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トウキョのいちばん長い日

あれは平成最後の日だった。
学生時代のサークルの先輩二人が大阪に来たので、飲み会をすることになった。集合場所の天満という街には屋台然とした小さな美味しいお店が軒を連ねている。せっかくだから一杯ずつ飲んで、それらのお店を梯子はしごしようということになった。

明日から五月で、明日から令和で、天満の駅を降りると気持ちいい風が吹いていた。

私は今、大阪の神社に奉職ほうしょくしているが、実家はサラリーマン家庭で、進んだ大学も神道系ではない。というよりはっきり言って異宗教の名を冠した東京にある大学で、外国人留学生や帰国子女がたくさんいた。そんな中で、大阪出身の先輩二人はマシンガンのように大阪弁で喋り倒し、軽音楽サークルの部長でもあった彼らは、あらゆる事象、音楽、バンドまでをも、オモロい/オモんないを基準にバッサバッサと斬っていた。それはもう恐ろしいほどの勢いだった。

インドで生まれ埼玉の野原で育った、おおらかな私がその大学に入学した時、彼らは四年生で、悪魔のようにうるさかった。と同時に、面白オモロの戦場にいる大将のようにも見えた。私も名乗りをあげてそこに参戦したかったのに、喋りの遅さが致命的で、ついに会話に食い込むことができぬまま、彼らは卒業していった。

時は流れ、私は大阪でずいぶん鍛えられたし、先輩のうち一人は長い海外生活で日本語をあまり使っていないはずで、今なら「君、オモロいやないかい」とかぶとを脱がせる自信があった。それに、卒業後は外資系企業や団体で諸外国とのなんやかんやを生業にしている仲間が多い中で、私のような伝統的でドメスティックな世界にいる者は、逆に先輩たちにとって斬新な話ができるはずだ。

やったろやないかい。
かかってこんかい。

と、M1グランプリ決勝くらいの意気込みで臨んだ飲み会だったが、驚いたことに、先輩たちはもう「オモロい」か「オモんない」かで物事を判定していなかった。悪魔のようにうるさくもなく、ずいぶん大人になって落ち着いていた。

考えてみれば、私にとっては学生時代の先輩である彼らも、他の誰かにとっては同級生であったり、後輩であったり、会社の同僚であったり、上司であったり、部下であったり、取引先の人であったり、兄であったり、弟であったり、息子であったり、夫であったり、父親であったり、保護者であったり、親戚のおじさんであったり、親切な隣人であったり、あるいは恋人であったりするわけで、それぞれの関係の中で見せる顔を持っている。その顔の数は年をとればとるほど増えていき、奥行きのある人間を作っていく。今が一番、持っている顔が多い年頃かもしれない。

だから、いつまでもオモロいオモんないの二択だけで生きているはずがないのだ。

開始早々、そんな根本的なことに気づいてしまったので、こうなったら彼らの真の髄を掴みに行くしかないと思い、私はお酒で勇気をこしらえて、何かを熱弁した。熱弁したのだが、頑張りすぎて、何を喋ったかほとんど覚えていない。かろうじて覚えているのは、天皇陛下の即位の礼で使われる「高御座たかみくら」(陛下がお入りになる素敵なボックス)がすごく好きだってことと、私たちはどこかの星から来てやがて別々の星に帰るだろう的な、謎の発言をしたことぐらい。大人なので、つぶれたりせずしっかり電車で家に帰ったが、記憶はごそっと抜け落ちていて、M1に爪痕を残せたのかどうかさえ、わからなかった。

というわけで令和元年の五月一日の早朝は、二日酔いによる激しい頭痛で目が覚めた。

この日、ほかの神職たちは年祭で出払い、神社には私ひとりが残ることになっていた。明け方、潔斎所けっさいじょ(お風呂場)でお湯に浸かり、水をたくさん飲んでお酒を抜く。この方法でアルコールはほぼ抜けたが、頭はまだがんがんしている。

痛。痛いたたた。

頭痛をこらえながら蛇腹式になっている授与所の扉を開けると、かつて見たことのない行列ができていた。

何事か。

と思ったら令和最初の日のご朱印しゅいんを受けに来られた方々であった。

ご朱印とは、神社におまいりした際に、そのしるしとして、持参のご朱印帳にお宮のハンコを押してもらうもので、神職あるいは巫女が、社名や参拝日付を筆で書き入れるのである。もちろん日付は西暦でなく和暦で書くので、令和最初の日は特別感がある。が、有名でもなく観光地にもないうちの神社には令和フィーバーは関係ないだろうと思っていた。だもんで、あらかじめご朱印を押して日付を入れておいた紙の「書き置き」は一枚も作っていなかった。浅はかである。

先頭の方から順番にご朱印帳をお預かりして、「奉拝」と「令和元年五月一日」とを筆で書き、ご朱印を二種類押し、由緒が書いてある紙を挟み、お渡しする。

集中、集中。
令和。令和。
平成ではない。
ううっ。頭が痛い。
視界がぐるぐる回る。

ご朱印帳を書く私の手元を、動画で撮っているらしき参拝者の人がいた。

お願いだから顔はやめて。
今日むくんでるから。
いらぬ邪念が頭をよぎる。

いかん。
無になるのだ。
無。無。
私は空海。私は空海。
弘法大師。無。無。

そのうち本当に無になってきた。
何も考えずにただご朱印帳にだけ意識をフォーカスする。
いい感じだった。

だが。70冊目あたりで、「平」を書いてしまった。
無になったせいで、指が覚えている「平成」の平の字を書いてしまったのだ。
実に自然で美しい「平」である。昨日まで何千回も書いていた字を、無の境地で書いたのだから、さもあらん。

もったいないが、今日からはもう「平」ではなくて「令」だ。

令和になる二週間ほど前、「平」の字を「令」にする方法を紹介していた神職仲間のSNSを思い出した。彼は外国人初の神社神職である。

えーと、えーと、あ、あった!
こうして、こうして・・。

挙動不審に見られないように、余裕の表情でリカバーした。いったい何人の神職や巫女が、このSNS投稿に助けられたのであろうか。

150冊ほど書いて行列が途切れた瞬間に、社務所の床にごろんと大の字になった。

窓の外、青々と葉っぱが茂る梅の木を見上げる。
ちいさな青い梅の実がひとつ、成っている。
ああ。木の中のほうに成っているから、外から見えなかったんだ。
寝っ転がって、このアングルから見たら、一番梅を発見できるんだな。

いつも、なぜか美術商のH氏が、うちの一番梅を発見して「梅、できてますやん」と言う。だけど今年は私が第一発見者だ。ふふ。やった。

今年は梅酒じゃなくて梅ジュース作ろ。
と思った。












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