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小寒 * 秀吉、私が長いあいだ欲しかったものはこれだったよ

豊臣秀吉が所有していた香炉 銘「千鳥」。
かわいい。
こんなにかわいいのが好きだったんだな秀吉は。
この香炉には、桃山時代の盗賊、石川五右衛門が秀吉の寝所に忍び込んだ際、蓋のつまみの千鳥が鳴いたために捕えられたという逸話がある。

エピソードまでかわいいじゃないか。
いいなあ。ほしいなあ。
私はガラス越しに「千鳥」を穴のあくほど見つめる。
全方位から見たいのに後ろに回れない。
本当は家に持ち帰って膝に抱きながら「千鳥」を見たいが、そうはいかないので、ほかの展示品を見て回るあいだに、三度ほど「千鳥」に戻ってきて「やっぱり良いなあ」と感嘆することを繰り返した。

「千鳥」は秀吉の後、徳川家康が所持し、その後尾張徳川家に伝わって、現在は愛知県の徳川美術館が持っているが、私は京都国立博物館の「茶の湯」展で見た。もともとは中国の南宋時代に焼かれた青磁で、蓋はあとから作られたらしいが、石川五右衛門のエピソードとともに大事に大事に受け継がれてきたために、令和の世に生きる自分がこの香炉をじっと見つめるだけでなぜか秀吉のことを古い友達のように身近に感じる、という不思議が生まれたのである。

***

私は「千鳥」を家の床の間とこのまに置き、畳に寝っ転がって見ている。
腕を三角にして頭のつっかえ棒にして。
外は天気雨。ましかくに切っただけの窓から二分咲の白梅が見える。
「千鳥」の蓋の千鳥が、その梅に飛んで行ってしまいそうだ。
最高の景色だなあ。
私の背後、畳にましかくに切った炉には炭火が仕込まれ、湯の入った釜がかけられ、そこからしゅんしゅんと湯気が沸き出ている。

「炭火の威力はすごいな」
男の声に振り向くと、石川五右衛門。
五右衛門は「炎が出ていないのに湯がこんなに勢いよく沸くなんて炭の遠赤外線は相当な奴だな」と先ほどの発言をより詳細に言いながら、懐から真っ白なマシュマロを出し鉄の箸にスッと刺して釜の横からそれを差し入れ、炭の近くにやる。すると真っ白なマシュマロの表面がたちまちうっすらと茶色に焦げた。
まるで透明の火がマシュマロを燃やしたみたいだ。
私は寝っ転がるのをやめて起き上がる。
五右衛門は慣れた手つきでマシュマロを鉄の箸から引き抜き、ポンと口に入れて「うまい。」と言う。
手がきれい。
私も食べたいと五右衛門に所望する。
五右衛門は懐からまた真っ白なマシュマロを出して鉄の箸に刺し炭火の近くにやる。ものの三秒で焦げマシュマロが出来上がる。五右衛門はそれを鉄の箸からさっと抜き去り私の口に入れる。きれいな手で。
表面は香ばしくて中はとろとろだ。
焼きマシュマロがこんなに美味しいなんて知らなかった!
「へええ。意外と普通のこと知らないんだな。小学生のうちに一度はやるもんだろ」と言って五右衛門はいなくなった。
私は、長いあいだ自分が欲しかったのはこれだったんだと思って泣いた。
床の間の「千鳥」は無くなっていた。

***

すっきりして目覚める。
蓋の千鳥、鳴かんかったやん。
大阪に暮らしていると、その土地柄が脳にも影響を与える。自分の夢にさえ、頭の中で突っ込みを入れるようになってしまった。

***

「茶の湯展」では秀吉の黄金の茶室も復元されていた。すべてが金色でしつらえられた茶室である。
金色といっても眩しいほどの金ぴかもあれば、紺や緑や紫などさまざまな色に宿る光の部分だけを集めたような複雑な金色もある。真っ黒以外の色には必ず光が存在するということを、渋い金色が教えてくれる。
秀吉の黄金の茶室は、切なくなるほどに人懐っこい金色をしていて、そばに寄ると、いいから入れ入れ、俺の点前で一服していけと言うので、私は泣きそうになって、急いで千利休の茶室である国宝「待庵」の復元の方に向かい、気持ちを鎮める。こっち(待庵)は薄暗く狭く、人を選ぶ。千利休は絶対に私のことは茶室に入れてくれないだろう。「待て。」と犬のように命令されて、一生そこにおすわりさせられているような気がする。

