがある。

なんだかまるで、仕事をサボらないか見張られているみたいでもあり、同時に、次の旅の計画を立てる僕を見守ってくれているようでもある。

これから先、「ぬい撮り」の旅にハマっていくことになるのか、ただの一過性のブームで終わることになるのか、それはわからない。

ただ、ひとつだけ、心に決めていることがある。

いつかまた、オランダを旅する日が訪れたら、そのときは絶対にミッフィーを連れて行くのだ。

僕にとって、ミッフィーのいないオランダの旅は考えられない。

チューリップよりも、風車よりも、やっぱりオランダは、可愛いミッフィーの国なのだ。

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