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【本】隈研吾『新・建築入門 思想と歴史』
世界的建築家になる少し前の時代、40代の隈研吾が書き下ろした著作です。
本書は古代から前近代までの建築史を、隈研吾独自の視点で語るという内容です。
現代でもっとも大衆的な建築家の1人と目されている著者ですが、そんなイメージを持って本書を手に取る人は、ここで展開される非常にハイコンテクストでハードな建築論に驚くかもしれません。
本書で取り上げられる建築が西ヨーロッパの、しかも大半が古典建築であることも「和の大家」の異名をとることもある、現在の著者のパブリックイメージからの隔たりを感じます。
本書において著者は「構築」と「自然」の対立軸を立てることで、古代から現代までの建築史を一挙に俯瞰するという、大胆で野心的な建築史観を試みます。
構築という言葉は、建築における主体の存在を明らかにする…主体によって構築されるものが建築であり、それ以外のものは建築ではない…
建築とは確かに空間的なものであるが、空間そのものではない…建築とは空間的な構築である。構築の本質を問わないでは、いくらまなざしを高く、遠く設定しても、永遠に建築にたどりつくことはできない
構築とはまぎれもなく自然を殺傷する行為であった。構築は何らかの形で自然の破壊を伴う。自然を破壊し、殺すことによってはじめて、何らかの人工的なるものを構築することができるのである。
本書は、構築/自然の対立軸こそが、古代から近代に至るまでに建築の歴史を動かす原動力だったという歴史観を示します。
そして著者の筆は現代にいたり、1990年代のバブル期の騒乱と崩壊を背景にして、参照すべき建築史観を失った建築界の暗い未来を暗示して本書を終えるのです。
著者の焦燥感、苛立ちに満ちた硬質な文章を通して、世紀末の雰囲気が伝わってくるような終わり方です。
しかし本書執筆から約20年後、著者は文庫版あとがきにおいて一転して明るく柔らかい筆致で、執筆当時のことを振り返っています。
その暗さとは対照的に、この本を書き終えた時、僕の気分は、なぜか晴れ晴れとしていた。この本を書くことで、建築の歴史の全体を総括し、建築という行為自体が、西欧文明、西欧というシステムとわかち難くつながっていることを確認したことで、僕は次の新しい一歩を踏み出すことができたのである。
その後の著者は、ある種「吹っ切れた」ように、東京を離れ地方の小規模な建築を次々に手がけるようになります。世界的建築家・隈研吾になる少し前のことです。
著者はこの本を書く中で、自分の立つべき場所を「歴史」の中に発見したのでしょう。
いや、数千年の歴史の中に自分の立場を力業で位置づけようとする行為は、「発見」というよりも、著者の言葉を借りて「構築」といった方が適切かもしれません。
その時代のなかで作家が寄って立つべき場所を見失ったとき、歴史は、足元の地面を構築するための「方法」になりうるのかもしれません。
ブックメーターに自分で記録した感想を編集して掲載しています。
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