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いじめの予防的な?アプローチ

こーぞーです。

中学生が転落死したという報道がありました。こーぞーはここの学区に住んでいますので,あまり他人事ではありません。

「いじめられてた」 自宅に遺書
燕・中学生転落死 市教委が会見
2021/11/10 22:55

燕市教委、いじめ被害前提に調査
月内にも第三者委 女子中学生転落死から1週間
2021/11/15 21:30

「いじめられてた」というメモがあったそうです。
今のところ捜査の途中で,転落死という表現になっています。


ご遺族の方に心よりお悔やみ申し上げます。

この件に関して考えたことを書きます。

いじめとは

この投稿では「いじめ」という言葉を多用しますので,定義を示しておきます。

(定義)
第二条 この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。

この定義によれば,対象となる行為というのは結構広めです。
引用部分の最後のように,児童等が心身の苦痛を感じている行為であればいじめになりうるということになります。いじめの定義には変遷がありますが,当該の出来事が「いじめ」として認められやすくなっていると言えます。
「そんなつもりじゃなかった」「からかった」「いじっただけ」など,当該行為をした児童等の言い分は無関係です。

いじめにより得ようとしているもの?

さて,こーぞーはここの学区に住んでいるというだけで,本件中学校とは大して関係がありません。ここではいじめがあったと仮定して,勝手にいろんなことを考えてみます。

いじめ(他人に苦痛を与える行為)をする人というのは,精神状態があんまり健康ではないと思うのです。毎日を幸せに暮らしている生徒だったら,そんなに人に対して苦痛を与える行為をしないでしょう。

人をいじめて,スカスカの自尊心を満たすとか,そういうねらいみたいなものがないといじめってやらないと思うんです。経験的には,いじめって,人を蔑んで,自分が優位であるというように感じるためにやる,という側面があると思います。
決して,いじめをする児童等に責任能力がないとか,そう言いたいわけではないんですけど,だいたいそういう生徒って,友人関係や部活がうまくいっていないとか,背景に何かしらあるじゃないですか。

ちなみに,以前,地域の回覧板でこの中学校の学校便りが回ってきました。
生徒対象の学校生活アンケートというのをやっていて,その回答では,学校生活が楽しいという回答が多かったような記憶があります。

学校全体的には多分いい感じの雰囲気?なのかもしれませんね。

やっぱり言語環境の整備

結局のところ,言語環境の整備というところに行き着くと思います。
言語環境の整備とは,ざっくり言うと,あらゆるところで正しい言葉や文字を使うようにするということです(本当にざっくり)。定義があるのかとちょっと調べたんですが,それっぽいものが出てきませんでした。そのまんまと言えばそうですが。

小学校や特別支援学校では結構熱心に取り組むと思うのですが,教科の学習の面でも,生徒指導の面でも必要なことです。
いじめで使われるような「死ね」「殺す」「消えろ」みたいな言葉(チクチク言葉とか言われますね)って,どこかで覚えてこないと,口から出てこないでしょう。そういう言葉に触れる機会をなくせれば(あるいは減らせれば),いじめが起きない環境に近づく,と考えられます。

また,いじめられた生徒が,立場が下の者にさらにいじめをするというのも起こりうる話です。いじめの連鎖という現象があるようですから。

皆さん!言葉遣いに気を付けましょう!

と言っても,これが学校の中だけならまだ整備できるでしょうけど,家庭とかネット上とかは各々で頑張ってもらうほかないような気がしますが…
近年だとネット上でのいじめ,LINEのグループ等でのいじめとかが起こり得ます。そういう場合,そのコミュニティに所属していない人はわかりにくいです。

共感性低い→攻撃行動する(いじめる)?

いじめを取り上げた研究ではないですが,関連しそうな論文を見つけました。小中学生を対象にした心理学論文です。
かなりざっくり言うと,共感性が高い小中学生は,攻撃行動を取りにくいという研究結果が出ています。リンクを貼るだけ貼っておきます。

あー確かにうちの会社にも共感性が低…(略

…えー,この研究における「攻撃行動」は,いじめの定義からすると,ほぼいじめる行為と同義であると言っていいと思います。だから,共感性が高いということは,攻撃行動を取りにくい,いじめ行為をしにくい,ということになろうかと思います。

さらに,この研究における共感性にはさらに下位概念があって,その1つに,相手の立場に立ってその人の気持ちを理解するという「視点取得」というものがあります。この共感性が,中学生の場合には攻撃行動を抑制するという結果が出ています。この視点取得って結構大事だなーって感じてるんですけど。

いじめ行為をするような人が,相手の立場に立って考えるなんてできないでしょう。すごく納得できるじゃないですか。

(仮説)余裕がない→共感性下がる→攻撃行動する(いじめる)

で,ここからはこーぞーが考えたことですが,共感性が低いっていうのは,余裕がないっていう場合もあると考えられます。

余裕がない時って,人の気持ちを推し量るって難しくないですか?

いじめの話に戻ると,今の小中高生って,結構余裕がないと思います。
いわゆるゆとり教育世代の自分からすると,例えば今の中学生って学習項目が多いです。ゆとり教育の前並みくらいであるとか言われますが,それで昔みたいに土曜日に授業をやっているわけではないですから,それはそれで大変だと思います。

そして部活動とか,さらに習い事までやってたら,息つく暇もありません。余裕なんてないと思いますよ。自分のことで精一杯。ほかの人に構ってなんていられません。

ということで,

小中学生は,余裕がなくなると共感性が下がり,そして攻撃行動に及びやすくなる(いじめる)

という仮説を立てておきます。

社会がどうにかして子どもに余裕を持たせてあげられないものか…みんな余裕がないからなあ…


ちなみに,昔にこんなnoteも書いていました。

ということで,冒頭の件の調査が終わったら,とりあえず生徒の話をよく聞いてみてもらいたいものです。

こーぞーは,とりあえず塾なんてやめればいいと思ってます(笑)
関係しそうな以前のnoteはこちら↓

まとめ?

「部活から帰ったら家の手伝いしてからすぐ塾向かわなきゃ,帰ったら宿題して…」なんていうゆとりのない生活をしている中学生は,とりあえず塾をやめて休息の時間を確保しましょう。すると,もっと人の気持ちが考えられる人になります。多分。
勉強は,学校の勉強をぬかりなくやっときゃ十分です。

・おとなは子どもに対する適切な声の掛け方を考える必要があると思います。宿題するよう発破かけて,やらなかったら叱って…その子どもは叱られることを選んだのかもしれません。

・あまり期待していませんが,道徳の教科化は教育に寄与していますか?やること自体は大して変わっていないので,寄与していないと見ています。
愛知の中3刺殺の事件とか,明らかに道徳の教科化が寄与なんてしてないはずです。

終わり。


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