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わたし、「ねむれぬつき」と申します(人に歴史あり①)

アイコンの輪の中から、こちらを訝し気に見ているのは幼き日のわたし。

文字を書けるようになったら、
都会に住む少し年上のいとこのおねえちゃんたちとの
お手紙のやりとりが楽しかった。

小学一年生の頃、大好きなおじいちゃんのことを詩に書いて
初めて賞状というものをもらった。

田舎ののどかな学び舎でおりこうさんに過ごしていたはずの中学時代。
誰も予想してなかったよね。

「詩人になりたいから東京へ行く。高校へは行かない」と三者面談でいきなり宣言し担任と母親を唖然とさせる(This is THE 中二病!)とは。

慌てふためいた大人たちに「…ならとりあえずこれやらせて」と秋元康作詞塾(通信)受講を承諾させ、その後何もなかったかのように高校受験・入学。

…で。その後にはこんな展開が待ってたよね。

(以下のリンク先は学部時代に依頼されてわたしが寄稿したもの。
完成度の低い文章だけど、思春期青年期の心のリアルが詰まってると思う。
・・・長いけどよろしければ)

そんなこんな紆余曲折ありながらも軽やかに大学デビューを果たした後は、
般教の情報処理の授業で作ったホームページ(Website)に、
当時付き合っていた彼氏への執着をドロドロした刹那的なポエムに変換して量産しては夢中で垂れ流す日々。
(しかもそれ大学名学籍番号もモロバレのアカウントだった恥ずかしい…)

しかしそのあまりにも生々しい感情の排泄ともいえるような表現が共感を呼んだのか、コンタクトを取ってくる天使のようなひとたちが現れ、
そのコミュニティの中で稚拙な自己顕示欲を存分に満たされつつも、
著しく情緒不安定なモラトリアムの時期を過ごした学部時代。
(椎名林檎、Cocco、嶋野百恵、天野月子あたり中心にヘビーローテーションしていた記憶が)

さらにそんな執着しまくっていた彼から学部卒業間際に別れを告げられ、
泣き暮らしながら大学院受験したもののうまくいかず。

派遣の登録しに行った広告代理店でなぜか社長と意気投合し直属のバイトとして高待遇で採用されるも、方向音痴すぎて営業やおつかいに出てもすぐ迷子になりビジネス街の中心でチャリを止めて地図を回しながら立ち尽くしたり、デスクにいる時もラジオから山崎まさよし流れてくるたびPCのディスプレイの向こう側見つめながらボロボロ泣いたりするのが不甲斐なく、申し訳なくて離職。

その後デパートのお歳暮バイトで鍼灸師さんと意気投合し、治療の練習台として心身ケアしてもらったりして過ごした一年の院浪時代。

なんかこう書く中でも、いろんなとこでいろんな人と意気投合したよなって思い出すよね。
大好きな人たちに支えてもらって、守られて、生きてきたなぁって痛感するよね。


→ ひとまず一旦ここまでで、、興味ないかもしれないけど次に続く(予定)


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