月利328万稼いだ方法

こんにちは、2児のパパをしているたっきーです。

突然ですがあなたは、家庭の柱として、子供のパパとして、満足するほどに稼ぐことができていますか。

僕は2017年のつい3年前まで、ぜんっぜんダメダメの借金まみれのパパでした。

失敗やどん底を味わい、債務整理に判を押すギリギリ一歩手前。本当にダメッダメだった。

でも今はなんとか復活して、月収300万円を超えるほどのビジネスができるようになりました。

これって僕だからできたんじゃなくて、誰にでもできることだと今は確信しています。

「いや誰でもはムリでしょ。笑 」

そう思われたあなた、これからお話する僕の軌跡を読んでもらえれば分かります、絶対。

たっきーという人物がどれだけ普通の人間だったか。いや、普通以下のダメダメ人間だったのか。

きっと"あなたに自信を持ってもらえる”はずです。

長くなりますが、
これを読めば僕が月収300万まで稼いだ全てがわかります。

このnoteは2020年6月15日18時に
僕の公式LINE限定で先行公開を開始し、

販売開始1分で20部完売、
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1ヶ月で1800部完売しました。

※完売=コメント数でカウントしております😌


ストーリー形式で作ってあるので、
最後までスラスラ読めると思います。
中盤〜後半は内容が濃すぎるのでご注意ください🥺


偏見の目で見られた小学生時代


僕の家は母子家庭で、3歳の時に父親は蒸発しました。

だから僕が社会に出るまで女手一つで僕と妹を育ててくれた母を、僕は心から尊敬し、感謝しています。

そんな母子家庭だった僕は、父親がいないってことで「いじめ」をうけていた。

僕からしたら父親がいないのなんて当たり前で、別になんの不満もなかった。

でもまわりの同級生やその親からは「かわいそう」と見られていたみたい。

まわりと少し違うことがあると、いじめってのは簡単に起こるもんなんです。

当時は本当にしんどかった。

また小学生ながら不満に思っていたのが、欲しい物をほとんど買ってもらえなかったこと。

当時まわりの友達がみんな持ってるゲームボーイは買ってもらえなかったし、最新のゲームの話も友達とできずにいっつも話の輪に入れなかった。

そんなこともあってまわりの友達とは馴染めず、そんな自分が悔しくて、強がって孤立していた。

だからいじめの対象になっていたのかなって、今思い返せば感じます。

でも母がひとりで一生懸命に働いて頑張っていたのは、子供ながらによくわかっていました。

必要最低限のことはさせて貰っていたし、母に嫌悪を抱くことは一切ありませんでした。


感情が出せなくなった中学〜高校時代


いじめがエスカレートしたのは、小学校を卒業して中学生になってから。

まわりも成長して、男だったこともあり、殴る蹴るなんて日常茶飯事。

しんどい暴力もさる事ながら、陰湿ないじめを受けたり陰口を言われたりもして、この時から僕は自分の感情を表に出さなくなった。

机を4階の教室の窓から投げ捨てられて、悔しくて悔しくて泣きたかった。

でも泣いてる自分を見られるのが恥ずかしくて、我慢して拾いに行ったのはいい思い出です。笑

人を信じるなんて、もうこの時にはできなかったんですね。味方は誰もいない、ひとりぼっちの中学生時代。


高校に入ってからも、しんどい日々は続きます。

小学校から続けていた野球は高校でも続けていて、野球部に入部しました。

先輩たちは昔ながらの厳しい人たちばかりで、毎日殴る蹴るの暴行はあたりまえ。

1ヶ月に1回、殴られない日があったらラッキーぐらいの暴力の頻度でした。笑

最初は36人いた同期部員も、あっという間に5人まで減りました。

特別に強い高校だったわけでもないのに、毎日始発で朝練に参加し、遅くまで練習と片付けをして終電で帰る日々。

部活の準備や片付けは1年の仕事。でも同期部員がたったの5人で終わるはずもなく、始発で行って準備して、終電ギリギリまで片付けしないと全然間に合わなかったんです。

練習も本当にしんどいものばかりで、ついには肘を壊してしまう始末。

野球をするのに肘を怪我するってのは本当に致命的で、もう辞めようと決意して帰宅部になりました。

たぶん、コレが人生初の心が折れた挫折で、この時から "負けグセ" と "逃げグセ" がつきはじめました。

僕が辞めたことで、ただでさえ5人しかいない1年生がさらにひとり減って4人になってしまった。

残った4人からは完全に無視され、白い目で見られるようになりました。

もちろん先輩たちからは途中で逃げ出したと思われ、すれ違いざまに睨まれたり、故意に肩をぶつけられたり。

もう本当に散々な学生時代でした。


夢もやりたい事もなく専門学校に入学


高校時代は授業をほとんど寝て過ごしていたし、勉強なんて全然ダメでした。
やりたいことは何にもない。

小学生の頃はプロ野球選手なんて夢見てたけど、現実を見るとなれるわけないと諦めていました。

今考えると別にプロ野球選手になりたいわけじゃなくて、何もないからそう言ってたんだと思います。

でもどちらにせよ進路を決めないといけなかった。

地元では1番底辺の工業高校だったんですが、工場で毎日同じことを繰り返して働くのだけは絶対に嫌だっていうのだけは強く思っていました。

唯一体を動かすことが好きだったので、体を動かしてできる仕事って何かないかを考えてたとき、母から柔道整復師(接骨院の先生)をすすめられました。

その時は特にやりたいこともなかったし、資格を取れば将来は困らないかな〜ぐらいの軽い感じで、すすめられるがままに柔道整復師の資格が取れる専門学校へいくことに。

自分も野球肘で嫌な思いをしたし、同じことを経験する人を減らせないかなっていう表向きの理由も無理くり作って納得させました。

専門学校の面接試験はその綺麗ごとを話して無事に合格、僕の闇の専門学校生活がスタートします。


廃人と化すまでは一瞬


何が闇かって、専門学校に入って最初にできた友達たちとハマったのが、パチスロ。

もうここからは完全に奈落の底に落ちて行きました。

まわりの友達もみんなやっている変な安心感もあって、ひたすらパチスロに通う日々。

学校に行かずパチスロ漬け、勉強なんて一切せず留年しないギリギリの単位だけ取って3年生までパチスロ通いを続けました。

僕の通っていた専門学校は3年制、気付いたら卒業も目の前に迫っていました。

通っていた学校は卒業後に柔道整復師の国家試験の合格率を上げるため、頭の悪い僕からしたらかなり難しい卒業試験がありました。

これまでだらだらパチスロ通いで勉強してこなかったので、もちろん卒業試験は不合格!

そのまま留年に突入したわけです。


でも人ってそんなに簡単に変われるはずもなく、パチスロ通いは留年した年も続きました。

本当にダメダメ人間の典型的な例、今思い返せば完全にギャンブル依存症ですね。

留年した年の卒業試験は、直前に詰め込んだこともあってなんとかギリギリ突破できました。

がしかし・・・残念ながらその後に控える国家試験は点数がわずかに1点足りず不合格。

またしても国家試験の合格に向けた浪人生活が始まります。

この時さすがに次は合格しないとヤバイと思い、その年の年末くらいまでは頑張って勉強してました。

けれども・・・

さすがギャンブル依存症、年末には見事にパチスロを復活させてしまったんですね。

それでも前半戦は勉強していた甲斐もあって、その年の国家試験はなんとかギリギリで突破。

これで晴れて、柔道整復師になる資格を手にすることができました。


社会人をスタートした接骨院時代

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晴れて国家資格を取得でき、個人でやっている接骨院に就職。

