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4年ぶりに元彼と出会った話

4年ぶりに、元彼から連絡がきた。

実に4年、とても長い。

大人になればなるほど毎日が短く、あっという間に感じるかもしれないが、
生まれたての赤ちゃんは、つかまり立ちが出来るどころか、
なんとスキップもできるようになる年齢らしい。

それくらい、長く長く彼と連絡を取り合っていなかった。


正直、驚いたし、なぜこのタイミングで連絡してきたかも謎だったし、
やり取りをしている時は懐かしさや怒りやらと感情が揺れて、
ここ数日は落ち着かなかった。


結果、元彼と私は何もなく終わったのだけれど、
個人的にまとめておきたいな、と思ったこともあり今に至る。

自分のことをまとめるのは苦手だし、
何よりも文才がないので読みにくいところ多々あると思うが、
私のデビュー作として広い目で見てほしい。


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彼とお付き合いしていた時期は、
大学生1年生から大学3年生の春までだった。


【1】出会い
出会いは、大学1年生の春。
私は東京の大学入学を機に、はるばる田舎から一人上京した。
18年間も家族と共に過ごしてきたから、家族の別れは哀しいものであった。お別れの日まで何回泣いたかも分からないし、
私の3つ下の妹が別れ際にくれた手紙を何度も読んだ。
(そして、泣いた。)

だからこそ、この新しい土地「東京」で輝かしい生活を送ると決めていた。

私の大学では、1年生の時に英語の授業を受けることが
必修科目の一つだった。
クラスには約20名の生徒がいて、
親睦も深めるためにグループLINEを作ることになった。
期待で胸いっぱいの私は、率先して全員の個人LINEを聞き出し、
グループに追加した。
全員がグループに加わった後、私宛に個別のLINEで
「登録ありがとう!」と誰かからメッセージがきた。

それが、彼である。

前述通り、私は20名の生徒のLINEを追加していたので
メッセージを送った人が、いったい誰なのか分からなかった。
だから、とりあえずお礼の返事を一言だけ返した。
彼はそこから、「俺のこと分かる?」という謎のLINEを返してきたが
正直分からないので当たり障りのない答えを返したのだが、
趣味が何だとか、家族の話だとかで盛り上がり、
何故かそのLINEは夜まで続いた。

気が付いたら、ほぼ毎日彼とLINEのやりとりをしていた。
また、英語の授業は毎週2回行われて、そこでも顔を合わせるから
初めてのデートに誘われたのは、5月ととても早かった。


【2】初デート
初めてのデートは、もんじゃ焼きを食べるという
何ともシンプルなものだった。

私はもんじゃ焼きがすごく好きだったし、
そのお店は変わり種のもんじゃ焼きが多くて、とても楽しかった。

彼とは毎日LINEをしていたけれど、
その日も話は尽きなかったし、
初めてのデートはあっという間に時間は過ぎた。

デートに誘われたり、毎日LINEを重ねる中で心の中で
「この人と、付き合うのかもしれないな」と思っていた。
だけど、私はまともにこれまで恋愛なんてしてこなかったから
自分がどうやって行動すればいいのかも分からず、
そのまま時は流れ、彼の告白を受けることとなる。


【3】告白
私の誕生日に東京タワーへ登り、夜景を見た。
帰り際に「付き合ってほしい。」と、彼から言われた。
あれだけ「告白されるかもしれない」と思っていたのに
いざ告白をされると何と答えたらいいかもわからず、無言になっていた。
今思えば、あれだけ仲良く毎日過ごしていたのに、
こんな展開になると想像していないだろうから、
彼をかなり困惑させたと思う。

だから彼は「すぐに答えなくてもいいよ、待ってるね。」と言い、
私たちは東京タワーを後にした。

次の日、私はすぐに友達へ相談をした。
友人は笑いながらも、真剣に「いい人なら、付き合えばいいんだよ。」と
皆が背中を押してくれた。
友人の助言もあり、無事に彼の告白を受けることにした。

