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掃除のたのしみを知って思うこと


週に1回、週末には家の掃除をすることにしている。普段は妻と分担することにしているが、ここ2ヶ月ほどは妻が帰省中のため、家の隅々まで1人で掃除をしている。

単純に作業量が倍になるのでどれほど大変かと、初めの頃は億劫に感じていたが、始めてみると案外楽しみを感じている自分がいる。
普段生活していながら自分が掃除担当ではないリビングやキッチンでは、毎週掃除するたびに新たな汚れポイントを発見したり、自分で新しい清掃技法を生み出したりして、それが意外なほど掃除のやりがいの源泉になっていたりする。人間の脳には、どんなことにもディテールを知る喜びを覚えてしまう回路がインプットされているのかもしれない。

わたし自身の家庭においては、家事育児は可能な限り夫婦でイーブンに分担すべきだと、わたしは思っている。それでもわたしの方が仕事で家を空ける期間が長かったりするので妻の負担の方が大きくなっているのは事実なのだが、ともかくポリシーとしてはそう思っている。

わたしはこれをもってして自分の意識が高いだとかと誇示するつもりは全くないのだが、客観的にみて若い世代の価値観を反映しているとは言えると思う。事実、世代が上になるほど家庭内で夫が家事を分担する割合が低い、すなわち妻に家事を任せっきりにしている傾向があるというのは統計的に明らかなようだ。

わたし自身、とある50代後半(当時)の男性との日常会話の中で「朝食はわたしが準備するようにしてるんですよ」と言ったら尋常ではなく驚かれた経験がある。その人は自分で家事など全くしないそうだ。
家庭内で自分が家事をやらないと明言することに、なんのやましさや恥ずかしさも持たないことの方がわたしにとってはむしろ驚きなのだけど、年長の人と付き合っているとこういう出来事には事欠かない。

仕事で疲れていて休みたい夜や週末に家事をするのは確かに面倒ではあるし、妻が全部やってくれていて家庭の運営に支障がないならそれを咎める気持ちはない。世代間あるいは個人間の価値観のギャップというのはそういうものだと思う。※

各家庭のことなので、自分たちで納得しているのであれば家事育児の負担に偏りがあることに問題はないと思う。夫/妻が代議士やある程度の規模の経営者などをやっていれば、家事などしている暇もないのは当然だろう。
代議士や経営者は極端な例だが、勤め人であっても夫婦間でそれを前提に家庭を運営していくことに各自が納得しているなら、そこにわたしが口をだす義理はない。また、出稼ぎ、長距離ドライバーなど、ある期間家族と離れて仕事をすることで生計を立てている人もいるので、そういう人たちを十把一絡げに非難してしまうつもりもない。

しかし、家庭を持ち家族と一緒に暮らせる環境があるのにもかかわらず、家族と一緒に家事や育児のたのしみを見つける機会を持てない人の人生というのは、なかなか寂しいものではないか、とわたし自身は思ってしまうのであった。



※ 社会全体でみたときに、そのことが男女の賃金格差是正や女性のキャリア構築をいかに妨げているかを考えれば大問題であり、わたしもそれを深く憂慮する1人なのだが、ひとまずここではそれに触れなかったことについてはご海容いただきたい。


カバー画像:性別分業意識の象徴

なぜこの時代に性別分業意識丸出しのアニメが堂々と放送されていて炎上しないのか、理解に苦しむ。子供の教育によっぽど良くない気がするのだが…

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