初任給は、手取りで21万円でした。

自分の想像していた給料って、もっと多かったはずなのに・・・

現実ってこんなに手元に残らないものなのか、と結構ショックを受けました。

生活できないまではいかなくても、こんなに貰えないのは予想外でしたね。

接骨院の仕事を始めて、元々勉強が大嫌いな僕は、解剖学など学ばないといけないことを後回しにして無意識に逃げてばかりいました。

でも、患者さんから感謝されることはとても嬉しかったし、周りから認められたことがなかった僕からしたらすごい新鮮でした。

だから辞めずに続けられたのかな、と思います。


仕事が2年目に入り、肩書きだけ副院長となってお金の管理、保険請求関連などを任されるようになりました。

でもそこで見た現実がまたショックなもので・・・

不正請求が当たり前だったんです、この接骨院の業界では。

収益を上げるためには仕方ないのかと思う一方で、これって税金から支払われてるんだよなと強く不快感を覚えました。

そんなこんなで、社会人になって満足な給料が貰えてない僕でしたが、学生時代から大好きなパチスロは未だに続けていました。

いや、辞めれてないどころか、お金がなくてもやりたくて仕方がなくて。

すぐ返せるから借りようって軽い気持ちから、レイクのキャッシングで借金したのが人生のどん底へのスタートでした。

軽い気持ちで3万、また3万と借りる日々の始まりです。

現実なんて忘れて、借りたお金はほとんどパチスロに溶かす。

今思えば本当にバカなんですけど、やっぱりその当時はわからないものでした。


膨らむ借金の末に出会った物販ビジネス


ちょうどこの時期、今の妻と結婚しました。でも、借金のことは言えなかった。

借金の額はこの時でだいたい50万くらい、大した額でもないし別にあえて心配かける必要もないかなと思っていたんです。

お金は全然なかったけど、引越しや家具を買い揃えたりなどでまたお金を借りてやりくりする悪循環。

結婚してしばらくすると、妻の義母さんが癌になってしまった。

この時ただでさえお金はギリギリの生活をしていたのに、妻がお母さんの世話や見舞いで帰りにそのまま外食になったりと、出費はさらに膨らんでいったんです。

妻には強気で大丈夫だよと言っていたけど、本当は全然大丈夫じゃなかった。

この時すでに借金は膨らんで、150万くらいにまでなっていました。


日に日に膨らんでいく借金と追いつかない返済に、そろそろどうにかしないと本当に首が回らなくなる状態にまで追い込まれました。

そこで、今の仕事に追加して副業で"りらくる"の完全歩合制マッサージのアルバイトを始めることにしたんです。

本業が21時に終わってから、アルバイトは23時から朝の3時まで。もちろん次の日は朝の9時から本業の診療が始まる、そんな日々の繰り返し。

腕に自信があった僕は、アルバイトで指名を貰いまくってすぐにそこそこ稼げるようになると思っていました。

しかし、現実はそんなに甘くなかった。マッサージって娯楽の分類に入りますよね。

冷静に考えるとお客さんってだいたい月に1度くらいしかお店に来ないことに気づいたんです。そこで稼ぐなんて、夢のまた夢の話。

疲労とストレスが積もり溜まっていく日々でした。それでも月に稼げるのが3万円ぽっち、もう全然割に合わない。

また接骨院で資格を持つ僕が普通のマッサージ店で働くっていうのは、りらくる一本で本業として働いている従業員達からしたら厄介者。

僕がいることで、他の従業員のお客さんを取ってしまうこともあり、結果的に収入が減る従業員との人間関係も悪くなる一方でした。

妻と子供に好きな事をさせてあげたくて始めたのに、その時間も全く取れない現状でした。

そこで、家族との時間を共有できて、在宅でも何かできるビジネスはないかと調べていたところ、出会ったのが「物販」でした。


【2017年7月】 物販ビジネスをスタート


最初は物販てどんなことするのかよくわかりませんでした。

ですが、日頃の日常生活から物を買う自分を想像して、「安く仕入れて、高く売る」ってシンプルで分かりやすいなと感じたのを今でも覚えています。

当時は任天堂Switchの高額転売が印象深かったです。今も高額転売は続いていますが・・・

