HSPと傷つく事。

痛手を負う。

HSP気質は、繊細が災いして非常に傷つきやすく、それが生きづらさに繋がっている。
こういう認識が、スタンダードだと思います。
が。
生きづらさって、考え方や技術その他で、ずいぶん緩和されます。
傷つきやすいこと。
コレが生きづらさの正体だとしたら、もっと自分を大切に人生と向き合うべきたと私は思うんです。

繊細で敏感。
これは気質として、それがHSP。
気質。そう、気質なだけ。
傷つくかどうかとは、問題が別なのですね。

私自身も、かなり繊細な感性と感受性に悩まされてきたクチです。
当然、傷つきもします。
が、今はさほど、いや、非HSPより傷はつかないかもしれない。
気に病みはしますよ、やっぱりHSPど真ん中ですから。
これは、反射的にそうなってしまう。気を抜くと私もまだまだ、です。
ですから、気に病み出したら、気に病んだ事実と状況を俯瞰して、それから離れることを優先します。
ここで、HSPトラップがあるように思います。
気に病むことをやめられない。
固執する、と言った方がいいかな?
思い癖だとか、思考癖だとか、そういう事でもあるのですが、刺激や動揺を「料理せずにはいられない」タチの人が一定数いらっしゃる。

でね。
傷つくこと。
これも、ごめんなさい。いくらでも超えられます。
そして、傷つく事が人生の苦労だと捉えている方が多いですが、、、人生の困難と傷つく事とは同義では無いと私は思います。

私は姑が大好きで尊敬していて。
家業の先代で生業の師匠でもある彼女に、約束させられた事があります。
真剣に生きて。
怠けても頑張らなくてもいいから。真剣に生を生きてほしいと、そう約束を。

真剣に生きるって、痛手を負うんです。
私、ただただ「息して」た頃は、たくさん傷付いてはいました。
だけど、痛手なんて負ってないのですよね。
て、今です。
かなり真剣に生きています。特にこの10年は。
痛手、いっぱいでしたよ。そして、今もね。
でもね、傷なんてついていないんですよ。
神経なんて、相変わらず細くて。
繊細な感受性なんて、さらに磨きがかかった(笑)
でも、傷ついてないなあ。
チクッとはしてますし、嫌だなあって重い感情なんてしょっちゅうに。
でも、俯瞰も出来るし、感情から距離を置く術も身につけて。
受けた刺激や出来事が傷つけるのではなく、自分が「生んだ」感情が自分に牙を剥いて。
自分でやった「業」を、人生の苦難などとは言えないとは思いません?

神様は乗り越えられない試練は与えない。
よく言われますが、、、コレ、多分本当ですね。
私、人生の途中なんで、人生を終えてない人が人生を語るなって、叱られちゃいますが。
もうダメって言える相手、居るんです。だから、それはもう、乗り越えられる。
相手が居ないって言う、孤独だって言う人は、見えてないだけではありませんか?
ちなみに、親友がいないとか、友人がいないとか、そんな事ではなくてね。
貴方を気にかける人の存在を無視するあなたは傲慢だってこと。
これは、また別の機会に掘り下げて伝えたいこと。

話が逸れましたが、
傷つく事が苦難ではないんです。
出来事がどんなに波乱で、人生が大しけで、状況的に困難が伴う方でも、誰よりも幸福に包まれた方がいらっしゃるという尊さ。
私、結構拝見してきた方です。たくさんの方の人生を。
私なんか足元に及ばない状況や環境において、とにかく敬服しかない程、凄まじい愛を下さったり、愛を与えてくれた人たち。
日本にも、世界にも。
一方で、どんな幸福にも目を向けず、ただただ自分の弱い心に固執する愚かさを。
ともすれば、私もそんな風な類だったのかもしれない。
気づいてよかった。それが、まず幸甚、なのかもしれませんね。

傷付かなきゃいい。
そう、それだけ。
無茶でしょうかね。不可能?
そうかな。まずは、気持ち。


揺るぎなき幸福を永遠に得られる方法は。
とにかく、鍛えること。



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