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旅の空から降ってきた、「もう1日」という夢

フィンランドで、ハワイで、南アフリカで、旅の最終日になると、いつも思ったことがある。

あともう1日だけ、旅ができたなら……と。

どこへ行っても、いつも気づけば、旅の最後の日を迎えている。

もう1日あったなら、ゆったりカフェで過ごしたり、海辺を心ゆくまで散歩したり、街並みをのんびり撮影したり、ただ自由に旅を楽しむことができるのに、と思うのだ。

もちろん、そんな願いが叶うはずもなく、ちょっと名残惜しさを感じながら、いつでも空港へ向かうことになる。

しかし、である。

この秋に訪れたウズベキスタンで、「もう1日あったなら……」が思いがけず実現したのだ。

それは僕にとって、ずっと抱いてきた「旅の夢」が、初めて叶った瞬間でもあった。

その旅の最終日、タシュケントから仁川へ飛ぶフライトの欠航が決まったのは、深夜1時過ぎだった。

すでにウズベキスタンの出国スタンプをもらい、他の乗客たちとともに、搭乗口の前で搭乗を待っていた。

ところが、なにか機材不良があったらしく、今夜のフライトは欠航で、明日の夜にあらためて出発することになるという。

突然の欠航に、慌てふためく人や困惑した表情を浮かべる人もいた。それでもどこか、まあ仕方ないよね……という雰囲気が漂っていたのは、ウズベキスタンという土地で、旅慣れた人が多かったからかもしれない。

とにかく今夜は、航空会社が用意するホテルに泊まり、明日の夜に再び出直すことになった。

他の乗客たちと一緒に、ウズベキスタンに再入国し、パスポートに「出国取り消し」のスタンプを押してもらう。

つい数時間前、「またいつか来るぞ!」と誓ってウズベキスタンを出国したのに、その「いつか」がさっそく訪れてしまって、旅は何が起こるかわからない、と思わずにはいられなかった。

正直に言えば、このとき僕は、突然のハプニングに戸惑っていたような気がする。

これまで30ヶ国近くを旅しながら、帰国のフライトが欠航になってしまうのは、初めての経験だったからだ。

バスに乗って着いたのは、タシュケント郊外の小さな3階建てのホテルだった。

もしかすると、かなり良いホテルを用意してくれるかもしれない、と期待していた僕はがっかりした。

しかも、部屋の数が少ないため、ひとり客であっても、2人1組で泊まらないといけないらしい。仕方なく、中国人家族のお父さんとペアを組んで、一緒に泊まることにした。

幸いだったのは、その中国人のお父さんが、物腰が柔らかく、気遣いのできる人なことだった。見知らぬ同室者として、まさに相応しい人だったかもしれない。

お父さんの後で僕がシャワーを浴びて出てくると、もうお父さんはすやすやと寝ていた。すでに深夜3時だったから、無理もなかったのだ。

朝8時、目を覚ましてカーテンを開けると、タシュケントの陽光が部屋の中に眩しく入ってきた。

窓の外には、幹線道路らしい広い道路が走り、たくさんの車が行き交っている。その中央分離帯には、多くの市民が立っていて、路線バスがやってくると吸い込まれるように乗り込んでいく……。

僕は不思議な気持ちがした。本当ならもうウズベキスタンを離れている頃なのに、まだこうして、タシュケントの風景を眺めている。

そして気づいた。この状況を楽しまないともったいないじゃないか、と。

「もう1日あったなら……」という願いが、思いがけず叶ったのだ。旅の空から降ってきた「もう1日」を、心ゆくまで楽しんでみよう……!

