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オリンピック

昨日、オリンピックが閉会式を迎えました。
次に向かうパリ五輪にも、期待が募る閉会式で、胸が熱くなりました。

さて、サッカー男子の準決勝について、思いの丈を書きたいと思います。

日本対スペイン。

数十年前は予想もしなかったラウンドでの好カード。

その試合を終えて、一つ興味ある記事がありました。
(下記引用文)

 特に「遠い」と感じたのは試合中に、選手が意識しているポイントだという。日本は「デュエル」(球際、1対1で負けない)が比較的新しい言葉でことさらに求めあうが、すでにスペイン、メキシコは「デュエルだの戦うだのは彼らは通り過ぎている。チーム一体となってどうやって動いて、勝つかに変わってきている」(田中)と感じたという。

 「個人個人でみれば別にやられるシーンというのはない。でも、2対2や3対3になるときに相手はパワーアップする。でも、自分たちは変わらない。コンビネーションという一言で終わるのか、文化なのかそれはわからないが、やっぱりサッカーを知らなすぎるというか。僕らが。彼らはサッカーを知っているけど、僕らは1対1をし続けている。そこが大きな差なのかな」

 田中は五輪を戦った日本で評価される1人に数えられる。ただ、プレーした本人はメキシコ戦後、手ごたえどころか、危機感を口にした。「国際大会で突きつけられるものに圧倒的な差があった。やるしかないが、どうにかしてこの差を埋めていかないと。自分たちが思っている以上に彼らは成長している。スピードという意味では差が縮まらない」と話した。
            Yahoo!ニュースより
                                   『日本男子メダル届かず…
   MF田中碧「サッカーを知らなすぎる」』

少し話題になった記事ですので、目にした方も多いかと思います。

実はつい最近、この記事に似た経験をしました。

私の指導しているチームで同じ現象が起きたのです。
」でのデュエルに偏りすぎて、「組織」がなくなってしまったのです。
だから必然と試合中に、全員が目指すべきものが空中分解しちゃってました。

この原因は一点。

「チーム」でなく、「グループ」でサッカーをしていたからなんです。

私の中で「チーム」と「グループ」は、以下のように定義しています。

「チーム」…全ての時間を共有し、目的に向かうこと
「グループ」…求められたものに、協力し合うこと

この定義に基づき、先程の話に戻ります。

私のチームで、選手が「」で動いてしまったのは、目の前の仕事に追われ、周りを見失ってしまったからなんです。
だから失点をしても、原因がわからない、どこか悔しくないという心理状況を招いてしまった。

当然、個の力を求める必要はあります。
しかし記事にもありますが、世界はこれを当たり前として捉え、サッカーの一部分に過ぎないのです。

トレーニング毎に課題を切り取り、丁寧に指導していく日本。我々が誇る、緻密なやり方は胸を張るべきです。
しかし、世界から学ぶことも当然ながら多いはず。
そんな背景が見えたオリンピックだと思いました。

実は「個」に捉われて、上手くいかなくなることって仕事でも良くありませんか?
私はめちゃくちゃあります。笑

改めて勉強になるオリンピックだなぁ、そんな瞬間を自国開催で迎えられたことを心より、嬉しく思います。

長くなりましたが、ご愛読ありがとうございました。

ご意見等、是非お寄せください。

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