大連ソ連軍烈士陵園レポート
労働節期間中に旅順口区を観光したついでにソ連軍の烈士陵墓を参拝してきたのでそれのレポートです。
場所はこんな感じ、市街地からは割と離れていますが、バスで40分くらいです。料金は日本円で20円ほど。
陵墓は大きく、左上にある中国軍の陵墓に比べて三倍はあります。
説明。
大連ソ連軍烈士霊園は旅順口区水師営鎮の三里橋西に位置している。墓地は西に座って東に向かい、北は「八一」烈士霊園に隣接し、敷地面積は58.5ムー。この霊園は1945にソ連軍が旅順に進駐した後、元ロシア人墓地を基礎に拡張されたもので、中国では現在最大の外国人墓地となっている。1989年、この墓地は遼寧省級文化財保護単位に指定された。
大連蘇軍霊園門前広場には高さ39.9メートルのソ連軍の記念塔がそびえ立っており、塔基の正面上方には突撃銃を手に持ち、高さ5メートルのソ連軍兵士の銅像がありその武威は壮観である。この塔は1999年に大連人民広場全体から移転して設置された。記念碑は1955年にソ連軍が旅順から撤退する前に建てられた。碑文は中露両国の文字で「蘇中両国人民の自由と幸福のために栄えある犠牲を払った烈士たちは永遠に不朽である!」と書かれている。門は左右対称で、花輪、五つ星、武器、ソ連軍旗などの精緻な図案が彫刻されている。フランスの凱旋門に似ている巨大な記念碑で、勝利と平和を表象し、死者への哀悼の念を表している。
ソ連軍霊園には1323基の墓があり、2030人が埋葬されている、そのうち軍人1408人、その家族622人が埋葬されている。墓碑には塔式、柱式、立式、横式、ボイラー式などがあり、風格があり特徴が鮮明で多様で、いずれも死者の名前と生没年期が刻まれており、大部分は死者の遺影をはめ込んだり、精緻な磁器像を作ったりして、生前の声や笑顔を残している。この墓地の墓の装飾はユニークで、墓石の先端にはそれぞれ鉄錨、戦車、飛行機の模様がはめ込まれている。一部の墓石には死者の生前の職務と兵種が埋め込まれており、長年の風雨によって侵食されているが、はっきりと見える。
霊園の正門は紫色の大理石で作られたアーチ型の門で、西側の門柱にはソ連の16の加盟共和国を象徴する赤旗が彫刻され、軍艦や大砲などの銅製の模様が飾られている。
墓地の周りは塀で囲まれており、壁の上には小さな花輪模様が彫られている。同墓地は1945年に建てられ、ソ連軍が東北を解放した際に犠牲になった将兵と病没家族が埋葬されており、大佐1名、中佐9名、少佐32名、大尉77名、大尉137名、中尉71名、少尉29名、戦士1052名が埋葬されている。
墓前広場は広く、墓地は厳粛で、通路の両側の並木は陵墓、砕石を覆い、墓地の中央にあるソ連軍記念塔は、青い空と白い雲の下にそびえ、雄大に見える。ソ連軍墓地の後ろにはロシア墓地があり、百年以上の歴史がある。ここに埋葬されているのは、1世紀前に旅順を占領したツァーリ時代に中国で死んだロシア人と海難で死んだロシア人だ。ここの墓石はさまざまで、十字架を中心にしており、十字架の下にある斜め横棒は、ロシアが信仰する東正教の典型的な標識である。これらの無名の十字架の下に埋葬されているのは海難で遭難したロシア人で、ほとんど死体が見つからず、名前が書かれている人は少ない。そのため墓のほとんどは帽子や持ち物などの遺物で、記念にしている。
ソ連軍烈士霊園は1945年にソ連軍が旅団に進駐した後、元ロシア墓地を基礎に拡張されたもので、敷地面積は48,000平方メートルで、中国で現在最大の外国人墓地である。墓地には日露戦争時の1万7000千余のロシア兵とソ連軍が東北を解放した際に犠牲になった将兵の一部と病没家族が安置されている。霊園全体の建築の特色は非常に独特で、異国情緒で格調がある。霊園内に完全に保存されている「ロシア記念碑」は日露戦争の歴史的証人である。
