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コロナ時代を振り返る #2

緊急事態宣言が発令された時代の大学2年生。
1か月遅れて4月末日、遂にオンライン授業が開始した。
六畳一間ワンルーム。
背景の棚だけ少し綺麗にして、少しだけライトを明るくして、パソコンの前に座る。

春学期:~2020.6月末 始動

オンライン授業の種類

自分が履修していた授業のタイプは数種類。
①配布資料(PDFなど)を読み、小テストやレポートを作成する授業
②配布動画を見て、小テストやレポートを作成する授業
③WebexやZoomなどをつないで、リアルタイムでコミュニケーションをとれる授業
履修者が多い授業は①か②、少人数のセミナーや語学の授業は③だった。

今の基礎である商学部の基礎科目に関しては①②だったが、えらいもので微塵も覚えていない。
そんなに授業は多くなかったが、負担も記憶も思い出もない。
よくこの基礎でゼミ試験¹に受かったものだ。

一方で、神格化するM教授の美術史は最高に楽しめた。
どうせいくら授業をとっても暇なことには変わりがなく、かついずれも負担は少なかったので、興味のある授業をもっと履修すればよかったと、本当に後悔している。

③については、必修の英語と編入したスペイン語インテンシブコース、中南米研究のセミナーが該当する。
ある程度重い課題があり、しっかりコミュニケーションが取れるスペイン語とセミナーが毎週の楽しみになった。
逆に英語の授業は、「全員カメラオフ」で進められたためか、会話が生まれないなど、非常に苦痛だったことを覚えている。
相互理解において、顔を見て話すことがいかに重要か、この授業ではそれを痛感するに至った。

余談

同じ時代を生きた同志諸君も上に同じような状態だったと思う。
さらに、寝起きで参加した者、出席だけして別のことをする者など、学生としてはかなり自由な授業環境だった。
このオンライン授業が始まってすぐだったか、SNSでは「マイクオンに気づかず暴言を聞かれた」などのトラブルが散見されたのも覚えている。
不幸にもその場面を見れなかったのが惜しい。
ただ、幣学の授業掲示板にて、
「匿名なのを良いことに教授への暴言を投稿する」
という学生がいたのは春学期だったかな?
教授には名前が割れてるよ、と指摘された彼は、その後懇切丁寧な最上級のお世辞も交えて教授に謝罪していた。

この頃何をしていたか:畑

授業が始まると、ある程度生活リズムも決まってくる。
スペイン語の予習が多く、そのための自習も必要になる。
少しずつ生活に色が出てきた。

しかし、暇なことに変わりはない。
朝起きて授業を受けて夜寝るまでの全てが、基本的に部屋の中で完結してしまうのだから。

「外に出る理由が欲しい」
その思いもあり、そしてコミュニケーションを取る相手(と失恋に対する慰め)が欲しく、歩いて10分ほどの場所の市民農園(20㎡)を契約した
これで私の生活に、
1、外に出て歩く
2、畑を耕し水を撒く
3、(ある程度育ったら)野菜を調理する
のフローが組み込まれた。
すくすく育っていく野菜に愛着を感じながら、コロナ禍の孤独感を解消し始めたのが、この時期である。
近くに住む友人も遊びに来てくれたりと、この畑は2021年の夏まで続く。

水も滴るミニトマト
でかいサイズのトマトも梅雨頃には収穫を迎えた。


このころ何をしていたか:オンライン飲み

我々がzoomやTeamsに慣れたのはこの頃かな?
歌舞伎の新歓でも、6月くらいから再開した学習メンターのバイトでも、とかくオンライン環境を設定して人と話す、みたいなことが日常になっていた。

そして世間的にも話題になったのが、「オンライン飲み」である。
なんのことはない、普通にzoom上で集まってお酒を飲むだけだ。
数人なら会話も続くのだが、人数が増えると難しい。
同時並行で複数の会話が成立しないので、ファシリテーターが会話を回す必要が出てくる。
今考えればなかなかに渋いが、あの時代は、どんな手段でも、どんだけ不格好でも、友人や先輩などと顔を見せながら話すその時間が、とにかく楽しかった。

このブームに乗っかり、高校時代の友人らを10人くらい集めてプチ同窓会みたいなこともしたな。
みんなはどうだったかわからないけど、あの会、俺はめっちゃ楽しかった。
4年越しのありがとう。
オンラインで繋がれるのがわかっているけど、今はもう、随分と疎遠になってしまったな。


その他の記憶

この頃からカフェに行ってたのかな?と思ったが、自身のGoogle Photoにその記憶がないようで。
自由ができればカフェに行く自分の性分を考えれば、カフェの写真がないこの現実が示すに、この時期はまだ外出自粛が厳しかったようだ。

じゃあ他に何をしていたか。

サイクリングにはよく出かけていた。
当時住んでいた日吉からみなとみらいまでのロングラン(片道10キロとか?)は楽しかった。
誰もいない横浜中華街はなかなかに新鮮で、おそらく今後二度と見られない風景だったと思う。

また、継続して新歓をしていたが、こちらはいまいち収穫がなく、対してコロナをちゃんと理解していない素晴らしい思考を持っているOBからの理不尽な指導が入り始めたのもこの時期かなと思う。
これに関しては、いずれ触れるが、歌舞伎研究会が崩壊し始めたのがこの時期である。
私はこの時、その歪の大きさに気付けなかった。。。


さて。
怖いことは後の祭りということで、生活リズムも変わり、新しい趣味もできたこの時期は比較的楽しめた。
まさに「新生活」である。
そして季節は、人生史上最も不謹慎な夏に。
その話はまた次にでも。

註釈
¹学部3年からのゼミに際して課された論述試験。大学院入試レベル。







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