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初めて担任として卒業生を送り出した話 #56

先週は、担任として初めて中学3年生の卒業生を送り出した。

初任(1年目)は副担任として、3学年を担当した。その際に、自分が勤務する校長先生が常々言っていたことがとても印象に残っていた。

「卒業式を経験するから、この仕事はやめられない」

昨年は担任ではなかったが、3年生の保健体育の授業を担当していた。そして、卒業式を副担任としての立場で見ていたとき、校長先生の言葉が身に染みてわかった。

今年度は特別支援級の担任として、3名の卒業生を持った。卒業式は、いろいろ思い起こされて、感無量だった。自分がこの子たちに何を与えることができたか、それは自分にはわからないけれど。無事に「卒業」という日を迎えられたこと、周りの友達と笑いながら校門を出ていった姿を見れただけで、自分の役割を少しは果たせたのではないかと思う。

「教師」という仕事に就いて、2年間で2回も卒業学年をもたせていただけて、本当に感謝している。校長先生の言葉はそれほど僕にとって大きいものだった。

卒業生を2回、送り出した今、感じること。

それは、「いつも、今を誇れる人間でいたい」ということ。

卒業が近づくと、クラスはもちろん、授業や学年集会といった場面で、「卒業」や「進路」、「将来のこと」について話す機会が増えてくる。こういうときに、過去の栄光や自慢話はしたくない。じゃあ、何を話そうか。やっぱりするのは、自分の経験談や失敗談が無難だろうと大体それに近い話をする。「先生はこんな失敗をした、恥をかいた。でも今こうしてやっているのは〜〜があったから。」みたいな話。決まり文句だろうか。

でも、立ち止まって考えてみる。
自分はこれまで、「今こんなことをしている」「こんな未来に向かって頑張っている」みたいな話をする先生に出会ったことがほとんどない。(※お世話になった先生たちを悪く言っているのではまったくありません)むろん、失敗経験を話すことは教師の大事なことの1つだと思う。

ただ、「自分が何かに向かって、熱量を注いで取り組んでいる」
こんな姿を見せる、語る先生がいてもいいんじゃないか?むしろ、自分が今生徒だったら、そんな先生に憧れるんじゃないか?
そう感じる日々が続いた。

じゃあ、それを伝えるためには、「今を誇れる生き方をすること」が大切になってくると思う。「先生はこんな失敗をしたから、君たちはこうならないように!」なんて話は自分だったらワクワクしない。子どもたちが少しでも、未来に希望が持てるように、自分がワクワクして挑戦している姿を見せ、語れるような生き方をしていきたい。そう強く思った。

いつまでも「子供心」を忘れない。年齢なんて関係ない。むしろ、子どもたちに負けないくらいの遊び心と好奇心を持って、人生を楽しむ。

僕が子どもたちに見せなければいけないのは、そんな姿なのかもしれない。

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