Switchのように定価以上の値段でもバンバン買われていく。

「こうやって稼ぐ人もいるんだな〜」と、そんな印象でした。

もともと遊戯王カードとかも大好きで、お宝探しが好きだった僕は、2017年7月1日から物販に挑戦することにしました。


まず最初にやったことはネットでの情報収集。

「情報社会の今、調べれば何でも出てくるよね!」

そう思って調べ始めましたが、調べども調べども有効的なやり方は出てこず・・・

調べても結局最後は有料の情報商材を買わせる流れなんですよね。

「お金ないから始めたいのに、なんでお金払わないといけないんだよ・・・」

ってのがこの時に思っていたこと。

調べても最後が有料ならもう自分でやってみるっきゃないと思い、よくわからないままスタートしてみました。


1ヶ月、集中・集中・集中して取り組み、時間は結構かけているのにその月の収益が3,356円。

「何でコレだけしか稼げないんだ。こんなはずじゃないのに・・・。」

と思いながらも、稼いでいる人がいるのも事実。何かが違うんだろうという結論に。

諦めの悪い僕は、まだ独自で色々と調べて物販を続けました。


挫折からの再挑戦

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そこで新たに調べて出てきた情報が「予約転売」

商品をAmazonで事前予約しておくと、発売日の前日に家に予約購入したモノが届くというシステム。

「コレは画期的だ!コレなら絶対に稼げる!」

プレミアが付きそうなモノを予約で買っておいて販売すれば、利益が出せる!と完全に素人目線で思いました。

早速予約で購入したのが、今でも忘れない「仮面ライダービルドのベルト」

確信しかなかった僕はこれを3つ、1つ15,000円だったので合計45,000円で買いました。

そしていざ発売日、もちろんAmazonでは完売済。

これは来てる、波が来てるぞぉぉぉ!と思い、本業をちょっとすっぽかしてAmazonにいざ出品!

いけーーーー僕のビルドのベルト!と思ったのも束の間・・・全く同じ時間に全く同じことをしてる人たちがわんさかいるんですよ。

だから、全然プレミア価格なんかで売れない。完全敗北。


結局、損する訳にもいかないし買い値と同じ15,000円で販売することに。

当たり前ですが、Amazonの手数料や送料を差し引いたらもちろん利益はマイナス。

手元に残ったのはビルドのベルトが2個・・・
(2020年の現在も家に眠っています。)

そしてこの当時、積もり積もった借金の金額はなんと230万円。

いよいよキャッシングが限度額いっぱいで利用できなくなってきました。

全力で節約したとしても12月までに月12万円を物販で稼げるようにならないと、債務整理※は免れない状況。
※債務整理とは、アディーレ法律事務所のCMなどでよくみる自己破産一歩手前の過払金請求のことで、任意整理ともいう

ヒグラシの鳴き始める8月の終わりくらい、もう自分の中ではやり切った感が強く、心が折れて完全に燃え尽き症候群に。

9月1日になった時には弱気になって、もう諦める頭になっていました。


【2017年9月4日】 債務整理を決意


もうだめだ、債務整理しようと、その流れでアディーレ法律事務所に電話をしました。

その時の担当者に

「もうこれで大丈夫ですよ、安心してください。大変でしたね、お疲れ様でした。」

と言われて、なんだか半分すっきりした気持ちに。

そして9月14日にアディーレ法律事務所に印鑑を持って行くことが決まります。

これでやっと開放される。

でももう半分の気持ちは、本当にこのままでいいのか?人生これでいいのか?そんな疑問も残っていました。

だから、債務整理ってどんなものなのかを調べてみた。

すると、思っていた以上に債務整理ってヤバい。支払い期間の5年間と支払い後の5年間の合計10年間はブラックリスト入り。

その10年間はローンが一切組めなくなるので、スマホも基本は分割購入のため、買い替えることはできないしパソコンも買えない。もちろん車だって家だって買えない。

まだ僕28歳なのに、38歳までローンが組めないでこのまま・・・

僕の人生ってこんなにツマラナイどん底な人生で完全に終わってしまうのか?

