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妊娠23週目のこと

妻と出会ったのは18歳のころ。20歳のころに付き合いはじめ、1年で別れた。何年も顔を合わせることはなかったけれど、震災後に連絡を取るようになり、30歳で結婚した。

今日、病院に行き、妻のお腹にいる子の性別を告げられた。女の子らしい。

5ヶ月前、妊娠したと妻に言われたときは、よろこばないように努めた。初産を迎える年としてはまぁまぁ高齢だし、妊娠までも時間がかかったし、よろこぶほどにプレッシャーが大きくなると思ったから。知り合いにも、流産を経験した人がたくさんいる。もしそうなったときの保険のように「ダメになっても平気だよ」という顔をした。妻はその夜、台所で料理をしている途中で手を止め、「うれしくないの?」と言いながら号泣した。

つわりで寝込む妻を見ても、徐々に大きくなるお腹を見ても、実感はなかった。お腹をさわれば、中で何かが動いているのがわかる。それでもやっぱりピンと来ない。妻の内側に別の生き物がいるなんて想像がつかない。

「うん、100%、女の子ですね。ここに割れ目が見えるでしょ」と病院で言われ、妻は「うわぁぁぁ〜〜〜」とどういう感情がよくわからない声を漏らした。僕は「医者もあれを割れ目って呼ぶんだ」と思った。

病院を出て車を運転しながら、我が家に新メンバーとして女の子が加入するんだなと考えていると、急に泣けてきてしまった。いままでほとんど想像できなかった「父になる」ということのリアリティが、突然目の前に降ってきた。キャッチボールを一緒にすることはないのかなとか、これからも銭湯はひとりでゆっくり入れるなとか、いつか反抗期になって嫌われたりするんだろうなとか。

1年ぶりの運転で、車の多い首都高で、じわじわと風景が滲んで怖かった。なるべく左車線をゆっくり走った。妻はそのことに気づかずに助手席でずっとツイッターを見ていた。

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この仕事を始めてもう13年になる。ずっと「まだまだ駆け出しです!」「勉強します!」「がんばります!」みたいな顔をしていたのに、もうさすがに新人ではない。いろんな経験をさせてもらったけれど、変わらず胸に抱いていたのは、自分が楽しめる仕事をしようということだった。

それが「家族のために」なんて考えるようになるんだろうか。誰かのために働くなんて意識は、今のところよくわからない。ただ、もしモチベーションが変わったり、やりたい仕事の領域が変わるなら、それはそれで楽しめればいいなと思う。

妻と出会ってもう18年になる。ふたりきりで、数えきれないほど映画館に行って、あらゆる場所に旅行をして、3000日くらいを一緒に過ごした。でももう、ふたりきりではいられない。なにをするにも、小さい新メンバーがくっついてくるんだろう。

予定を立てずにブラブラと歩いたり、休日にボーっとゴロゴロしながらゲームをしたり、ゆっくり美味しい料理を食べたりできなくなるのは本当に悲しい。でも、この年齢になって、今までまったく知らなかった新しい経験がたくさんできるんだろうと思うと、やっぱりすごく楽しみでもある。

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息子だったら、殴ってもぶん投げても放置しても、勝手に育つような気がする。自分が親にしてもらったことをなぞればいい。親にかけてもらったたくさんの愛情を、そのまま息子に与えればいい。だから男の子だったら、気が楽だなと思っていた。

ところが、新メンバーは女の子らしい。困った。娘の育て方はさっぱりわからない。自分は娘に何をしてあげられるんだろう、何を語れて、教えられるんだろう。

妻の股間から小さな人間が出てくるなんて信じられない。あるとき目覚めると、ベッドで寝ている妻と僕の間に、きれいな布で包まれた赤ん坊が突然現れるんじゃないかと思う。でも実際はそうではない。数ヶ月後、妻は命がけで娘を生む。

コロナの影響で病院には入れないし、出産にも立ち会えないだろう。どうか、無事で戻ってきてほしい。元気な新メンバーを抱いて。5年前に死んだ義父の写真に向かって「よろしくお願いしますよマジで!」と毎朝お願いをする。

夫としてできることはほとんどないから、せめて、夫婦ふたりで過ごす最後の数ヶ月を彼女が楽しめるようにしたい。

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