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星野源『うちで踊ろう』という著作の広がり

星野源さんと多くのアーティストとの間で、コラボレーションの輪が広がっています。実際に会うことができない今の状況を逆手にとった、オンラインでの緩やかなつながり。それは利害関係を越えることで、ちょっとした驚きと喜びを届けてくれるのです。

 4月2日に星野源がInstagramに投稿した1本の動画。そこには『うちで踊ろう』と名付けられた新曲が、本人によってギターで弾き語られる様子が収められていた。わずか1分足らずのラフな映像は、おそらくスマートフォンのカメラによって撮影されたものだろうけれど、これが、あっという間に拡散された。「誰か、この動画に楽器の伴奏やコーラスやダンスを重ねてくれないかな?」というメッセージが添えられていたのだ。

 シンプルなメロディながらも、ちょっとクセのあるリズムはいかにも星野源節で、多少の音楽経験者にとっては挑戦し甲斐のある楽曲だ。本人の動画を素材に、多くの人々が思い思いのアレンジを自身のアカウントで公開し始めた。そこには著名なアーティストや俳優、芸人なんかも加わって、毎日のように質の高いコラボレーションが発表されると、今度は公式Twitterに楽譜がアップされ、YouTubeにも素材がアップされ、初めから計画的に行われていたわけではないのかも知れないと思うと、興味深い。

 広告代理店・博報堂は自社のPR誌『広告』の最新号で「著作」を特集したけれど、ここでは今の法律が誰の権利を守ろうとしているのかを問うている。オリジナルを創造した人の利権が保護されることによって、アーティストの生活や意欲を守ろうという姿勢は、時に、模倣の中で育まれてきた文化の発展を阻害する。オマージュ、リスペクト、インスパイア、サンプリングといった意識的なものに限らず、日々多くの情報に晒されている私たちは、無意識に他人の発想を自分の中に取り入れている。それが全く許されない社会においては「新結合」に始まるイノベーションも生まれないのだ。

 この課題を契約面から解決しようとする「クリエイティブ・コモンズ・ライセンス」も、作り手の意識に委ねられるから完全ではない。その運営にも携わられている法律家・水野佑氏は、同誌において、法律を文面通りにしか解釈できない日本人にとっては、例えばアメリカのフェアユース制度のように、曖昧さすらも明文化されている方が健全だという。私たちは、いつからそんなに頭が固くなくなってしまったのだろうか。

 新型コロナウィルスの感染予防に向けて、ソーシャル・ディスタンスという言葉が世界の合言葉になりつつある。それを推進するために、コカ・コーラやマクドナルド、アウディといったグローバル企業が自社のロゴの文字と文字の間隔を広げたことが話題になった。日本の大企業ではこんなことはできない。なぜなら、ブランディングのために、自社のロゴの色や形は厳密に定められているからだ。パンデミックの時には文字間の距離を広げても良い、といったルールはあるはずもない。ここに正しく従うのが日本人というわけだ。

 しかし、もし星野源や周りのスタッフがそんな堅物だったとしたら、今回の『うちで踊ろう』のような企画は生まれなかっただろう。ものすごく秀逸なアレンジを発表した誰かが、それで収益を上げてしまうような可能性だって否定できないのだから。でも彼らはそんなことよりも、社会に楽しみを増やすことを優先したのだ。だから大勢のプロミュージシャンが、チャリティーの精神でこの企画に乗っかったのだろう。先日、楽曲のタイトルが英語化されたことで、「うち」が「家」ではないことが知らされた。本来「内」を意味することから、もっとインクルーシブに、気持ちを踊らせようとする想いが込められていたのだ。

つながりと隔たりをテーマとした拙著『さよならセキュリティ』では、「6章 噂と真実 ー情報の確からしさ」において、模倣がもたらす情報の広がりについて触れております。是非、お手にとっていただけますと幸いです。

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