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「死にかける」~難病になった喜劇作家の"再"入院日記4

某月某日

深夜2時を回ったところ。どこかの患者と看護師のやりとりが聞こえ目が覚める。

「日馬富士(はるまふじ)を待たせてるんだよっ」

どうやら患者は看護師を奥さんだと思い込み暴言を吐いている模様。意識障害。せん妄というらしい。なぜ相撲部屋にいるのか、気の毒に思いながらも入院中は誰しもなりうる可能性が高いと知って、他人事じゃないなと感じ入る。

私は今、HCU(高度治療室)にいる。ICU(集中治療室)よりはやや軽いが一般病棟にはいられない患者が入る場所。日中からずっと眠っていたからもはや眠れない。思い立って今朝私の身に起きた事を忘れないうちに記しておくことに。

  *

血漿交換治療のため、首から心臓近くの太い血管(中心静脈)にカテーテルを挿入しているときだ。急に呼吸が出来なくなった。苦しい。すんごく苦しい。パニックになった。動かないでという声が聞こえるもそうはいかない。息が出来ないんだ。空気が入ってこないんだ。危ないから動かないで! ――いや、私が動かなくなったときは終わりなんだってば。あがきにあがいて(ちょっと!)顔にかけられてたシートを振り払って(ダメ!)絞り出すように声にならない声を発する(え?)。

ウジュシー(苦しいっ)!

激烈なオノマトペが伝わったのか、作業は即座に中断され急遽、酸素ボンベがつけられる。鼻カニューレから口のマスクへ。それでも酸素が足りず、宇宙飛行士がつけるような顔全体を覆うごっついマスクまで装着させられたが、それでも駄目。変わらず息ができない。意識がなくなりかける。ああ死ぬわこれ、と直感した。噂で聞いてた走馬灯は残念ながらない。大好きなエンヤもかからなかった。ただまっしろな光が目の前に広がってゆく感じ。ああ、最後はブラックアウトでなくホワイトアウトなんだあ……苦しみはもうない。自分も粒子になって光に溶け込んでゆく。「死」への扉を開いたからなのか、それとも――。

突然、強く右手を引っ張られた気がしてはっと我に返る。あれ? おや? いつの間にか呼吸ができるようになってるぞ。傍らで「意識が戻りました」の声。目を開けると初顔の看護師さんが、まるで聖母マリア様のような大きな瞳をパチクリさせてこっちを凝視していた。

あ……ああ……生きてた……良かった……。思わず口にしてマリア様の手を強く握りしめる。彼女も大きくうなずきその手を握り返してくれた。

自分は死ななかった。もしかしたら一回死んだのかもしれないけど、こうして生き返ってきた。あとで聞いたら酸素SpO2値は56%まで落ちていたという。原因は不明。私にはまだ生きるべき使命があったということか。

  *

思い返していると興奮で余計眠れなくなってしまった。勢い、現在唯一請け負っている締め切り間近の台本を今こそ書くべきじゃないかと思い立った。奇しくも、重病である主人公のギタリストが悲願のライブに出るため死を覚悟して病院を抜け出すというエピソード。自分が死にかけた夜に、主人公が死ぬ話を書くなんて、皮肉な話だけど今後絶対にないだろうなと思いながら、一息に書き上げた。あっという間に書けた。多分、脚本家人生で一番、早く書けた原稿じゃないだろうか。

『スマイル』(ナットキングコールより)という副題をつけたその物語のなかで、主人公はライブ直前、病気のことを知らない相棒に笑いながら語る。

「たとえどんなことが起きたって笑っていようぜ。空に雲が浮かんでるように、お前が笑って隣にいてくれりゃきっと何もかもうまくいくってさ」

台詞を暗誦していたら声が漏れたのか、カーテンの隙間からもしやあなたも? ってな具合に、どこかで見た大きな瞳が心配そうにこちらを覗き込んでいた。

あ、……Ave Maria!

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