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『点・線・面』に読む新国立競技場のストーリー

2019年12月にいよいよ開場した新国立競技場は、どうにも評判が良くありません。予算の都合から建築コンペティションをやり直した経緯もあって、小さく纏まってしまったようにも見える隈研吾氏のデザインは、その意図が社会にうまく伝わっていないのかも知れません。このタイミングにて同氏が書き下ろした著書『点・線・面』を読み解くと、全く同じ対象をデザインしたにも関わらず、当初のザハ・ハディッドのものとは正反対の思想が見えてくるから面白いのです。

 隈研吾氏の新著のタイトル「点・線・面」は、ロシアの画家ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)の著書に由来する。この3要素は諸芸術に共通であり、これらを介すことで、絵画も、音楽も、建築も一様に扱うことができるという。3要素が示す「空間」に対して「時間」の軸を加えと分かりやすい。点、線、面、時間はそれぞれ1次元、2次元、3次元、4次元とも呼ばれ、同一の枠組みで議論することが求められるだろう。それらを全て「振動」と定義する超弦理論において、宇宙は少なくとも10次元で表現されるのだ。

 一方、建築家レム・コールハース(Rem Koolhaas)によれば、建築は常にその大きさを意識してきた。Mサイズに始まる西洋建築は産業資本主義を背景に、ル・コルビュジエ(Le Corbusier)らによってLサイズへと拡張され、金融資本主義の台頭がさらなる肥大化をもたらしている。新国立競技場の当初デザイン案を勝ち取った建築家ザハ・ハディッド(Zaha Hadid)は、その筆頭とも言われていた。資本主義の終焉が叫ばれる中、XLサイズの建築に持続性はあるのだろうか。

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 隈研吾氏は彼らが建築に取り込もうとした時間概念を、いわゆるニュートン力学にとどまると批判する。ル・コルビュジエは早くから空間と時間の統合に着目し、先んじてその論理を組み立てたアルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)を、自らサヴォア邸に招いたこともあるというけれど、量子力学の実装にまでは及ばなかったようだ。そのプラクティスは「無限成長」をコンセプトとする国立西洋美術館の螺旋構造にも表れている。

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 アインシュタインの論の先、素粒子論は時空間を相対的にとらえる。例えば水道のホースの上にとまった鳥はその足場を「線」と見做し、1次元に動こうとするが、同じ場所に立つ蟻はそこを「面」と捉え、2次元に動くことができる。同じように建築も視点を変えることによって、完成体ではなく、その製作プロセスに時間概念が見出される。西洋建築は全体設計に基づくトップダウン型の実装が絶対であるために、そんな発想には至らない。現場の作り手が主導するボトムアップ型の東洋建築にこそヒントがあるのだ。そこから隈氏は、Sサイズ、XSサイズの建築に解を求める。

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 小さい建築とは、襖や畳といった可搬可能な部分の集合でできている。それらは軽く、薄く、結果として囲いの曖昧な柔らかい建築が出来上がる。Lサイズも、XLサイズも結局は積層から成るのだから、その一つひとつを小さくしようというのだ。軽くて、薄い物質の積み重なり。それは視点によって、点にも、線にも、面にもなって、まさに量子力学的な実装につながっていく。隈研吾氏が石や木、紙といった素材に向かうのは、そんな理由からなのだ。

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 最後に本書より、以下の一文を転記させていただきたい。「木を使うなら、可能な限り、ヴォリュームとして閉じることを避け、木独特の、パラパラとした開放感を作り出したいと考えた。10.5センチの幅しかない、点のように小さく、あるいは線のように細い寸法の杉の板で国立競技場の外壁は覆われた。全体は大きいが、僕らの目の前にあるのは、小さな点や線である。」

つながりと隔たりをテーマとした拙著『さよならセキュリティ』では、「7章 内と外 ー境界」において、やわらかい建築として隈研吾氏の思想について触れております。是非、お手にとっていただけますと幸いです。

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