“評論家というのは気楽な稼業だ”
仕事で「レミーのおいしいレストラン」を見返していて、改めて、いい作品だなぁって涙ぐんでました、いま。
前にFacebookで書いたことあるんだけど
劇中に登場する料理評論家の原稿がすばらしいんです。
評論家というのは気楽な稼業だ。
危険を冒すこともなく、料理人たちの努力の結晶に審判を下すだけでいい。
辛口な評論は書くのも読むのも楽しいし、商売になる。
だが、評論家には苦々しい真実がつきまとう。
たとえ評論家にこき下ろされ三流品と呼ばれたとしても、料理自体のほうが評論より意味があるのだ。
しかし、時に評論家も冒険する。
その冒険とは、新しい才能を見つけ、守ることだ。
世間は往々にして新しい才能や創造物に冷たい。
新人には味方が必要だ。
昨夜、私は新しいものに巡り合った。
思いもよらない作り手による、すばらしい料理を味わえたのだ。
作品も、その作者も、おいしい料理についての私の先入観を大きく覆した。
(中略)
誰もが偉大な芸術家になれるわけではないが、誰が偉大な芸術家になってもおかしくはない。
[「レミーのおいしいレストラン」より]
特に、
「料理自体のほうが評論より意味があるのだ」。
どんな評価やレビューや論考よりも、作品自体のほうが偉大であるということを、ライターとしても、編集者としても、忘れずにいたいものです。
辛口のほうが商売になるからといって業にとらわれず、自分の言葉は常に誰かを刺す可能性があることを忘れずに、驕らず腐らず、すてきなものに少しでも光を当てられるように。
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