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大切なことを理解する時に…
教育現場において
シラバスというものが存在する。
それは授業が期間中に何回あってその中でどんなことをテーマに扱って授業をしていくかというものである。
教育者の役割はそのテーマを利用して、理解すべき本質を学生に伝えること。学生はその戦術を頑張って取り入れようとする。つまり学生はその戦術にしか注目していない。
教育においては理念を教えるために例としていろんな戦術を扱っていてはいけないのでは…
本当に伝えるならひとつのテーマを様々な切り口から深掘りしていくべきなのではないかと思う…。
スポーツなんかはそういう点ではひとつのテーマで本質を掘っていくものではないかと思う。
あとは応用の問題だからテストでそれを問えばよい。
海外留学の話
よく海外留学とか世界一周とか起業とかやる学生がたくさんいるが、正直いってほとんど自己満足なものが多いのではないか。
なんのためにやっているのか。ぜひ問いたい。僕も当時海外留学に興味があり、説明会に行ったことがある。
その時に言われたのは海外留学で最も重要なことは物事を考え、解決するために行動できる者になることを目指す的なことを言っていたんだが、それって高いお金をかけてわざわざ海外に行かないと手に入れないものだろうか。
多くの学生は留学、世界、起業というワードに囚われてそういった戦術をこなして満足しちゃってる感じがあるのではないか。
僕は小笠原や北塩原など日本を拠点に何度もそこに通い、物事を考えてきた。
そしてそれを自分の地域に還元できないか常に模索してきた。そして行動もしてきた。
物事を考えることに関しては映画も大いに関与している。
世界各国を回ることの数をこなしていっても得れるものは多いかもしれないが、その得れるものは小手先のものばかりではないかと。
文化の理念や思想の根源を探ることに真理があるのではないかと思う。それは日本、世界関係ないから。本質思考を得てから海外に出るべきではないだろうか。(個人の感想。あくまで、あくまで…。)
大学で学べること
大学で学べることというのは理念を理解した上で初めて役に立つのであって、自分の中での理念がないと学んでいることに意味があるのか、分からない。
だから離脱する人もいるし、大学を離脱することによって考えるきっかけになるからむしろそういった人の方がいいのかもしれない。
問題は、なんとなく大卒だと給料が…などの術に囚われてしまっている状況。その結果すぐにやめることに。どっかに挫折があると考えるきっかけが生まれて、変わる人もいると思う。
だから結局どこできっかけを掴むか。価値観をどこにおくのか。誰のために、なんのために自分は生きているのか。
僕は中学から農家で生きていくことを決めてからそこからどうやったら地域のためにとか、家族のためにとか、農業のために貢献できるのかということを常に考えてきたつもりである。
思想を高めるトレーニングをかなり積んできたつもりではある。そのおかけでちょっとずつではあるが、自分のちょっと先を描くことができはじめているように感じる。他人から影響されて動くことは多いが、それはそれで背中を押してくれる。でもそれは自分を偽って生きているわけではなく、自分の中で軸があるから、判断するにあたってこれには賛成、これには反対というようにできる。
今後の自分はどうなっていくのか正直不安ではあるが、新しいフィールドに立つ時、これまでをいい意味で忘れることも重要なのだが、これまでの経験、仲間は大切に関わり続けて、自分のフィールドにもやんわりと巻き込みながら生きていけたらいいなと思っている。
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