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立夏 * 都会の神職 

かつて私にとってちまきは想像上の食べ物であった。「せいくらべ」という歌に、粽食べ食べ兄さんが図ってくれた背の丈、という歌詞が出てくるが、埼玉の実家では、子供の日といえば柏餅だった。

関西の神社で神職になり、はじめて目にした粽は、お祭りの生菓子や地鎮祭のお供え餅をお願いしている和菓子屋さんが持ってきてくれたものだった。何枚もの笹の葉に包まれ、葉の繊維のひもで念入りに巻かれていて、糸巻きのような形になっている。この紐をぐるぐる解いていくと、棒状の、少々透き通った、白く美しいお餅が出てきた。

齧ると、中にあんこは入っていない。お餅はうっすら甘く、この時期にふさわしいウララカな味だ。沖縄に、月桃の葉にくるまれた「ムーチー(餅)」というあまりにも直球な名前のお菓子がある。白くて甘い、具なしの餅が葉っぱに包まれているというごくシンプルなコンセプトにおいて、粽とムーチーは同じだが、ムーチーと違って粽という名前には餅の要素が入っていない。粽はもともと、中の餅が笹ではなくちがやの葉で包まれていたから「茅巻ちまき」なのだという。中身ではなく外の巻物が名前になっているのだ。だから中身はさまざまで、中華料理の場合には粽と言えば餅米の炊き込みご飯を茅に包んで蒸したものである。そもそも端午の節句に粽を食べるのは、この日にお米の粽を食べる中国の習慣が渡ってきたものだ。

茅は、大祓おおはらえ茅の輪ちのわに使われるように、古くから祓いの効果がある植物とされている。とはいうものの、現代では神事以外に使われることがほとんどないので、わざわざ栽培している人もいない。どちらかというと、空き地にばんばん生えてくる、やたらに生命力の強い、迷惑な草で、それゆえ都会では駆逐されてしまっている。が、すこし田舎に行くと、余った土地にびっくりするほどむらむら生えている。

***

ドライブしている最中、車窓を見ながら
「あ、このへんの河原、いい茅がたくさん生えてるな」
「この国道沿いの茅は、立派だな」
などとつぶやく者がいる。
それは都会の神職である。
彼あるいは彼女は、いつも茅の生息場所を記憶に留めている。そして神事のため茅を調達する必要に迫られた時、記憶しておいた場所に出かけて茅を刈ってくる。目立たぬよう、迅速に。

田舎の神職は、「わざわざ刈りに行かなくても茅ぐらいその辺にいくらでも生えているじゃないか」と笑う。だが、市場に出回っている榊と違い、ただの雑草扱いの茅は、都会の神職にとっては調達しにくい草木類のひとつだ。

ある都会の神社で研修を受けている時、ちょうど茅調達の時期に当たり、我々は先輩たちと共に車で1時間ほどの山中の国道沿いにある空き地に向かった。そこは2メートルぐらいの背丈の茅が群生している。雨模様で、合羽を着て中に入ると互いの姿が見えないほどだった。国道わきなので、このなんでもない土地の所有者はたぶん国であろう。雑草を刈るのだから文句は言われないだろうが我々は迅速に、研いできた鎌で茅を刈る。しばらく茅を刈っていると、近くから
「うわあああ」
という声がしたので茅をよけて見てみたら、いつも厳しめの先輩(男)が、茅にしがみついている小さな蛙に気づかず握ってしまいびっくりした声だった。

刈った茅を軽トラに積んでシートをかけて紐で括り、神社へ戻る。
しばらくして社務所の潔斎所(お風呂場)からまた
「うわああああ」
という声がした。
いつも厳しめの先輩の背中にヒルがついていて、血がだらだら流れていた。彼はぬるぬるした生き物が苦手なのだった。

***

五月五日の端午の節句は、そもそも香りの強い菖蒲(しょうぶ)の葉で女性の邪気祓いの行事をしていた日である。それが、菖蒲=尚武=勝負の発音つながりで、兜を飾るなどするうちに、次第に男子の節供になっていったとの事である。だからかは知らないが、国民の祝日としては「こどもの日」で性別は定めていない。

兜や鎧などのような戦い系の装身具を装着したり飾ったりする事で「男になった」ことを自他ともに認めるという風習は、どこの国にもあるが、それを季節の節目の「祓え」の行事と融合させるところに、日本独特のセンスを感じる。

私の子どもは男女の双子で、世話に手がかかるので男だとか女だとか考えているひまはなく、離乳食は同じ茶碗から同じスプーンでかわりばんこにあげていたし、同じことをして遊び、同じ本を読み聞かせた。三月三日にはお雛様を出して五月五日には五月人形を飾り、どちらも両方お祝いする。

双子がつかまり立ちを始めた幼児の頃に住んでいた家は、路地のドンツキにあり、路地では近所の子供たちが縄跳びやサッカーをしたり、ござを敷いて昼食やおやつを一緒に食べたり、田んぼや池でザリガニ釣りをしたりしていた。

双子を二人乗りバギーに乗せて外に出ると、近所の子供たちがワッと寄ってくる。その頃うちにいた紀州犬の雑種も同行して、大勢で散歩するのが日課だった。子どもたちは、前になり、後ろになりながら、質問を投げてくる。

「どらくらい寝るん?」
「肉、食べる?」
「一日何回うんこする?」
「カマキリ食べる?」
「石、食べる?」
「なんで毛ぇ抜けるん?」
「わ! ヨダレたれたで!」

双子に関する質問か、犬に関する質問かわからないので、どちらについて聞いているのかいちいち確認しなくてはならなかったが、どちらについて答えてもあまり答えは変わらなかった。そして彼らにとっても、どちらも「興味ぶかい生き物」という同じカテゴリーに入っているようだった。

やがて、双子が家の中で二足歩行を始めた。

息子は「だー」と言いながら酔拳(すいけん)のように無軌道な動きでよろめいている。

娘は「れろれろれろ」と火星人声で言いながら手を前に出し、ロボットダンスのような角ばった動作でせまってくる。

同じ日に生まれ、同じ環境で育っても、歩くときのカマエとハコビが見事に違う。共通しているのは、あまりにも不安定であるということで、「生まれたての鹿」の雰囲気が、正味ひと月は続いた。

2人とも少しは歩くのが達者になった頃、はじめての靴を買った。ニューバランスのちいさなちいさなスニーカーだった。待ちきれず裸足で転がるように歩き出す双子を順番につかまえて玄関に戻し、靴下とスニーカーを履かせるのに10分。ようやく初めての靴で散歩に出た。

すぐ近くの公園で顔なじみの小学生男子が2人、ブランコで遊んでいる。はげしく立ちこぎをしているため、ブランコはぐるんと一周してしまいそうないきおいだ。双子はその小学生男子にくぎづけになった。はじめての靴で立派に立ち、二人並んで、小学生の立ちこぎを見つめる。

すると、ブランコをこいでいた小学生男子が叫んだ。

「やべえ、めっちゃちんちん見られとる!」
「やべーよー」
「やべー!」

端午の節句になると、なぜかこの日のことを思い出す。





二十四節気 立夏りっか 新暦5月5日ごろ


*蛙(かわず)
立夏は“蛙始鳴“という候からスタートする。京都の神社に、のべひと月の実習に行った時、社務所に中庭があり、その池にはモリアオガエルが住んでいた。コロコロコロ、と、細く乾いた木管を転がすような声で鳴いていて、神職さんたちはその音を一日中聴きながら社務をしていた。




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