そう強く思った僕はどうしても諦めきれなくて、自分で調べてわからなければもう誰かに聞くしかない、という考えに至りました。

そこでTwitterで教えてくれそうな人を探したところ、ある人を見つけました。


Twitterで恩師との出会い

その方と電話できることになり、商品の選び方などのノウハウを教えてもらうことに。

丁寧にノウハウを教えてもらったのですが、きっとこの後は有料コンサルの話になるだろうから電話切りたいなーと思っていた矢先、やはりその話に。

コンサルのお値段なんと130万。いや絶対に無理でしょってなりました。

なので、あとは自分でどうにかしますと言って、電話を切りました。

教えてもらったノウハウでなんとかなるだろうと思っていた、そんな自分が完全に甘かったです。

やはり "ノウハウをちょっとかじったくらいじゃ、上手くいくはずない" んですよね。


まだそれでも諦められなかった僕は、もう一度Twitterで教えてくれそうな人を探しました。

すると、「本気の人のみ通話します」という人を発見。

もちろん人生かかってるので本気以外なにものでもない、これは僕に言っているのか!?と思って公式LINEに追加し、電話することに。

その方には、ノウハウなんてぶっちゃけ最初は大事ではないと言われました。

今でもその人に言われたことははっきり覚えています。


恩師K
「たっきーさんは、リサーチとか商品の販売方法とかのノウハウが大事だと思いますか?」

僕「はい、もちろん大事だと思います。」

恩師K
「なるほど、でしたらドラクエで例えますね。ノウハウを伝説の武器だとします、想像してみてください。

その伝説の武器をたっきーさんはいま全力で探しています。

まだ物販を含め副業でビジネスを始めたばかりの、レベル1のたっきーさんが、もしいま伝説の武器(稼げるノウハウ)を手に入れたとしますよね?

たっきーさんの理論で言えば、もうこれでたっきーさんは最強です。

じゃあそれで、たっきーさんはラスボスを倒せますか?」

僕「・・・無理ですね・・・」

恩師K
「そうですよね、例えを変えてみます。卓球の福原愛さんをご存知ですよね?

たっきーさんと福原愛さんと卓球勝負です。

たっきーさんは100万円のラケット、福原愛さんが1000円のラケットです。

たっきーさんは、福原愛さんに卓球で勝てますか?」

僕「・・・無理ですね・・・」

恩師K
「そうですよね、福原愛さんがスリッパでも勝てないと思いますよ。

つまり何を伝えたいかというと、今たっきーさんに必要なことはノウハウじゃなくて、経験値を積んで自分自身のレベルを上げることなんですよ。

今のたっきーさんがノウハウを知ったところで、全く使いこなせず空振りばかりしている伝説の武器やラケットの状態なんです。

ようは扱えないんです。だって、経験値ゼロのレベル1ですからね。


こんな会話をしました。もう衝撃でしたね、カミナリに打たれた気分。

ノウハウよりマインドの話を中心に聞いていったところ、最終的にはやはりスクール(有料)の話になりました。

この当時、この人のスクール費用は年間35万円。前の130万円に比べたら安いけど、この時の借金地獄の僕には到底払える金額じゃない・・・

絶対ムリです払えませんと伝えたところ、分割で払えば月々そんな大した額じゃないですよと言われます。

恩師K
「ここでやらなかったら人生終わったようなもんじゃないですか?そんなんでいいんですか、たっきーさんの人生。」

僕「・・・・・人生終わってるか・・・・・」

この時の僕が運が良かったのは、借金はパチスロでのキャッシング枠でしていたので、クレジットカードのショッピング枠がまだ全部使えたことです。

そう、ショッピング枠がまだ使える。

「ここでやらないと人生なんも残らないし、子供に何もしてあげれない。」

もう背水の陣で、スクール代金をクレジットカードの分割で支払い、入会することに。


この電話を始めたのが9月13日の22時、明日14日には債務整理のためにアディーレ法律事務所に印鑑を持っていく予定でした。

支払いが完了したのが14日の深夜2時。14日の朝にアディーレに電話して、やはり債務整理は止めることを伝えました。

ここでアディーレの担当者に言われたのが、

「ここでやらなかったら人生終わったようなもんじゃないですか?そんなんでいいんですか、たっきーさんの人生。」

と、まさかの怒られながら同じ内容。

そりゃーそうですよね、アディーレ法律事務所も善意活動ではなくビジネスです、契約をやっぱ辞めますなんて言ったら怒りますよね。

でも「自分のケツは自分で拭きます!だから大丈夫です!ありがとうございます!」とか訳わかんないこと言って、債務整理はお断りしました。


【2017年9〜10月】 なかなか上手くいかない葛藤

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物販のスクールに入り、初めて売れた商品の利益は382円。今でもはっきり覚えてます。

