【エッセイ】夜寝る人も、朝寝る人も。 『ねこ膳』の飯と酒。
「24時間365日」営業、新宿の居酒屋。
様々な職業の人が、それぞれの時間軸で 酒を飲み、ごはんを食べる。
飲食店が持つ「場所の力」。
3年前の11月中頃の早朝、歌舞伎町で仕事を終えて店を出ると、ひどく寒い。朝方まで粘着質に 絡んできた客に触れられたところだけが、妙な熱を持っていた。
温かいごはんが食べたい。心底疲れたし、ざらついた気持ちを落ち着かせたい。コンビニで買って帰ればはやいけれど、このむしゃくしゃは家に持ち帰りたくない。かつ、絶対に誰とも話したくない。
そんな気分のときに、いつも行くのがねこ膳だった。
「24時間365日」営業だから、絶対に空いているし、カウンターで女1人で座っていてもちゃん と放っておいてもらえる。これは本当に貴重な場所だ。 居酒屋だけど定食や食事が充実している。朝でも何時でもちゃんと作りたてのごはんが食べられ る。しかも美味しくて信じられないくらい安い。
店に入ると、せわしなく動く厨房の女性にカウンターに通される。私以外には、奥のボックス席 に派手な男性たち、おそらくホスト4人が神妙な顔で座り、手前では関係のよくわからない中年の 男女がベロベロに酔っ払っている。
メニューから、630円のコロッケ定食に惹かれつつ、大好きなねこ膳グラタン480円を頼む。カ レー味のソースと一緒に、熱々のチーズを頬張ると、身体の内側から充実していくのが感じられ た。
お腹を満たしつつ、お酒も飲みたくなった。ホッピーは400円と安いのに、とにかくナカが多 い!と有名だけど、私は断然レモンサワー380円が好き。キンと冷えたグラスで、しっかりレモ ンの香りがしつつ、しっかり濃い。
グラタンをレモンサワーで流し込むと、さっきまで粘着質にホテルに誘われていたベロンベロン に酔っ払った客の記憶の輪郭が溶けてきた。 「380円で忘れられる男」。呟いてみると、なんだかどうでも良くなってきた。
うしろではホストたちが深刻な顔を突き合わせ話し合いを続けている。「あいつは気が利かないから伸びないんだよ」。
手前のベロベロの中年男女の方は、ハゲかけたおやじが化粧のくずれた女性の頬に距離をつめて いて、あと少しでキスしそうだ。
そんなボックス席など知らぬ顔で黙々と定食を食べるカウンター席の男性が2人。
その日は平日の朝だった。「今から駅に向かうと、ちゃんとしたスーツを着たちゃんとした大人たちとすれ違うことになる」。
先月、後先考えずに仕事を辞めたばかりの私は、未来の不安と、社会への後ろめたさで朝の駅はとても苦手だった。
「まあ、860円で幸せになれる女だから、私は大丈夫」。グラタンの多幸感と、レモンサワーの 爽快感で、後ろめたさはぜんぶ胃の中に入ってしまった。 だから明日も、その先もがんばれる。
そんなことを思っていたのが3年前の2018年の年末。「24時間営業の居酒屋」。今、その価値が これほど貴重なものに感じることになるとは思いもしなかった。
夜に眠る人も朝に眠る人も当たり前に行き交う街で、いつも温かいごはんとお酒を用意してくれ る場所。 もう少し世の中が落ち着いて、もう少し自由に飲食を楽しめるようになったら、ぜひ多くの人に、あの懐の深い居酒屋 に、足を運んでほしいと思う。