それからは、彼と色々な場所へ出かけた。
東京には、こんなにも楽しいところがあるのかと感心したし、
何よりも彼と過ごす時間は楽しくて、デートが楽しみだった。

後々分かったことだが、彼も私がはじめての彼女だった。
だけど、それも分からないくらいエスコートはとても丁寧にしてくれていた。
また、何をするにも必ず私の同意を大事にしてくれて
困ったことは何一つなかった。


【4】変化
私は、サークルに所属していた。
文科系のサークルではあるが、設立も長く、
規律や伝統がきちんとしていた。

週末に1度必ず活動があって、また平日も5時~8時まで会議もあった。
加入時はあまり制限はなく自由も多かったが、
1年を超えたあたりから本格的になった。

会議もさらに増え、お昼の時間や休日も両日
サークル活動に時間を奪われることも増えた。

もちろん彼との時間を大切にしたかったのだが、
組織に属している身としてプライベートを削る選択を
取らざる負えなかった。

彼は変わらず「いいよ。」と言い、
私はずっとサークルを優先していた。

サークルは苦しいことも悩むことも多かったが、
その分「やりがい」という形で私に返ってきた。

苦しい、楽しい、苦しい…の連続から一種のトランス状態に入り、
私は新しい「楽しさ」にハマっていく。


【5】嫌悪
季節がたくさん巡る中で、
優しい彼も痺れを切らして、「会えないかな?」と相談を持ち掛けてきた。

数ヶ月の自分なら「本当にいつも待たせてごめんね。穴埋めするからね。」と返していたと思うが、
新しい虜に取りつかれた私は、
「この人はなぜ、私以外の時間を作れないのだろう。」と
偏屈な考えを持つようになっていた。

当時、自分のことを話すことが得意でない私は、
仲のいい友人にさえ私と彼のことは多く語っていなかった。
また、サークルは仕事のように思っていたため、
先輩おろか同期にも勿論伝えていなかった。

だからこそ、うまくガス抜きが出来ず、
また冷静に彼との関係を俯瞰して見れなかった。

そしてついに、「ねえ、私に甘えていないで、自立しなよ!」と
彼にひどいことを言ってしまったのだ。


【6】変化Ⅱ
彼はひどく落ち込んだのだと思う。
付き合っているのに自分の時間を大切にされず、ただ相談しただけなのに、
「甘すぎる」と説教気味に一方的に怒られたからだ。

でも、彼は根が優しい人だからこそ、
反省をして、彼が所属するサークルでリーダーを務めることを決めた。

私はすごく驚いたし、とても嬉しかった。
それからは、互いにリーダーとして感じる難しさだとか、
悩みを共有して、まるで戦友同士かのように一時的に仲は修復した。
だけれども、彼に会いたいとは不思議と感じず、忙しいことを理由に
「会えないことは仕方ないことだ。辛抱するしかないね。」と
言い訳し続け、私は彼から逃げていた。

ついには、これまで毎週何度も顔を合わせていた大学1年の頃から、
大学2年修了時には、月に1回会うかどうかまで頻度が減ったのだ。
そして、大学3年生を迎える前に、
私は一つの区切りを入れたいと思うようになっていった。


【7】別れ
小田急新宿駅の地下のカフェで、彼と久しぶりに再会をした。
大学も春休みを迎えていたこともあり、
一瞬たりとも顔を合わせることもなかった。

「こんな顔だったかな。」と彼の顔を見ながらぼんやりと思いつつ、
他愛のない近況を互いにし、そして一呼吸おいて
「私たちのこれからのことなんだけど…」とついに切り出した。

私たちの今の状況、優先度が彼よりもサークルが高くなったこと、
すべて説明をして「だから、別れたい。」そう告げた。

あまり主張を出来ないタイプではあるものの、
その時だけはとても頭が冴えていたことは覚えている。
彼は黙って私の話を聞き、「別れたくない。」と、ただそれだけ言った。

