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どうでも“良いね”ではない

「良いんじゃない」とよく言う。

決して、適当に相槌感覚で言っているわけではなく。良いと思っている。
無責任なくらい、肯定的だ。

21歳時だっただろうか。
「相談すると、良いね良いねって言ってくれるよね。そう言うところ好きだよ」と言われたことがあった。


言われるまで全く気が付かなかった。この人の中でそういうイメージなのか。
自分では、ずっとネガティブで負の感情の塊だと思っていた。「キミのネガティブは周りを嫌な気持ちにさせる」と言われたこともあったのに。不思議だ。


否定と心配性。

好きだった人に、「否定から入らないで」と言われたのを思い出した。
否定じゃない、心配だから客観的に考えてそのリスクを伝えただけだ。それを否定と言うなんて。

「それは否定とは言わないよ。言葉が違う。」と伝えたら、ロジハラだのなんだのと言われた。めんどくさいやつだなと、目を細め思い切り息を吸った。
度々、こういう出来事がある。
他人の言葉の矛盾や言葉選びの違いを見つけると、「なんで?どうして?」を聞いてしまう。嘘を見つけても、その嘘に対して「嘘ついているでしょ」なんてナンセンス指摘はしない。一つ一つ順を追って逃げ道を潰す。「それだとこうなるよね、言ってることと違うよ。こう言わないと矛盾するよ」と、じわじわと追い詰めてしまう。悪意はない。矛盾しないように、もう一度正しく嘘を組み立ててあげるだけだ。例え向こうが私に嘘をつこうとしていても。これは善意で美しい嘘を作ってあげているだけだ。嘘のゴーストライターとでも言えば良いだろうか。


人の意見には否定をしない。

自分の意見が通せるタイプではないということもあるが、揉め事はあまり好きではない。笑って傍観しているくらいがちょうどいい。話こそ聞くが誰の味方にもならない。良くも悪くも八方美人だ。

ちゃんとした理由もある。
人を否定しないのは、今あるもの以上の良い考えがないからだ。身の程を弁えている。
否定するからには、それ以上のものを提供すると言う考えが私の根底にあるからだ。
もちろん理由があれば、こっちの方が良いくらいは言う。あればの話だが。


「良いね良いね」は本当に良いねと思っているんだ。適当な相槌じゃない。そもそも、そう言ってくるキミが適当な相槌で「良いね良いね」と言っているんじゃないか。「どうでも良いね」のキミと一緒にしないでほしい。美しくないぞ。

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