田島太陽

編集者。日々のメモ。

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最近の記事

QJ168 新装刊です

クイック・ジャパン vol.168 表紙を公開しました。新装刊リニューアル号です。 4ヶ月くらい逡巡した結果、一発目はINIに託しました。どうぞよろしくお願いします。 いろんなことがあって、この号から編集長になりました。ウェブ版のQJWebの編集長と兼任。信じがたいことです。 たぶん今までに一番読んだ本、買った雑誌はQJなので、それはちょっと荷が重いですと思っていて、3回くらい断ろうと思った瞬間がありました。2020年のローンチからQJWebのスタッフではあったものの、

    • こうして父になった

      前回のnoteを見ていた人から、「その後なにも更新がないので、わるいことが起きたのかと思ってました」と言われた。すいません、みんな健康です。なので、その日のことを記録しておくことにしました。 12月4日の朝の10時過ぎ、「破水しちゃったみたい」と妻に起こされる。ギョっとしてベッドから飛び出す。当初の出産予定日よりちょうど3週、帝王切開の予定日より1週早い金曜の朝。 慌てて家を出る支度をしながら、今日1日のスケジュールを整理する。原稿の締め切りはあるけど、用事は夜に社内メン

      • 妊娠23週目のこと

        妻と出会ったのは18歳のころ。20歳のころに付き合いはじめ、1年で別れた。何年も顔を合わせることはなかったけれど、震災後に連絡を取るようになり、30歳で結婚した。 今日、病院に行き、妻のお腹にいる子の性別を告げられた。女の子らしい。 5ヶ月前、妊娠したと妻に言われたときは、よろこばないように努めた。初産を迎える年としてはまぁまぁ高齢だし、妊娠までも時間がかかったし、よろこぶほどにプレッシャーが大きくなると思ったから。知り合いにも、流産を経験した人がたくさんいる。もしそうな

        • 2009年(くらい)のゴールデン街

          梅山さんに何度かお酒に誘っていただいたのに、お金がなくて、でもそうは言えないから適当にごまかして、行くのを断っていた。2009年くらいの話。 たぶん2回断って、3度目の誘いも断って、でもやっぱり行かなきゃ、行くべきだって腹をくくって、クレジットカードで1万円をキャッシングして、ゴールデン街に行った。 すごく怒られた記憶がある。 「編集者なんだから、お酒の席に呼ばれたらぜったい行かなきゃだめ」 「断る意味がわかんない」 そこに同席していたのが、竹内さんだった。 「竹内

        QJ168 新装刊です

          山里さんのこと、あまり好きではなったという話

          もちろんキライなわけではないんです。ものすごく思慮深い人だし、優しくて思いやりがある人なのも知ってます。 あまり好きになれなかった理由、実は長年ずっと考えていたんですが、いくつかあって。 ひとつは、こじらせ続けてグニャングニャンになった自意識のもつれが、言葉の端々に感じてしまうところ。 「自分に自信なんてないけど、劣等感を必死で隠しながら道化を演じてるんですよ」 という演出が透けて見えてしまうところ。 きっと、誰かがボケたとき、山里さんの頭の中ではいろんなツッコミのフ

          山里さんのこと、あまり好きではなったという話

          田村くんのこと

          むかし、とても大好きなシンガーソングライターがいました。 対バンのイベントで偶然見て以来、ひとめぼれのような気持ちで、ライブが決まるたびに通うようになりました。 彼はまだ駆けだしのシンガーで、四谷天窓や吉祥寺のSTAR PINE'Sなど、50人くらいの会場でライブをすることが多かったと思います。 ライブの予約をメールしたり、出番後に少し話をするようにもなり、僕はいつしか彼のことを「田村くん」なんて呼ぶようになりました。 当時、僕も彼も20歳くらい。 大学生にとって、会

          田村くんのこと

          “評論家というのは気楽な稼業だ”

          仕事で「レミーのおいしいレストラン」を見返していて、改めて、いい作品だなぁって涙ぐんでました、いま。 前にFacebookで書いたことあるんだけど 劇中に登場する料理評論家の原稿がすばらしいんです。 評論家というのは気楽な稼業だ。 危険を冒すこともなく、料理人たちの努力の結晶に審判を下すだけでいい。 辛口な評論は書くのも読むのも楽しいし、商売になる。 だが、評論家には苦々しい真実がつきまとう。 たとえ評論家にこき下ろされ三流品と呼ばれたとしても、料理自体の

          “評論家というのは気楽な稼業だ”

          「書けなかったことのなかにこそ、大切なものがある」

          ライターが書けなかったこと カメラマンが撮れなかったもの のなかにこそ、大切なものがある。 みたいな言葉がずっと頭にあって、 どこかで読んだもののハズなんだけど、 どこで読んだんだろうなぁって、 ここ数年ずーっと考えてるんですね。 まぁわからないんだけど。誰か知ってる人いたら教えてください。 いままでに、書けなかったことはたくさんあります。 物理的に書くことを禁じられることではないんです。 「ここNGなんで」とか、そういうのじゃなくて。 誰も止めないし、書くべきだし、