ようやく目覚めたお父さんと一緒にホテルの朝食を食べると、僕はショルダーバッグの中に簡単なものだけ入れて、ひとりホテルを出た。空港へ行くバスが迎えに来るのは夕方だったから、それまでタシュケントの街を散策しようと思ったのだ。

ウズベキスタンのお金は、すでに昨夜の空港で使い切っていた。だから、バスも乗れないし、タクシーも乗れない。それならと、ホテルから歩いて行ける範囲を巡ってみることにした。

タシュケントの澄み切った青空の下、緑が美しい路地を歩いていく。ソ連の面影を感じさせるアパートが並び、住民らしい人々と静かにすれ違う……。

こんなにものびのびと街歩きを楽しむのは、ウズベキスタンに来て初めてのことだった。もう何も観光しなくていいし、特別な何かを探さなくていい。

ただ、自由に街を歩くだけでいいのだ。

その解放感が心地良くて、自然と足取りが軽くなっていく。そして不思議と、今までは気づけなかった「日常」の風景が、目の前にどこまでも広がっている気がした。

20分ほど歩くと、大きな市場が見えてきた。商売をする人や買い物をする人が行き交い、きらきらとした生命力に溢れた、猥雑と喧騒で満ちていた。

ノン、というウズベキスタンの丸いパンを売る店があれば、ラグビーボールのような形をしたスイカやメロンを売る店もある。

遠くからでも匂いでわかるのは、色とりどりの香辛料を売る店だ。野菜を売る店が並ぶ空間を抜けると、美しい模様の絨毯を売る店が現れて、思わずびっくりしたりもする。

活気に満ちた市場に興奮した僕は、バッグからカメラを取り出して、心惹かれた風景を撮影してみる。すると、お店の人やお客さんに次々と手招きされ、写真を撮ってくれるようお願いされることになった。

郊外にあるこの市場では、僕のような観光客は珍しいのかもしれない。ここは世界遺産でもなく、絶景でもないけれど、優しい笑顔に溢れた「人」という、ウズベキスタンの1番の魅力に出会える場所だったのだ。

近くのショッピングモールに寄って、ケンタッキーで簡単に昼食をとってから、のんびりホテルに戻った。

部屋では中国人のお父さんが昼寝を楽しんでいた。このお父さんは本当によく眠るものだ、などと感心していたが、迎えのバスが来るまでまだ1時間以上もあったので、僕もベッドに横になることにした。

時刻は午後3時。海外旅行先で、この時間にホテルで昼寝するなんて、普通ならあり得ないことだった。

窓の向こうから差し込むタシュケントの陽射しを浴びているうちに、自然とウトウトしてくる。こんなにも贅沢な旅の時間って、今までにあったかな……と思う頃には、幸せな眠りについていた。

フロントからの電話で目が覚めて、お父さんと身支度を調え、ホテルを出た。

空港へ向かうバスに乗ると、知らなかったはずの乗客同士がそれぞれに仲良くなっていて、どこか修学旅行のような雰囲気に包まれているのが楽しかった。

さすがに今夜の飛行機は、無事に飛び立ちそうだ。ようやく訪れた、これが本当に旅の終わりだった。

窓の外を流れるタシュケントの街並みを眺めながら、僕はぼんやりと思っていた。

思いがけず天から降ってきた、この「もう1日」こそ、旅の神様が与えてくれた、ささやかなプレゼントだったのかもしれないな、と。

フィンランドでも、ハワイでも、南アフリカでも、いや、他のどんな旅先でも、「もう1日あったなら……」という夢は叶わなかった。

でも、それでも懲りずに「もう1日あったなら……」と夢を見続けていた僕に、このウズベキスタンで、旅の神様もとうとう諦めたのかもしれない。

そんなに「もう1日」が欲しいなら、そろそろプレゼントしてあげてもいいかな、と。

たぶん、これからの旅でも、最後の日を迎えれば、僕は「もう1日」を夢見てしまうような気がする。

もちろんそれは、そんなに何度も天から降ってくるものではない。

でも、ウズベキスタンの旅で、「もう1日」を過ごしたことで、僕は気づいたのだと思う。

旅の「もう1日」には、予定通りの旅にはない、ただ歩くだけの自由と、何もしなくていい解放感と、そして思いがけない出会いが溢れているということに。

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