***

大阪では一月に十日戎とおかえびすという祭りがあちこちの神社で行われる。商業都市らしく年のはじめに商売繁盛を祈願するお祭りである。

祭りの形態はお宮によってさまざまだが、私がいま仕えているお宮の場合には十日戎にのみご奉仕する「福娘さん」という、巫女に準ずる役目だが巫女ではない女性たちがいる。彼女たちは頭に金烏帽子きんえぼしという金色の烏帽子を被り、金色の鈴を降って参拝客に福を分け与える。私は彼女たちに装束を着せ、舞を教え、彼女たちが舞う時には笛を吹く。

「福娘さん」の金烏帽子も、秀吉の茶室と同じく味わい深い金色をしている。土台となっている和紙の凸凹が、くすんだ金色にさらに陰翳いんえいを加えて、烏帽子を被る若い女性の肌の透明感を際立たせる。一度、レフ板効果を期待して撮影用にぴかぴかの金色の烏帽子を求めたこともあったが、烏帽子だけが悪目立ちして逆効果だった。この経験から、私は金色に対して注意深くなった。

ある年、その金烏帽子に合わせる装束に落ち着いたピンク色の袴を思いついた。実際に合わせてみた時、それはびっくりするほど合い、そもそも可愛らしい福娘さんたちがより可愛らしく見えた。ピンクと金を合わせた自分は天才だなと思ったが、本当は自分の生まれた国インドの影響だと思う。インドにはきれいなピンクやブルーの布に金糸で刺繍を施したサリーや小物がたくさんある。バリ島やモロッコにもありますよと言われそうだが、とにかく私のセンスはインド由来のものだ。

***


母からうけついだインドシルクのジャケットは、私には袖丈が少し短かく、しみもあるので正式な場には着ていけないが、母が20代の頃にインドで誂えたものなので、顔だちが似ている娘の私にも似合う気がして、春先の肌寒い日に羽織っている。

地鎮祭の鯛を受け取りに行く用事があって、作業用ズボンにシャツ、その上にこのインドシルクのジャケットを羽織って、自転車でいつもの魚屋さんに行ったことがあった。

すると、いつもの魚屋のおっちゃんが、「別嬪べっぴんさんのそんなきれいな服に匂いが付いたらあかんから」と言って、ビニール袋に入れたお頭つきの鯛を持って外まで出てきて、私の自転車のかごに入れてくれた。
ここはイタリアか! と私は頭の中で突っ込む。ともかくそれはインドシルクのおかげだった。

それから数年後、博多華丸に顔が似ていて調子の良い店長さんがいる呉服店に、インド産野蚕糸やさんしで織られた反物が入ってきた。野蚕糸とは、野生の蚕が吐き出す希少な絹糸(ワイルドシルク)である。滅多に新品の着物は作らない自分が即決で誂えることに決めたのは、インドのシルク、と聞いた途端に、郷愁と共にあの時の魚屋のおっちゃんの褒め言葉が蘇ったからだ。人間、褒められたり親切にされたりしたことは何年経っても忘れない。

さて、仕立て上がってきた着物には、一言で言い表しがたい魅力があった。白のようなクリーム色のような、淡い黄金色のような、何色でもなく何色でもある色が、落ち着いた光を湛えている。着れば自分にピタッと寄り添い、しかもほんわりあったかい。ああ、これだ。自分が長いあいだ待っていたのは。私は泣かずに自分で自分を抱きしめた。ヨガでするみたいに。
私も母と同じように、インドシルクで着る物を誂えたのだ。大事に大事に着て、いつか娘に渡そう。魚屋さんのエピソードとともに。

十日戎、舞を舞う福娘さんの後ろで、私はこの着物を着て龍笛を吹いた。


二十四節気 小寒しょうかん 新暦1月5日頃

*十日戎(とおかえびす)
戎大神の例祭日である1月10日を真ん中の本えびすとして、1月9日の宵えびす、1月11日の残り福と、三日に渡って繰り広げられる商売繁盛のお祭り。右手に釣竿、左手に鯛を持って海の向こうからやってくるえびす様は、皆に福をもたらすと信じられている。

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