          「書けなかったことのなかにこそ、大切なものがある」

          ラストライブのこと

          こぶしを振り上げてぐるぐる回す。 客席がみんな同じ振りつけで踊っていて、「あぁ、これまでがんばった成果だね」「いい景色だね、よかったね」って。 思いながらも、どうしてこれが最後なんだっけ?ってわからなくなる。 こんな唐突な終わりが、ハッピーエンドなわけないじゃん。 8人で踊るには狭すぎるこの舞台が、ラストステージでいいの? ムリして笑ってんなよ。って。 「最後は笑顔で」なんて言いながらお別れするライブをたくさん見てきたけれど、そのたびに「最後くらい思いっきり泣けばいいじ

          ラストライブのこと

          記念撮影するライターについて

          新しいライターさんを探していて、ずっと前から気になっていた方にお声がけしてみようと思っていました。 フェイスブックで繋がっていたので、メッセージで送ろうかなぁと思いつつ、最近の投稿を拝見したら、取材で会った演者さんとの記念撮影ばっかりなんですよ。 「◯◯さんのインタビューしました!」 とか書いて、ツーショット公開してんの。 マジかよ! これはあくまでも個人的な考えなので、絶対悪だとは思わないけど、 わたしはそういうライターと仕事したくないです。 取材終わっ

          記念撮影するライターについて

          PASSPO☆のこと

          すごく希望だな、と思うのです、PASSPO☆。かねてから根岸さんは大事なステージでは「このメンバーでやり続ける」「PASSPO☆を続ける」と言い続けていて。 もちろん、そう言っておいて、解散しちゃうグループもたくさんあるんです。 でも彼女たちはちゃんと続けていて。今年で8年? これってすごいことですよ。 ほかのアイドルたちにも、もちろんファンにとっても希望だと思うんです。 きっと5年後もこうやってワイワイガヤガヤとライブしてんだろうな…って思えるグループ、そう多くないもの。

          PASSPO☆のこと

          「忘れたこと」と「書けなかったこと」

          トップの写真は、10年前の2007年9月、僕がミクシィ日記にアップしたものを持ってきました。 どこで撮ったものか、ぜんぜん覚えていません。 ふつうに暮らしていれば、当然いろんなことを忘れていくもので、でもかつて僕はそれをとても恐れていたように思います。 日々のできごとや、なにを感じたのか、自分がなにをしたくて、なにを成そうとしているのか。なにを考えたのか。 そんなひとつひとつを失っていくのがいやで、だからミクシィ日記で、アホみたいに毎日毎日、誰の得にもならん駄文を書き連ね

          「忘れたこと」と「書けなかったこと」

          2014年までの仕事

          2010年ごろ〜2014年までの仕事実績一覧です。 サイトを移行したため、一時避難場所として置いておきます。 そのためリンクや画像等は現状ありません、見づらくてすみません。 2015年以降のものは コチラ にあります。 【過去の連載・レギュラー】▼Adobe美術大学(2014年4月〜12月) Adobeがプロデュースする美大生向けモバイルサイトで、全ページのコンテンツ編集・執筆を担当 ▼AKB48「スナッププリンセス」(anan/マガジンハウス)[2012年6月〜2013

          2014年までの仕事

          “続ける”という話とむかしの話

          CINRA主催の、exPoP!!!!!の100回目 http://expop.jp/news/2017081602.php に行ったことを書きます。 ・・・・・・・・・・ 2010年のこと。 当時僕は会社をやめた直後で、一応ライターを名乗っていたけれど仕事なんて月に2本か3本しかなくて、収入はたぶん2万円くらいで、タンスのウラに落ちている小銭を拾う日々でした。 10円玉が40枚溜まったら、まっさきにタバコを買いました。そして空腹をしのぎました。 はじめてCINRAで

          “続ける”という話とむかしの話

          雨宮まみさんは僕の最初のヒーローだった

          新卒で出版社に就職し、初出社から3日後くらいのこと。 たぶん2007年だと思う。 先輩に「西新宿駅の改札にライターを呼んでるから、資料届けて来て」と言われた。でも時間通りに駅に行っても誰もおらず、30分くらい立ち尽くしてから、先輩に聞いていたライターの番号に電話をした。 「すいません、もう着いてるんですね! ◯◯さん(←先輩)のときは、いつも駅に着いたら連絡もらう段取りだったので」 5分後くらいに小走りで来たのが、雨宮まみさんだった。 その後は頻繁に連絡を取るようになり

          雨宮まみさんは僕の最初のヒーローだった