全然しょぼい利益だったんですが、この利益は初めて自分の思う通りにやって、自分の思う通りに売れた成果。

あ、すごい、ちゃんと売れるんだって。この時は本当に嬉しかったんです。

最終的に9月の残りの半月で37,852円の利益を出すことができました。

よしいける、10月はもっと頑張って利益をだす!と意気込んだにもかかわらず、なぜか10月も利益が変わらず32,678円。

あれ、こんなに毎日頑張ってるのに、一体なぜなんだと疑問しかありませんでした。

この当時の作業時間は1日4時間。

仕事が終わって帰ってきてから夜中まで作業して、少ない睡眠時間で仕事へ向かう生活を繰り返してました。

でもある日、寝坊してしまって9時に仕事開始なのに9時に起きる失態。
コレはまずいと思い作業を3時間に減らすことにします。

しかしそれでも疲れが溜まっていき、10日後に9時仕事開始なのに11時に起きる大失態で、上司に激怒されました。

さすがに仕事に支障が出るのはまずいと、最終的に1日2時間の作業時間でやっていました。

とはいえ、1日2時間休むことなくできる限りの時間を使って作業して10月は32,678円の利益。


【2017年11〜12月】気付きと覚醒そして次のステージへ

11月もとにかく挑戦だという思いで取り組み、出だしは1日利益5,000円と好調・・・と思った矢先にヤフオクのアカウントがなぜか停止。

こんなに頑張ってるのに、なんで上手くいかないのかが全くわからない。
一体どうすればいいのか。

そこでスクールの恩師Kさんに聞きました、なぜこんなに頑張っているのに上手くいかないのかと。

恩師Kさんは言います、

「たっきーさん、頑張るのはいいですけど。でも、月に10万円はいつ稼ぐんですか?」

また頭を殴られた気分でしたね。

1日1日をとにかく一生懸命にやること、必死でやることに頭がいっぱいで、月に10万円稼ぐにはどうしたらいいのか、をちゃんと考えられていなかった。

目標を立ててそこまでのプロセスを細かく進めることができていなかったんです。

単純に、 "頑張ってる自分に酔ってただけだった" んです。

12月のタイムリミットまで、あと2ヶ月。借金の返済もあり12月に12万円稼いでないと生活できない状況。

僕と同時期に始めた女性は、初月3万、2ヶ月目は18万、3ヶ月目は24万と・・・とんとん拍子に成果を上げている。

自分との差がなぜこんなに開いてるのかも、この時は全然わからなかった。同じことやってるのに、なぜ・・・

そこで、単純な僕はこの女性の作業量の3倍こなせば、売り上げも3倍になるはずだと考えました。

この女性は一日6時間を作業に費やしてる、今の僕は2時間で圧倒的に少ない。

そこで、友人に頼んで効率化と作業時間を増やす作戦に出ました。
(当時は認識はなかったですが、コレがビジネス初の外注化)


友人と自分の作業時間を合わせると6時間。

それでも頭と体が2つあることは非常に大きくて、結果的に作業量は彼女の3倍近くをこなすことができました。

結果、12月の利益は2人で148万を達成。売り上げは折半だったので、僕の利益は月収74万円。

ギリギリなんとか間に合った。

12月だったので、利益の10万円はダイソンの掃除機を妻にクリスマスプレゼントで買ってあげて、残りは全て借金の返済へ。

この時に見えたのが、月収100万円の世界。でも、それができない現実がありました。

そう、クレジットカード枠の限界で、どう計算しても月収100万に届かせるのは不可能。

そしてここでふと気づきました。僕は自分で考え、自分の力でこの実績を出せたのだから、次は教える側にまわればもっと効率化できると。

教える側にまわれば、もっと新しい世界が切り開けるはず。

そう思い立って恩師Kさんに連絡し、教える側になるにはどうすればいいかの教えを乞いました。

そこで言われたのが、

恩師K
「たっきーさんは今作業時間が1日に2時間しかない。その中で物販をやりながら情報発信する土台作りをするのは、かなり難しい。

もし本気でやるなら、物販を一旦完全に切るくらいのつもりでやらないと、どっちも中途半端になるよ。」

僕の決意は堅かったので、それなら物販をやめて教える側に全力を尽くすことにしました。

年が明けて2018年1月1日、僕の教える側の情報発信にまわる土台づくりのスタートです。


【2018年1月】 上司との衝突

本業と同時並行してやっていたこの当時、よく上司とぶつかるようになりました。

理由は簡単、自分のまわりは稼いでいる人たちばかりで自分も稼げるようになった分、マインドが上司を超えてしまったのはないかと感じ始めたんです。

稼ぐ前は、仕事ができない・頭が悪い・要領が悪いなどバカにされ続けていましたが。


物販で74万円の売り上げを達成させるまでに、本気で努力して来ました。

そのため上司のやることに対して、もっとこうした方がいい、ああした方がいいと思うようになってきていたんです。

自分の患者さんに対しても、ネガティブな人に前向きな考え方を話してあげたり、自信がつくようにマインドセットができるようにもなっていた。

患者さんからも感謝され、仕事も急にできるようになった僕。患者さんの来院数とリピート数もグングン上がってきました。

でも、上司からしたら普通に気に入らなかったんだと思います。

このとき僕は、経営などの稼ぐ為の考え方やマインドが上司のことを超えたのではないか?とうすうす思っていたことが、確信に変わりました。

上司も恐らくそのことに気づいたのか、僕の副業に対してチクチク言ってくるようになりました。


ある日、FXをやっている患者さんが治療に来たんです。

その患者さんは本来上司の受け持ちだったのですが、たまたま上司の予定がつかずに僕が担当することになりました。

患者さんとFXの話や僕のやっている物販の話で盛り上がっていたところ、施術が終わって上司に呼び出され、激怒されます。

お前は仕事中なのに患者さんと一体なんの話をしてるんだ、仕事に集中しろと。

いやいやいや、上司こそいつもその患者さんとFXの話をしている。全然言ってることがわかりませんでした。
(上司も独学でFXをやっていたため)


