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快活クラブで一人ブラックしていた新卒時代

就業後、朝の5時まで快活クラブでぼーっとしてから家に帰って2時間だけ寝て会社に行ったり、企画が思いつかなくて一睡もせずに会社に行ったり、全然ブラック企業じゃないのに社会に適合できなさすぎて一人ブラックをしていたあの頃、ASD(自閉スペクトラム症)と診断された。

もちろん突然診断されたわけじゃなくて、WAIS-IIIという様々な分野の得意不得意を数値化する検査を受けたり、学生時代の通知表を提出したり、臨床心理士との対話があったりと、なんだかんだ半年近くくらいは心療内科に通ったうえでの満を持しての診断だった。
簡単に診断を出してしまう先生もいるらしいけど(あとよくSNSでも自己診断の人が炎上してるけど)、そこの先生は1回や2回の通院でそういう特性は分かるものじゃないと言っていて、検査の進み方はその言葉通りだった。

そもそも検査を受けたのは、大人の世界に淡い期待を抱いて働き始めた自分でも引くほど仕事ができなかったからだ。
仕事の締切は守れず、報連相は覚束ず、ファイルの添付は忘れ、数字の出し方は分からず、分析は的外れで、何より周りの全てが怖かった。

新人だからやり方の分からない業務が大半を占めていて、探り探り仕事を進めたり成果物にしてチェックに出したりはしていたものの、怒られたり呆れられたり散々で、毎日嫌でも自分のダメっぷりを思い知らされた。
「仕事って教えてもらえるものじゃないんですか…!?」と当時は常に思っていたけど、中小企業ではOJTとか教育担当の先輩みたいなのは幻だから、心に傷を負いながらガシガシ自分で仕事を覚えるしか道はなかった。

そんな環境の中で、病み始めたのは1年目の年末だった。
分からないことや失敗を過剰に恐れてしまう僕は、夜な夜なその不安を何倍にも膨れ上がらせて、月曜日に怖い仕事が入っていると土日中布団から動けなくなるほどだった。

舌がしびれるほど辛酸なめた。
仕事どころじゃなくなる何かが起こってほしくて、それこそゴジラとか現れて街を破壊してくれないかなーとか思ってた。
風呂に入れなくなり、部屋は散らかり、とりあえず退職届は書くけど辞める決断はできなくて、今思うと、新人が何をそんなに背負っていたのかと思うけど…。

それから回線が圧迫するみたいに耐えられなくなって、会社の産業医面談を受けた。

はじめからいわゆる"大人の発達障害"の可能性(というか疑い)を念頭に置いての面談だったから、事はすぐに進んだ。
産業医と相談のうえ上司にも共有することにして、上の上司は心療内科に付いてきてくれたりもした。(ほんとうにいい会社だ…)

心療内科は有給で行ったりもしたけど、平日の昼でも外まで行列ができていることがあって、おかしいのはこの人達じゃなくて社会なんだと思った。
まあ、それを言ったら負け組に分類されるのがこの社会なんだけど。

これは意外と最近の話で、現在は社会人3年目の冬を迎えるけどまだ会社は辞めずにさも社会人できているかのように振る舞っている。
3年目ともなるとだいぶ擬態は上手になったけど、それでもメッキが剥がれるたびにやっぱり落ち込む。

また舌がしびれる。

でも、会社は社会性を求めてくる代わりに「自分が社会不適合者ではないと勘違いさせてくれる」装置でもあるから、精神衛生的には意外と辞めない方がいいのかな、とも思う。

多分、心療内科で行列をつくったいたあの人たちも、そうやってゆらゆらしながら頑張れたり頑張れなかったり、同じように「生活」を繰り返しているのかもしれない。

なんとか師走を逃げ切って、みんなでいい年末を迎えたい。

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