【パーソナルリアリティーとしての哲学】

お久しぶりです!
久しく哲学関連のことを書いてなかったのですが、最後の記事から色々と世界観の変化がありました。忙しいというのは言い訳にしかならないので、ここらで言葉に起こして思考の整理をしつつ、最近の現代日本に蔓延る病魔について考察していきたいと思います

目次
・AI脅威論の衰退と個人主義について
・哲学の意義、ゴールを決めることの重要性
・人生への哲学の応用
・まとめ

【AI脅威論の衰退と個人主義】

2018年はとにかくAIの脅威が叫ばれた年だったと思います。至るところで「AIに仕事を奪われる」という文句を聞きそれにつられてプログラミングをはじめ、個人がAIに対抗する動きが活発化しました。

副業ブームやフリーランスへの転身なども熱を帯びていて、社会に依存しない強い個体を作り上げようとする人間が増えたように思います。

しかし、2019年になりAIの説明がマスコミやSNSで多く報じられました。これを受けとりあえずは大丈夫だろうという謎の安心感が一般の人々の間で理解され、AI脅威論は収まり始めました。

一方、個人主義の流れは依然として強い力を持っています。年のはじめに脱社畜サロンが尻すぼみになったのを皮切りに、徐々にフリーランスへの転身論は力を持たなくなりました。

代わりにTwitter界隈では副業ブームが更に盛り上がっており、motoさんをはじめ副業で成功し再現性を持たせるに至る事例まで出てきました。

これらのどれにも共通するのは


結局社会は助けてくれないので個人で何とかするしかない


という諦めと強迫観念です

日本社会は一部で着実に弱者に対して厳しい世の中となりつつあります。

「金はない、そのくせ消費税はあがる」

「結婚しろというわりにはそれができる分の給料と社会保障が整ってないし、子供ができても通わせる保育園が無いどころか、外で遊ばせることも危ぶまれる」

「おむつに軽減税率が乗らないのに、ジジババしか読んでない新聞はその対象に入る。」

「もらえない年金のために生活費を切り詰める」


これらはほんの一部ですが、着実に弱者は強者から蝕まれ、飼い殺されつつあります。


故に、このような社会では個人の力に頼るしかなくそのためにフリーランスやら副業やらで生きていく術を身に付けようとしているのでしょう。(ここで社会そのものを変えようと動かないのが日本社会の弱点で、選挙にいかないってのがまさにその象徴です…)


哲学とはゴールを決めること

では、ようやく哲学のお話です。

今回の問題提起は、「このような弱肉強食の世界で弱者はどのようにして生き残っていけばいいのか。」です
このテーマは実は古くから議論されていて有名な論者だとマルクス、エンゲルス、フーコー、ブルデュー、など数多くいます

僕自身まだ答えを探しあぐねていくなか、日々試行錯誤しているので一概にこれってものはないのですが、一つ確実に言えるのは

自分の人生の目的を定めそこから逆算して今のやるべきことを決める

これにつきると思います。

言葉に定めるとは以外に難しいもので自分が本質的にやりたいことは自分では案外わからないものです。なので、まずはお金を稼ぎたい!になるんだと思います。

そこを一旦回避して自分が本来的にやりたいことってなんなのか?

即物的なものから夢という言葉にしざるを得ない壮大なものまで各々欲望は持っているかと思います。それを一つずつ整理して言葉にする、それが今を打開する切り札になるのだと僕は思います。

そして、この目的を定めるという行為がまさに哲学なのです。

以前僕は記事で哲学とは地図であると言いました。その考えは今も変わっておらず、僕の思想の根幹にあります。

なぜなら哲学とは答えの無いものにとりあえずの答えを作ることだからです。

例えば学問では日々新しい考えが生まれます。政治のことを考えるには政治学を学べばとりあえず大枠は掴めます。同様に経済について知りたいなら経済学を学べばいいです。

しかし、これら二つが混ざった政治・経済学というものを考えるときはどうしたらよいか?遥か昔の人たちはこれを考えるために新たに政治経済学という学問を打ち立てました。それはこれらを考えるために必要な定義や論証、理念を決めるのに絶対に必要なことなのです。これらが決まってないと軸がブレて学問にならないからです。まず言葉に起こすことでゴールが定まる。これが非常に重要でこの作業が哲学なのです


人生という地図を描く

人生にも同じことが言えます。まず己自身にとって何よりも大切な自分だけの哲学を作ることが大切なのです。

ちなみに僕の哲学は

「面白きことも無き余を面白く」

です。

もとの言葉は坂本龍馬が自生の句として読んだ「面白きことも無き世を面白く、すみなすものは心なりけれ」からとってます。

坂本龍馬らしい大胆不敵かつ哀愁漂う句ですが僕は、こんな人生はまっぴらです笑

むしろ、僕自身を日々アップデートしてどんどん面白い奴にしていこうぜって意味合いでこの哲学を打ち立てました。

その結果不思議と行動に冒険心がつくようになりました。迷ったらとりあえず面白い方へ。これにより今までよりずいぶん世界が広がり絶対に知り合えなかったであろう優秀な人とも数多く出会うことができました。

何を描くか

哲学という地図をもったら何で移動するかも重要です

この移動手段がその人の生きた証になるからです。

車や、自転車、徒歩、飛行機などその移動手段を使ったあとには必ず痕跡が残ります。車両なら轍が徒歩なら足跡なら、飛行機なら飛行機雲が。

この痕跡こそがその人自身の生きた証であり、芸術であり、美学なのです。そしてこの痕跡がいま、急速に見えにくくなっています。移動手段が高速化し、生き急いでしまう人間が増えてるのです。

人は皆、自分の生きたい道を選べるはずなのに、何故か最適化されたルートを選びとってしまうようになってしまったのです。なるべく穏やかに安定した暮らしがしたい。この根元的な欲求の背景には先程語った弱者に対して厳しい世の中があります。

これから先もこの流れは続くと思いますし、世の中の強者と弱者の分断はますます激しくなると思います。そんな中でも僕らが抵抗できるのは自分の生き方を決めるぐらいだと思います。
生きていく上で何が一番大切なのか?それを考えることが明日を変える力になるのだと思います。

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