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「青春病」ではないけれど…第二の思春期・青年期の扉をたたき割ってからの…なう。

最近のわたし。
とても深い森の中に迷い込んでいる。

こういうmovementは時々来るので
自分軸で見れば決して珍しいことでもない。

とはいえなんかこの度のそれは
毎度おなじみのそれとはなんかちょっと趣が違う感じもしている。

今年もまもなく「さいこー(315)の日」を迎え
この世に生み落としてくれた父と母、その父と母、その父と母…
辿っていけばキリのない、自分のルーツとなる存在に
感謝の念を抱きながらまたひとつ歳を重ねるわけなのだが、

立ち止まってみるとね。

もうさ、ちょうど人生も折り返し地点くらいのところまで来てるのかぁ、ってね。
感じ入る今日この頃でもあり。

折り返す、と言ったって、
もちろん来た道を戻るわけではないのだけど、
おそらくこれまでの何倍速もの体感を伴いつつあと半分くらいの人生を

わたしはどう生きていくのか。
どう生きていきたいのか。

そう、まさに第二の思春期青年期を迎えているかのようなそんな感覚で、
日々もやもやもやもやしながらさまよう迷路のような四十路。

昨日も同業の友(と呼んでもいいはず)でもある人生の先輩Tさんとの久々のランチの席でそんな話を聴いてもらいながら(せっかくのオフだというのに申し訳ない限り)、自分はいったい何がしたいのか…そもそも何にこんなに憤っていて、自分らしさってどんなもので、自分にはこの世界で何ができると思っているのか…
やっぱりもやもやと、自問自答を繰り返していたのでした。

・ わたしは「ことば」を操る表現者(詩人、ことばを紡いでうたう人)になりたかった
・ でも多分自分はそのことに関して抜きんでた才能を持っていないであろうことに割と人生の初期の段階で気づいていた(多分、秋元康塾のおかげで…ってそれは自分のプロデュース力のなさに気づいたにすぎんのやもしれんが・笑)
・ 「こころの深い深いところから生み出された作品はその分多くの人のこころを取り込んで動かすねんな」と学部時代に師(ユング派の分析家であり精神科医であり心理臨床家でもあるわたしの心理臨床界の父的存在)が授業だったか、ゼミのときのトークで話されたことが当時の拙い自分のこころの中にすとーんと入ってそれがずっと残ってる(集合的無意識につながる)けど、自分はおそらくそういう「作品」を生み出せる逸材ではないし、それを媒介にしてたくさんの人に寄り添ったり、何か大事なものを届けるようなことは難しい、ならばもう直接目の前の人と向き合ってこころに寄り添う存在でありたいと思ったのではなかったか
・ この世と仲良くできないと感じているひとを「ことば」を媒介にしてこの世と繋ぐ架け橋みたいになれたらいいなとは思ってきたかもしれない
→ 仕事ではなく私的に身近な存在に対してそれをやってきて、その対象が以前よりずっと楽にこの世に居合わせているように見え、今はこの世を「そう悪くない」ととらえていそうな様子をそばで感じていることが実績として自分の中にある
・ 尊敬するsupervisorに事例を通して「logosの人」と称された瞬間があって、それはなんだか確かにしっくりくるというかそんな気もしたんだっけ

※Tさん「すごい、一貫してる!ブレてない。」「ことばや~。それはことば大事にしないと」「それこそがoriginalityなのでは?」

(そうなんだよな…「ことば」なんだよな。。)

・ でも今かなりmotivationが駄々下がりしている教育分野での臨床(といえるようなものは求められていないと感じているが)では表面的に「うまいこという」スキルばっかり上達していくみたいで不本意
・ 無責任な「助言」に何の意味があるのか…
・ ことばにすればするほど本質からは遠ざかるようにも感じる…だいたい、たいせつなことってことばにはやっぱりできなくて、だから箱庭とか夢とか描画とかイメージを大切にしたい、それを媒介とした心理療法を大切にしたい、そこでしか表現・理解されないものもある、とか思ってきたのに、自分がやると結局「ことば」がメインになってしまう。これってちゃんとやれてるの?psychotherapyなの?何が正解?わからなくなってしまう

※「正解じゃないといけない?正解を求めたらあかんことになりそう」
(たしかに、それはそうだ。別に正解を当てに行かなあかんことじゃない)

・ ことばがなかなか出てこないクライエントに対して、一番やりやすい、MSSM(交互ぐるぐる描き物語統合法)とか誘ってやってみたりもするけど、結局なんか深まらない。深められない気がしてしまう。せっかく箱庭のある医療機関を選んで働いてて、使える環境にあるのに、活用されない。わたしの力量の問題が大きいのだろう、とも思うが…

※ 「そういうのって”時期”もある気がします」(確かに、それこそmovementというか、自分の中でもまつりみたいになってて、イメージを媒介とした関わりが多発する、盛り上がる時期、もある気がするけど…)

・ 人生まだ半分ある…やりたいことをやりたい
・ Tさんはわたしくらいの年齢のとき何してました?何思ってました?「ちょうど大学院行き始めた頃(Tさんにもドラマがあり心理臨床を学び始められたのは四十路踏み入れてからだった)かな。とにかく吸収したかった。知りたい、学びたい、インプットを欲している。きっと今もずっと」…すごい。わたしは大学院くらいから本が読めなくなってる。インプットがスムーズにできない。アウトプットが多分足りてない。やっぱりもっとことばにする必要があるのか…なんかそう思って文章も改めて書き始めてる(noteを始めてる)

・ なんかせっかくのおやすみなのにわたしのこんな話につきあってもらってしまって…(わたしにとってはとても大切な時間になったけれど…なんかとても申し訳ない気持ち)

※「いえ、楽しかったです(笑顔)」
Tさんとのランチの際の対話覚書(2023.03.08)


ちなみに、Tさんもわたしと娘と同じ日に、LAAT@サンドームに行ってはったことが判明。うん、多分Tさんも風くん、好きだと思った!


・・・さて。
これからのわたしにはどんな道が見えてくるんだろう。
しばしもがくほかない、その覚悟はできているので
もうしばらくこの感じを抱えながら日々を生きよう。

大丈夫。

わたしはわたしだ。
そのことになんら、変わりはないのだから。


あとね、そう、
昨年刊行されてたMUSICAの風くんのインタビュアーさん、
ものすごく話の聴き方を心得てはるよねってことをどっかで言いたかった。のでここで言うとく。

風くんへのリスペクトと、丁寧に、なぞるように聴く姿勢が文章からもしっかり伝わってきて、本当に素晴らしいと思った。

話し手の内省を促したり、洞察を深める話の聴き方、
そう簡単なことではないです。

これこそ愛に満ちたプロの仕事やなと思いました。

あーあかん、また迷宮入りしそうなので
現実を生きるモードに切り替えますか。

「…はい、お片付けするよー!!」






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