頼んだ熱々のポットティーは、苦くそして冷たくなっていた。
何度も説明しても、「別れたくない。」という一点張り。
あれだけ私のことを尊重してくれていたのに、
こんなにも聞き入れてもらえないなんて、と心底うんざりしていた。

今思えば、私のことをを大切にしていたからこそ、
彼は私の意見を拒み続けていたのだと分かるのだが、
当時は本当に苛々した。

「私とあなたの線はこれまで交わり続けていたけれど、
今は、平行線の状態。そして、今後交わることも一生ないんだよ。
これって、それ以上でもそれ以下でもない話だよね。」と、
すごく残忍な言葉だけれども、私は言い放った。

彼を傷つけなければ、悲しませなければ、、、
そうでもしなければ別れられないと思ったからだ。

結局、その日はお店が閉店するまで話し続けた。
そして、一度距離を置き、その上で判断しようとなった。


【8】再開、そして別れ
あれから、思うように彼へ接することが出来なかった。
相変わらずサークルは忙しいし、後輩も増えて面倒も見なければならない。学科の授業もより専門性が増して、予習や復習も大切となった。
やっぱり、別れようと思っていた相手に今さら優しくなんてできない、
そう思った。

それでも彼は変わらず私に対して優しくしていたし、気も遣っていた。
私はそれが気に食わなかったし、正常なお付き合いと思えなかった。

サークルの忙しさは佳境を迎えていた。
自分の範疇外の仕事は多く、ストレスを感じていた。
本当に私は主張が苦手だからこそ、みんなを統率できなかったし、
何度も泣いていた。そこに、別の人が現れた。

圧倒的に彼との違いは、同じコミュニティに所属しているかどうかだった。私が苦労しているのは、目に見えて分かっていたと思うし、
的確にフォローをくれた。
その人が、私の一番の支えとなっていたし、
気づけば好意へ変わっていった。

そして、私は2度目の別れを彼に告げたのだった。
会ってしまうと前回のようになってしまうと思い、
「好きな人が出来たので、別れます。」
今回はLINEで一言で済ませた。

あっけなく彼との関係は終わり、
繋がっていたSNSはすべて向こうから消されていた。

もちろん、彼から避けるように過ごしていたが、
狭いキャンパスなので顔を合わせる機会はあった。

大学で同じ講義を取っていたりすると気まずい気持ちもあったけれど、
もう過去のことであると気にしないふりをした。
そして、大学4年生になると就活で忙しくなり、授業も減り、
そしてまた顔を合わせることは減っていった。

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そして、今に至る。
回想が思ったより長くなってしまい、正直驚いている。
そして、こんな自分のことを赤裸々に描くことは今までなかったし、
今すぐに消したくなる。

でも、しばらくはキロクとして残しておこうと思うのは、
4年ぶりの彼の一言があったからである。(その言葉は最後に書く。)

4年ぶりに連絡がきて、
正直「あ、まだこの人は前向けていないんだな。」と思った。

理由はたくさんあるけれど、
大学1年生の頃に私たちがLINEでやり取りをしたように、
また彼はたくさん私に質問したり、興味の引きそうな話題を出していた。
当時は、新しい出会いに夢もいっぱいで
LINEが続くことが何よりも嬉しかったことだったが、今は違う。
友人にだって相談しなくても、答えは分かっている。

自分から切り出そうかと思いつつも、私はしたたかな女なのか、
彼が本題を切り出すまで、結論は出さないと決めていた。

そして、長い長いやり取りの中で、15分だけ電話をすることが決まった。


その日は、ゴールデンウイークの最終日であった。
これから仕事が始まるというのに、残念ながら雨模様だった。
しかも、どこか遠くて雷が鳴っている。
定刻の13時30分になり、彼と電話をした。