すると上司から、お前雇われてるって自覚あるのか?と一言が発せられました。

僕は上司にはものすごくお世話になっていたし、感謝の気持ちがありました。

上司はあと3年ここで働いたら、社長から接骨院をもらえる話になっていたし、それまでは一緒にやってほしいとも言われていました。

僕自信もお世話になった恩返しとして、3年は働くつもりでいたんです。

でもそんな中で、雇われてる自覚があるのかって一言に完全にカチンと来た。

1日2時間で74万円を副業で稼いでいるのに、1日12時間労働して手取り21万円の本業の仕事して、もうどっちが本業かわからない。

あぁ、自分はこの人に雇われてるんだってことを、この時に強く実感しちゃったんです。


おまけに上司はとどめを刺してきました。スタッフに対して、

「あいつちょっと気に入らないから、しばらくあいつに対して態度悪いけど気にしないで。」

と話しているのが聞こえたんですよね。

この時、僕の中で「もう辞めよう。」という決意がしっかり固まりました。

物販のまわりの仲間からも、いつ本業を辞めるのかを聞かれていたけど、あと3年は難しいと話していました。上司には恩があったから。

でも雇われてるって自覚あるのか?って言われたら、なぜここまで我慢してまで続けないといけないのかわからなくなった。

もう辞めてやるって気持ちへと、完全に切り替わった瞬間でした。


震える手で書く退職届

その一件があってからの僕の行動は本当に早かった。

暴言を吐かれたその日に、上司とスタッフが帰ってから、自分の患者さんのカルテと治療計画書をこの先、6ヶ月分を全て終わらました。

自分が辞めることでまわりに迷惑はかけたくなかった。

だから引継ぎのための作業は徹底して全て完了させ、自分の7年間使ったロッカーも全て片付け、もうその日に辞める支度を整えていました。

その勢いのまま接骨院で朝になり、ついに辞表を書くところまできました。


でもいざ退職届を書こうとした時、恐怖で手が震えて全然書けなかったんです。


「自分はこの先、脱サラして本当に生きてい行けるのか?本当に大丈夫なのか?

あんな暴言吐かれたけど、なんだかんだ上司にはお世話になっていたし。

他のスタッフにもすごく良くしてもらっていた。」


そんなことが走馬灯のように流れてきて、武者震いもあり手が震えて一向に筆が進まない。

タバコばかり進んで7本を吸い終えたあたりで、踏ん切りをつけるために脱サラした先輩経営者に電話しました。

手が震えて書けないことを伝えると、彼も会社を辞職するときは同じ気持ちだったと共感してくれました。

でも絶対に大丈夫だから、1年後に笑い話になってるよって、背中を押してもらえたんですね。

なんとかなる、自分にそう言い聞かせてなんとか退職届を書き終えました。


接骨院を出たあと、社長に電話をかけて事情を説明し、辞めることを伝えました。

案の定、考えなおして欲しいと迫られます。

社長はすぐに上司に電話をしたらしく、しばらくしてから上司からも電話がきました。

「そこまで本気だとは思わなかった、本当に申し訳ない、直接話そう」と。

次の日、上司と腹をわって話をすることに。


上司「あと2年でいいからいてくれないか?」

僕「すいません、もう無理です。」

上司「わかった、なら今年の8月まではどうだ?」

僕「無理です、もう辞めます。」

脱サラをするスイッチが入ってしまった僕は、どんなに頑張っても来月までですと、はっきり伝えました。

上司も仕方なく納得してくれて、その日から淡々と業務をこなしていく日々。

そして気づけば2月も終わりになり退職・・・となる前に大事件が勃発。


【2018年1月】 家族に借金がバレる

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2018年の年始に仕事を辞める決意をした時、僕の借金は残り150万円まで減っていました。