ここのソ連軍烈士霊園は、省と大連市に重視されており、民政部門が2002年に100万元を投資して修繕改造した。敷地面積は7320平方メートルで、今見ているのはヨーロッパ式の門が2つあり、周囲の柵が380メートル延長されている。園内では、1200平方メートルの芝生、3000平方メートルのレンガの遊歩道、1000メートルの石畳、900メートルの花壇を広げ、街灯7本、地上灯20本、噴水100本を取り付け、各種の木千本を植えた。
公式より機械翻訳と修正。
大連時代の記念碑、当時は大連市内のスターリン広場に鎮座していた。(現在は人民広場)
竣工当時の写真。
現在の人民広場、国旗掲揚塔と噴水になっている。
奥の白い建物は人民政府で、日本時代の関東庁である。
地図と説明。
現在の烈士記念碑。
碑文翻訳
「永遠の栄光:1945年、勇敢なソ連軍はドイツのファシズム軍事力を粉砕し、東方に転進し、中国東北国内で日本帝国主義の精鋭部隊である関東軍を一挙に殲滅し、それによって中国人民の抗日戦争の最後の勝利を促し、世界人民の偉大な反ファシズム戦争を勝利させ、終結させた。ソ連軍の世界平和を守り、人類の自由を守った偉大な功績は永遠に不滅である!日本帝国主義を打破するために勇敢に犠牲になったソ連軍の烈士たちは永遠に不滅である!中ソ両大国人民の永遠に堅固な兄弟のような友情万歳!1953年。」
1955年5月7日、盛大な落成式が行われた。
ソ連軍を歓迎する中国人民のレリーフ。
五メートルあるのでかなりでかい。
記念館、今は入れない。
このサイトに詳しい中の内容が乗っている。
墓苑への門陸海空軍四軍種のレリーフと構成国を表す赤旗が彫られている。
保護の標識。
修復の時の記念碑。
8月の記念碑なのに5月にカーネーションが手向けられていた。不滅の連隊イベントがあったりするらしい。
空軍のレリーフ。
墓地 形は大小さまざまである。
中央の道の先には慰霊碑がある。
飛行士の墓だけやたらでかい。
写真が取れてる。
でかいのは英雄称号持ちだろうか?
空軍の部隊の慰霊碑?
ロシア語しかないので説明が全く分からない、なぜ中国語併記じゃないのか?
なんか小さい墓もある、基準がよくわからん。
飛行機がかわいい。
砲兵の墓?部隊の記念碑?
重要人物?の割には平置きの墓である。
慰霊碑、典型的な感じ。
海軍兵士、勲章がすごい。
東西のファシストと戦っただけでなく、栄誉勲章持ちである。
カーネーションが手向けられていた。
蘇中両国人民の自由と幸福のために栄えある犠牲を払った烈士たちは永遠に不滅である!
と書かれている。
陸軍軍人の像。
小さい墓。
部隊の記念碑?海軍だろうか?
海軍の墓?
ヒコーキがいっぱい。
工兵の墓?
でかい。朝鮮戦争従軍者の墓かも?
協会、創建当初からあるらしい。
よめないにょ。
門、鉄十字勲章がある。
奥は帝政ロシア軍人の墓。
銅板と大理石の墓はどう違うんだよ?
神殿みたいだが、日露戦争の慰霊碑である。
中国語でかけ。
日本語で旅順陣没露兵将卒の碑と書かれている。
日本が明治45年に建てたと書かれている。
中国語の俄じゃなくて日本語の露なのが日本製とわかる。
クロパトキン砲台の戦死者の碑、砲台や堡塁ごとの死者の人数が書かれている。
重要人物?やけに手厚い。
夫婦?
キリル文字が独特すぎてよめねえ。
部隊の記念碑?
なんかでかい十字架、たぶんロシア帝国時代のものかな?
やけに厳重な墓、一般人の墓と思うのだが。
部隊の死者の一覧かな?
部隊の記念碑?
ロシア帝国時代の一般市民の墓。
鉄道レールでできた十字架?墓なのか記念碑なのか?
中からでも解放の記念碑が見える。
静かでよかった。現在はおもに地元の人の散歩道になっていたが、しっかり手入れされていて、歩きやすいし、大きく壊れているところもない。
特に解放記念碑の方は大きいこともあって、観光客がタクシーで来て写真を撮っていたりもした。なかなか人気の場所のようでもあった。
バスで簡単にしないから来れるので、旅順に来た際にはぜひ訪れてほしい。