冒頭、「これは何か結論を出してほしい、とかではない。
だから、気楽に聞いてほしいんだ。」と彼から切り出した。
始まりが、あまりにも彼らしいので笑ってしまった。

「それで?」
「今日までのやり取りの中で、
思ったより昔のことを覚えててくれて嬉しかった。」と彼は言った。
「でも、全部は覚えてなかったよ。あなたには負ける。」
「そうだね、嫌に記憶力はいいんだよね。」

「突発的に別れを迎えてから、
色んな人とデートをしてみたりしたんだけど、やっぱり違うな、と。
それに、君との思い出を忘れるために、色んな人と会ってきたけれど、
それじゃあ前に進めないなと気付いたんだ。」

「だからこうして、結果がどうであれ君と話をしようと思ったんだ。」
私は、彼のその言葉を聞いてハッとし、
それから申し訳ない気持ちになった。

そして、心から「ごめんなさい。」と言った。




当時の私は、本当に若かった。

「若いから良いのか」と問われるとそれは違うのだけれど、
自分都合でわがままで幼稚な私のことを、
一言でまとめると、そうなる気がした。

当時の私は彼から離れたいがために、
素っ気ないそぶりも酷いことも言ってきた。
でも、彼のことを傷つけることが本当の目的ではなかった。
それに気づけず、目的も行動も伴わずに結果的に彼を傷つけていた。

また、嫌なことがあれば逃げればいい、そう思っていた。
いつか時間が忘れさせてくれる。臭いものには蓋をすればいい。
ごまかせばいい。そう思っていた。

全部、違うのだ。


当時の自分にお説教をするならば2つで、
「すべて自分ものさしで考えるな。」
「きちんと対話をしろ。」であろう。

一つ目の「自分ものさし」というのは、
サークルで忙しかった自分基準に彼を合わせたところのエピソード、
そして、私はあなたを嫌いなのだから嫌いになれという
傲慢な気持ちの部分だ。

どんなに忙しくても、嫌いでも、強要をしてはいけない。
相手にも「相手のものさし」はある。

無理に同じ縮図にしてしまったら、
比べられるものも比べられなくなってしまう。
現に、マイルとキロは全然違う。
1マイルは、1.6キロで大差ないように見えるかもしれない。
でも、50マイルほどになると、なんと80キロになってしまう。
同じようで、全然違う。


二つ目の「対話」に関しては、一つ目のものさしあっての「対話」である。

相手との違いが見えてきたなら、そこを明確に伝えるべきだ。
違いをどうやって埋めるのか、その論点で話すべきだ。

彼に別れ話をしたのちに、もう一度やり直すことになったが、
そこで浮き彫りになったことがあったにもかかわらず、
私は対話をしなかった。
きっと、ここでもう一度彼に状況を伝えられていたら、
ここまで4年間彼は引きずってこなかっただろう。

話をしなければ相手は分からない。
理解をしてもらおうとニュアンスで伝えたり、
逃げたりすることは、狡猾だ。
相手に伝わっていなければ、それは対話したとは言えないのだ。


こうして、彼と「正式に」お別れをした。
彼が私に言ったのは「俺のことも忘れないで」という一言だった。
正直、しおらし過ぎる一言だと思ったが、
考えてみれば私は、彼との思い出をなかったことにしていた。
それは、彼から逃げたい気持ちからだ。

でもこうして、きちんと彼に向き合えたことで
私も一つのエピソードとして終えられたのかな、とも思う。

田舎から出てきた少女が、
一つ成長できたのは紛れもなく彼のおかげであるし、
助けられたこともたくさんある。


今は彼へ感謝の気持ちがあり、
私自身もこれからの戒めとして精進していきたいと思う。

なんだか反省文みたいで、面白味も何にもないのだけれど、
自分自身のキロクとして残します。

そして、飽きずにここまで読んでくれた方、どうもありがとう。


【補足】
もちろん、相手とか状況によって一概に言えないんだけどね。
でも、赤の他人でない相手だからこそ向き合いたいな、という文章でした。


おわり







































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