しかし、そこに油断して引き落とし前のタイミングで、口座にお金を振り込んでおくのを忘れちゃってたんです。

足りなかったのはたった8円でしたが、借金返済の引き落としができず、まさかの催促状が家に送られてしまったんですね。

ご想像の通り、妻には借金のことは話していなかったので、レイクからの催促状を見た妻はなんだこれ?って開封します。

そして内容を見て絶句。旦那にこんな借金があったなんて・・・と。


妻はまず自分の父親に電話してこのことを話し、そのあと僕の母親に連絡がいきました。

そんなことはつゆ知らずの僕が家に帰ると、玄関には大量の靴。

なんだパーティーでもやってんのかとお気楽な気分でリビングに行くと、薄暗い部屋で両家の家族が机に面と向かって大集結してるんですよ。

この異様な空気に、僕はすぐに察しました。あ、借金がバレたんだ、と。

僕が椅子に座るとやはり借金の催促状を持ち出されました。どうしようか迷った末に僕の口から苦し紛れに出た言葉が、

「いやぁ、これはその、過去の遺産なんですよぉ〜」

ちょっとおちゃらけて言うも、そんなものが通用するわけもなく・・・

自分の親からも妻の父親からもめちゃめちゃに怒られたんですね、ふざけんなよお前はと。

これどうすんだと言われたので、稼いで返すから大丈夫と答えました。

大丈夫なわけねぇだろお前ふざけんな!と怒鳴られるも、今副業で稼いでるから大丈夫だって言うのが精一杯でした。


そこで実際に通帳を取り出して、利益がしっかり出ている証拠を見せました。

胡散臭いなという目で見てくる両家の親たち、さらに追求が入ります。
今月はいくら入ってくるのか?と。

情報発信に専念するため物販のプレイヤーを一時的にやめていたこの時期の収入はゼロ。

正直に答えるしかなかったので、今月はゼロであることを伝えると、案の定ふざけるな!で一蹴。

働いて返すしかないだろうとさらにボルテージは上がっていきます。

しかし、ここでさらなる問題が・・・

そう、今の仕事も、すでに辞表を書いて辞めるつもりであることを追加で伝えなければならない。妻もこのことを知らない。

この時考えました。

どうせ仕事を辞めることを伝えてまた怒鳴られるのであれば、今このタイミングで一緒に伝えちゃった方がいいかなと。

なので僕はさらに続けて伝えました。

「あのぉ・・・非常に言いづらいんですが、僕、2月いっぱいで接骨院を辞めるんです。」

もちろんさらに激怒されます、人生そんなに甘くない!と。

お互いにジリ貧で言い合う中で、母が僕に言います。

「借金は私が代わりに払うから、もう少し仕事を続けない?」

母からしたら、5年間もの学生生活を経て国家試験に合格し、7年間今の職場で働いている自分を見ていたからの気持ちだったと思います。

そろそろ独立開業も考える年齢、母からしたらこのタイミングで辞めてしまうのはもったいないと思ったんでしょうね。

だけど僕は、

●まわりの稼いでいる人たちともっと一緒に仕事をしたい強い想い
●接骨院の業界に不正請求が多すぎて、自分で開業して不正をしながら生きるのは嫌だという想い

この2つの想いから、開業をする気は一切ありませんでした。

自分の子供に、不正請求で稼いだお金で飯を食わせるのは絶対に嫌だったんです。

どちらにせよ借金を返済してもらっても接骨院を辞めることは決めていたので、払わなくていい。

自分のツケは自分で払う、それを伝えました。

もちろん義理父、母もそこで引き下がらず、条件を提示しなさいと言って来ます。

そこで僕が提示した条件は、1年以内に月収100万円以上稼げるようにならなければ会社員に戻るというもの。

その場はなんとかそれで話が収まりました。

またその話し合いの中で、仕事を辞めるなら妻の父と義妹が住む家に引っ越さないか?と提案され、それを素直に受け入れました。


【2018年2月】 別れ

妻の実家への引越しは1月の末。

仕事を辞める手続きや引越し後の整理で、2月は一日に取れる作業時間が1時間ほどまで減っていました。

それでもやるしかない、口だけって言われたくない。

その強い思いからか2月は42万円ほどの利益を出しました。

2月も終わり、ついに接骨院を無事に退職する日がやってきます。

最後の最後は、僕自身なんだかんだで上司にはお世話になっていたので、感謝をしっかりと伝えました。

しかし、上司から返ってきた言葉が、

「俺は金に走ったやつに興味はない。早く帰れ。」

と、最後にお礼を言っているのにです・・・
僕も腹が立って言ってしまいました、

「僕も稼いでない人には興味ないんで。さようなら。」

この時は腹が立って言ってしまいましたが、今思えばちょっと言い過ぎたかなってのはあります。

脱サラして稼ぐまではただでさえ認められないし、否定されつづける。

だから上司には最後はみとめてほしかったんだろうなって、今思うと感じます。

またどこかで会ったら、ちゃんと謝って酒でも飲みたいな。


【2018年3月】 起業

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ついに3月1日から起業して、自分一人の戦いがスタートしました。

僕はとにかく稼ぎたかったので、様々なところで自己投資にお金を使いまくります。

3月もなんとか42万円稼ぎ、プラスで2月に働いた分の給料が入ってきました。

が・・・自己投資にお金を使いすぎたせいで、4月は最低でも55万円を稼がないとヤバイ状況に陥いってたんです。

4月からは本業の給与もなくなる。そんな状況の中で、4月20日まで収入はゼロの状況。

集中する環境を作るために家を出て、ファミレスやカフェでひたすら作業するもなかなか収益は生まれません。

平日の昼間に私服で公園を歩きながら、

「俺はできる俺はできる俺はできる」

と念仏のように唱え続けて自分を自己洗脳してマインドセットする日々。


価値観の変え方

4月22日、周りの稼いでいる起業家たちに僕はどうやったら稼げると思いますか?と聞きました。

この時に言われたのが、価値観を変えなきゃダメだよということ。

起業家の中のひとりのDさんに聞かれました。

Dさん「たっきーが履いている靴はいくら?どのくらいの期間を履いてるの?」

僕「大体8,000円くらい、1年は履いてるかな?」

Dさん「そんな靴今すぐに捨てて、新しい靴を買いに行こう!」

そう言われて、高級ブランドのルブタンに連れて行かれました。

これが僕とルブタンとの出会い。

それまではこんなトゲトゲの靴、一体なにがいいのか全くわかりませんでした。(ラファエルさんが好きだよな〜ぐらい)

ルブタンでこれ買おうと言われましたが、そのお値段なんと15万円。

僕「(いや絶対に買えないよ、だって僕の今の財布の中は8円だよ・・・)」

でも一緒に付き添ってくれたKさんが言います。

Kさん「今の価値観ならその8,000円の靴だって高いでしょ?

