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W杯に見た光!日本ではなぜイノベーションが起こらないのか?

W杯サッカーがここまで日本で盛り上がったのは初めてじゃないでしょうか?その中に日本の未来に向かう明るい光が二つあったと思いました。一つは堂安選手のドイツ戦後インタビューで「俺が決める」という気持ちで、「俺しかいない」と思っていた。で、もう一つは・・・

日本ではなぜイノベーションが起こらないのか?
いや正確に言えば「イノベーションの芽はたくさん生まれたはずなのに全部摘まれてしまった理由は何か?」だろう。
その理由の一つは以前書いたこのことだと思っている。

イノベイティブと言われる電波少年は報連相をせず作ったという実体験から書いた。

結局はリスクを取る覚悟をするか?ということだ。それも組織の中で個人が。その個人が社員じゃ中々できないだろうから社長が「私が責任を取る!私がリスクを取る!」と宣言すればいいのだ。それをしないで周りを見回しながら多数決でまたは調整に時間をかけて全員一致で決めようとして自分に決定の責任が来ないように会社を運営してきたからあらゆる局面で日本は負け続けている。

2005年に「第2日本テレビ」というインターネット事業を日本テレビの中で起こそうとしてアメリカのNBCのトップに話を聞いた時のことを今更ながら思い出す。当時もう人気番組「サタデーナイトライブ」のネット配信を自社サイトで始めていた。「権利者とは話がついているのか?」と質問すると呆れたような顔でNBCのトップはこう言った。「そこに新しいビジネスがあるのだからやるのは当たり前だろう。権利者たちとはこれからハードネゴシエーションをするのだ」
彼が言った通りその後のハードネゴシエーションが揉めに揉めて2007年〜08年に全米脚本家組合がストライキをしてアメリカ中のテレビが3か月ほとんど再放送になった。そして決着したからアメリカのテレビ番組はネット展開が当たり前になった。一方日本はあらゆる権利者と全部話をつけてから一歩踏み出そうとした。権利者とは戦いではなく忖度と会議が繰り返されて気が付けば日本のテレビはメイドインUSAのYouTubeとNetflixに包囲されてしまっている。

忖度と集団主義。周りを見回して突出しないようにする。これは明らかに日本の教育の結果だ。「みんなと同じ」が人並であって目指すもの。人と違えばいじめられる。そんな中から「リスクを取る」覚悟を持つ人は出てこない。

コロナ禍のマスクもそうだろう。みんながしているからどこでもつける。終いには「国で決めてくれ」と言い始めた。テレビスポットで「屋外ではマスクを外していいんですよ」と政府がキャンペーンをしている。アメリカではコロナ真っ最中に「マスクはしたくない!」デモが起こっていた。
テレビ番組をネットに出すときに経産省が暫定料率を決めて誰も使わなかったことが思い出された。アメリカではさっき言ったように脚本家協会のストライキで3ヶ月再放送だらけになった時だ。

リスクを取らなければイノベーションは起こらない。そしてそのリスクは会議を延々と続けていても取る決断は下されない。会社の中でリスクを取る行為が起せるのは報連相をしないバカ社員か覚悟を持ったトップだけだ。
そしてイノベーションが起きなければこの後も日本は全てのジャンルで世界から置いていかれるだけだろう。

W杯の堂安選手の「俺が決める」という気持ちで、「俺しかいない」と思っていた。は日本人っぽくない。でもこの言葉にはリスクを取る覚悟がある。
そしてもう一つのW杯で感じた光はABEMAの藤田晋社長の決断だ。テレビ局がそれぞれの会社の会議で「出せない」と判断した放送権の購入を決断した。間違いなく会議ではなく個人でした。

イーロン・マスクは個人で決断しているから恐ろしいスピードでTwitterとスペースXとテスラを運営している。リスク取りまくりだからあっという間に世界一の金持ちから滑り落ちたりしている。でもまた数ヶ月後には何倍も金持ちになっていたりするだろう。外野としては数ヶ月後にホームレスになっていたら面白いと思うがそのくらいのリスクテイクは彼には何でもないのだろう。そのくらいのリスクを取り凄いスピードで世界を動かしている。日本が忖度と集団主義と丁寧な議論で一歩も前に進まないうちに。

もう一度言う。
リスクを取らなければイノベーションは起こらない。
イノベーションが起こらなければ世界から置いていかれる。
忖度と集団主義の教育をやめて、自分の考えを主張し行動できる子供を育てる教育を始めなければ本当に日本はヤバい。

「俺しかいない!」という気持ちで「俺が決める!」若者を育てて決して年長者がそれを潰さない、応援する社会を本当に早急に作らなければならない。


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