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リアルと妄想

部屋に漂うミートソースの匂い。さっきスパゲティを食べた。時刻は、0時を回っている。こんな時間のスパゲティなど、太るだけだ。そんなことを思いながら、ウエストに手を当てる。ガリガリだ。アナコンダほどの太さしかない。どうやら、太らない体質らしい。いや、太れない体質らしい。運動なんて、しばらくしていない。若干のウォーキングくらいはする。が、運動らしい運動なんてしていない。運動しないで、食べる。理想的な太り方とは言えないかもしれないが(いや言えない)、手っ取り早く太るには、それが1番だろう。

と、まぁ僕のスレンダー自慢は終わりにする。

足元で寝ている猫を起こさないように、布団から抜け出そうとする。僕のかけている布団の上に寝ている猫。そう簡単にはいかない。30秒ほどかけて、布団から抜け出し猫を見る。相変わらず、幸せそうに寝ている。寝ることが幸せなのか、僕の足元で寝ることが幸せなのか。後者だと嬉しいが、猫の気持ちなんて分からない。気持ちがわかる瞬間といえば、ご飯を求めてくる時だけだ。うちの猫は滅多に鳴かない。人が来ても鳴かないし、呼んでも鳴かない。そんな猫が唯一泣くのが、ご飯の時。足元によって来て、1日分の鳴き声を、このタイミングで鳴き尽くす。分かりやすくて、よろしい。ならば、僕も一日中、一切喋らず、ここぞのタイミング喋り出せば、要求受け入れてもらいやすくなるだろうか。無理に違いない。都合のいい奴、と思われて終わりだ。

私たちは猫にはなれないのだ。夏目漱石『吾輩は猫である』を読んだことはない。これには、人間が猫になるための方法が記載されているのだろうか。記載されているとすれば、明治時代には既に、人間が猫になる方法があったのだ。これを「猫化」と呼んでみる。おそらく、夏目漱石は猫化していたに違いない。なぜなら、『吾輩は猫である』と自供しているから。

気になるのは、夏目漱石以外に猫化した人間を知らないということだ。僕の勉強不足なのか、記録に残っていないのか。しかし、猫化なんて世界的な発見と言っても良いくらいなのに、それについて知らないというのも考えにくい。いたら学生時代に一度は耳にしているはずだ。それと、記録に無いというのも考えにくい。そんな人間がいたら、必ず記録にあるはずだ。ということは、夏目漱石以外、猫化した人間は現在に到るまで存在しないということになる。それは、猫になりたい人間がいないのか、あるいは、再現性が低いのか、どちらかは分からない。ただ、夏目漱石が変人ということは分かる。いや、猫か。

僕は猫になりたいと思ったことは、一度もない。でも、もし僕のような飼い主だったら、猫も悪くないと思う。

と、まぁ僕の妄想といい飼い主っぷりは終わりにする。

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