でも稼いでる人ってのは、このルブタンの靴を買うなんて

どうってことない。もう価値観が違うんだよ。

今ここでこの靴を買えば、価値観が変えられる、絶対に。

今ここで、今の稼げてない価値観をぶっ壊そう。」


”成功者のマネをしろ、素直に実行しろ”


前に誰かにこんなこと言われたことを思い出しました。

その場でクレジットカード一括で15万円のルブタンの靴を買いました。

価値観を変えるために。

そしてその靴は今でも思い出の靴として履き続けています。

もう履き潰れてボロボロなんですけど、サンダル感覚のような相棒感があります。

やっぱり当時の想いが込もっていてなかなか捨てられないんですよね。

このルブタンの靴を買ったことで、僕の価値観は本当に変わりました。

まわりの人の履く靴に目がいくようになり、仕事に対する姿勢も不思議と変わったんです。

4月は残り8日しかなかったんですが、価値観が変わって行動の基準値も上がり、8日間で55万円まで利益を出すことができました。


【2018年5月】 情けなさと悔しさ

5月に入ったある日、息子と一緒にプールに行ったんです。

そしてプールの帰りに息子にせがまれてアイスを買ってあげることに。

そこで財布を開けたらびっくり、なんとまた8円しか財布に入ってなかったんです。

僕は今稼ぐために頑張っているのに、息子にアイスの1つすら買ってあげられない。

一体僕はなにをやってるんだ?

情けなくて仕方ありませんでした。もっと、もっと稼がなければいけない。

でもさらに追い討ちをかける出来事があります・・・


家に帰ると妻から、「今月はあと6万円支払いが足りないんだけど、なんとかなる?」と相談されます。

この時の僕の所持金は8円、その6万円は支払うことができない状況。

でも妻には心配をかけたくないので、悩みに悩んだ結果、自分の車を売ることにしました。

その車はずっと昔から憧れていた白いセダン。会社員になって初めて自分で買った新車でした。

ローンがまだ110万円残っていたんですが、売値は116万円。

ぴったり今月足りない分の6万円プラスが出て、思い入れのある白のセダンは去っていきました。

もちろんそこで出た6万円の利益は支払いにもっていかれます。


もうこんな惨めな思いは二度としたくない。

息子にアイスすら買ってあげられない惨めな思いは、絶対にしない。


そう思って死ぬ気で作業して、5月はなんとか月収128万円の利益を出すことができました。

初めての月収100万円超えを経験して、僕はあろうことかここで一度天狗になっちゃいます。

会社員をやめて月収100万円以上稼いでいる自分は超すごい、と。


【2018年6〜8月】 限界を目指す鬼努力の日々と外注化


天狗になった次の6月はサボったつもりはなかったのですが、月収100万円に届かず月収95万円の利益で終了。

この時、同時期にビジネスを始めた女性が、月収150万円の利益を出していました。


“あの人にそれができるなら、僕にできないはずがない。”


そう思い、さらに上を目指し始めました。

次の7月は作業量をさらに増やして130万円の利益。

そしてもっともっと作業量を増やして、8月は初めて過去最高額の月収250万円を達成。

でもここで思ったんです、もうこれ以上自分でやるのはムリだと。


手を増やさないとこれ以上は無理だと気付き、次の9月から外注をお願いすることにしました。

とは言っても外注化は自分で作業するわけではないので全然うまくいかず、9月20日まで利益はたったの20万円。

僕は極限まで自己投資をしていたのと借金の返済もあり、9月は最低でも130万円稼がないとまわらない状況に。

あと110万円をどうしようとなったので、仕方なく外注さんに任せていた作業を一旦自分でやることにしました。

そしてなんとか130万円は達成、事なきを得ました。


【2018年10月】 突き抜けるための決意と覚悟

9月の出来事について、先輩の経営者の方に言われました。

「ギリギリで生き残るのはいいけど、一回振り切って突き抜けないと自分の視野は変わらないですよ。」

「なるほど・・・」

納得したことをよく覚えてます。

そして、10月。この月も神のいたずらなのか、面白いことに9月と全く同じ状況で20日の時点で20万円の利益。

また自分の手を動かすか、このまま外注に最後まで任せるかで苦難の選択を迫られます。

でもここで考えたのは、万一ここでうまくいかずに収益が上がらなくても、まあ生活ができなくなるだけで死ぬわけじゃない。

ワンチャン自分だけホームレスになればいい話かなと思って、勇気を持って全部外注に任せました。

残り10日間、ここから外注さんが踏ん張ってくれて、最終的に150万円の利益まで持っていってくれたんですね。

ここで思いました。

今回外注さんにお願いして利益が150万円、自分がやっても150万円稼げるので、2人でやれば月収300万円を超せるんじゃないかと。


【2018年11月】
1年2ヶ月の時を経て月収300万円パパが誕生

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そこで11月は月収300万円を超すことを目標に、外注さんとガムシャラにやりました。

結果、328万円の利益を上げることに成功。

ここまでが、僕が会社をやめてから月収300万円まで稼いだストーリー。

このまま次の12月も300万円を超す収益を叩き出し、2019年1月に法人化し代表取締役社長になりました。

僕が完全初心者で物販をスタートしてから、1年2ヶ月の時を経て達成できた月収300万円。


勉強なんて大嫌い、サボってばかりでパチスロに依存して、借金が250万円まで膨らんでた超ダメ人間の僕でも、ここまででくることができた。

だからこそ断言できる、あなたにも必ずできると。


このnoteを読んでくれたあなたは今、期待で胸が膨らんでいますか?

それとも不安な気持ちでいっぱいですか?

僕から伝えたいことはたった一つ。

「いつ変わりますか?今、変わらなかったら5年後10年後もなにも変わらないですよ。このnoteを最後まで読んでくれたあなたなら、きっと変われます。ぜひ変わる行動をしてみてください。」

ありがとうございました。

変わりたい方は、
下記の公式LINEから、熱い思いをメッセージください。

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