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Saul Leiterがいま人気を集めるということ

2020年1月9日から3月8日の期間にて、Bunkamura ザ・ミュージアムで「永遠のソール・ライター」という展示が行われています。これは2017年の「写真家 ソール・ライター展」の後編といえる内容です。異例の続編開催を支えるソール・ライターの人気を、単にフィルムカメラへの回帰と片付けるわけにはいかず、そこにはアナログ、デジタルを問わない普遍的な魅力が備わっていると仮定するのが自然だと思うのです。

 前回の大規模な展示から僅か3年足らず。ソール・ライター(Saul Leiter)が渋谷に帰ってきた。短期間での続編開催が人気の高さを物語っている。長らく日の目を見てこなかった彼の作品に、今これだけの注目が集まる理由は、端的に言えば時代に「映える」写真だからと解釈できるだろう。

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 ソール・ライターが本格的に活動を始めた1950年代当時、写真はまだ白黒のみが芸術として認められ、先進的なカラー写真はその品質面から、いわゆる商業的なものと卑下されていた。だから彼の写真がいくらVOGUEやELLEの誌面を飾ろうとも、その美しさを正しく評価する土壌は整っていなかったという。その後、1960年代から70年代にかけて、カラー写真でも安定的に色調が表現できるようになると「ニューカラー」と呼ばれるムーブメントが発生するけれど、ソール・ライターはそれに取り込まれることもなく、1980年代に現役を退いてしまう。日本では使い捨てカメラ「写ルンです」のブームが訪れる頃のことだ。

 「写ルンです」はその価格と機能性から、写真を撮るという行為を多くの人々に開放した。それでもその簡易な機械で撮影した写真は、芸術はもちろんのこと、商業的なものにすら届かなかった。これは1990年代から2000年代にかけて、コンパクト・デジタルカメラへの移行が進んでも変わらず、大勢が撮る写真はあくまで個人的なものという扱いだった。デジタルカメラの出荷台数は、2002年に初めてフィルムカメラを上回ることになる。

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 ソール・ライターが注目されるようになったのは、2006年に突如出版された写真集『Early Color』がきっかけである。フィルムカメラがその役割を終えようとしている中、独特の感性によって、50年以上前に撮影された色鮮やかなカラー写真は、多くの人々に衝撃を与えたに違いない。そして2010年代以降、スマートフォンとSNSは個人的なものであったはずの写真を公開・共有することによって、一部で商業的なものとして、あるいは芸術の世界でも通用しようとしている。そんな時代だからこそ、ソール・ライターは正当な評価を得るようになったのだ。すなわち、日々多くの写真に触れるようになった私たちは、彼の視点がいかに独創的かが分かるし、彼の写真がいかに見る人の心を動かすかが分かる。

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 その時にどんなカメラで撮影されたのかなんて気にしていないし、それが芸術的か、商業的か、なんてことも考えない。1950年代の情景に想いを馳せ、ただシンプルに「映える」写真を見たいと思っているのだ。それはまさにソール・ライター自身が理想としていたことでもあるように感じる。無理して名を上げることには拘らず、自分の暮らす街の中で些細な出来事を美しく撮り続ける。なるほど、今の時代に活躍する一部のインフルエンサーに似ているのではないだろうか。

つながりと隔たりをテーマとした拙著『さよならセキュリティ』では、「1章 主体と客体 ー人と情報の関係性」において、デジタルからアナログへの回帰について触れております。是非、お手にとっていただけますと幸いです。

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